鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

日記:2020/04/09

 1ヶ月後に元通りになるわけがない。それでも、せめて1ヶ月後にはこの状況が改善されていて欲しい。以前のようにとは云わないまでも、以前より静かな暮らし程度の日々が戻っていて欲しい。甘いだろうか。

 怒りと云うか憎しみと云うかが日々粘っこい何かに塗りつぶされてゆくのを感じる。声を上げたところで黙殺された、高校時代の記憶がよみがえる。声を上げても行動を起こしてもそれでも話が通じないひとびとと云うのは、いる。

 

 きょう一日は家に引きこもっていた。いや、それは正確ではなく、学食に出かけた。それでも午前と午後はずっと家にいて、穏やかで緩やかなのにわっと叫び出したくなるような焦燥を感じた。明日からはひと混みを避ける程度の外出をしようと思う。

 コートがなければ寒いけれど風は春の暖かさをはらんでいる。ここ数日は空が青い。幸いにして花粉症ではないぼくにとっては過ごしやすい季節だ。

 

 『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』と『ジム・スマイリーの跳び蛙――マーク・トウェイン傑作選』を読み終えた。前者は幾つか既読で、そのうち「ディケンズ好きの男」は読み始めて少ししてから既読だと気付いた。「ディケンズを愛した男」の題で『街角の書店――18の奇妙な物語』に収録されていたのだ。当時中学三年か高校生だったぼくはウォーの名前などまったく意識していなかったはずだ。

 マーク・トウェインは冗談みたいな、理不尽な面白さがあった。19世紀の時点でこんなに面白いのは、ほとんど理不尽と云って良い。

 

 小説にも飽きたのでバージャー『見るということ』を読み始めた。休んでいた部位が動いている感覚がある。専門分野ではない、学科の勉強を放り出して寄り道か、など関係はない。休日は長いのだ。