鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

日記:2020/04/08

 本来なら3回生前期が開講していたはずのきょう、日記を付けはじめることにした。いつまで続くのかわからないこのコロナの時代はもしかしたらずっと終わらないのかも知れない、と云う不安が脳裡にこびりついて離れなくなった。あとになって、当時の杞憂っぷりを笑い飛ばすために、だから日々のあれこれを記録していきたいと思う。

 

 親から緊急事態になったら実家に帰ってこいと云われていたけれど、きのう故郷に緊急事態宣言が発令されたので帰るに帰れなくなった。帰ろうと思えばいつでも帰れる、と近くに感じていた故郷が遠くなってしまった。

 最近グレアム・グリーンを読んだ影響か、『ヒューマン・ファクター』のラストシーンを思い出した。《モーリス、モーリス、どうか希望を捨てないで。》久しぶりに読み返したくなったけれど、本は実家に置いてきた。

 

 大学の附属図書館が明日から閉館すると云うので、慌てて何冊か借りてきた。申し込めば休館中でも本は借りられるようだが、書架を当てもなく眺めるからこそ見つかる本もある。きょう借りたうちの一冊もそうして見つけた本だ。マニュエル・リマ『系統樹大全:知の世界を可視化するインフォグラフィックス』。系統樹とひとくちに云っても色々あるらしい。図書館が閉まれば、こう云う出会いもなくなる。

 コロナウィルスが急速に近づいてくる一方で、世界がどんどん遠のいてゆく。

 

 午前中、ロベルト・ボラーニョ『[改訳]通話』を読み終えた。「センシニ」「エンリケマルティン」「アン・ムーアの人生」が良かった。短い中に人生を凝縮する、ぼくにとっての理想のひとつが体現されていた。

 『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』と『ジム・スマイリーの跳び蛙――マーク・トウェイン傑作選』を読み始めた。『あいつらにはジャズって呼ばせておけ――ジーン・リース短篇集』もちまちまと。

 

 ひとが集まる場所は避けるべきだとわかりつつ、ミスタードーナツへ行ってミルクティーを何杯か飲んだ。小洒落た若い男性たちが五、六人集まって、多くがマスクも付けずにぺちゃくちゃと盛り上がっていた。なるべく離れた席に座った。彼らの、男同士での気の置けないような態度と、女性店員を相手にしたときの態度の違いが印象に残った。

 

[改訳]通話 (ボラーニョ・コレクション)

[改訳]通話 (ボラーニョ・コレクション)