一律十万円給付について思うところを二百文字くらい書いて消した。慣れない政治語りを長々と書いても胡乱さが拭えない。簡単にまとめよう――むしろここからはじまるべきなのではないか?
感染症の専門家による、向こう十年はこの状態が続くだろうと云う未来予想図のポストを読んで、ここ数日は鬱々とした気分でいたけれど、体調が治ったのに伴って、《病は気から》の逆と云うわけでもないが、感染症の専門家はあくまで感染症の専門家であって、未来予想の専門家ではない(そんな専門家いるのだろうか)、と思い直した。もちろんぼくも未来予想の専門家ではないので具体的に意見するのは差し控える。
ただきょうも散歩した結果得られた実感として、たぶん人間社会はこの状態に十年どころか一年も耐えられないんじゃないか、とは思う。それが良いのか悪いのかはわからない。このウイルスによって社会構造が丸ごと破壊されて変わってしまうと考えるのは、それはそれで人間を信頼しすぎだ。
さて一年後、あるいは数ヶ月後でも良いが、以上の文章をぼくはどんな気持ちで読むのだろう。
大学の履修登録のガイダンスがあった。ただでさえ集中が切れやすい環境なことに加え、事前に配布された資料を読み上げていくかたちだったので、かなり退屈した。これで学期中、真面目に講義を受けられるのだろうか。
最近気分が晴れないのは、目の前の現実とうまく折り合いを付けられないからでもあり、うまく切り結べないからでもある。インターネットを通じて、誰もが引きこもった静かな社会を想定しても、ちょっと街に眼を向ければ、みんなマスクをしている以外特に大きな変化のない風景が見える。だのに商店や公共施設は次々と閉められ、経済的にも健康的にも苦しい生活を余儀なくされるひとびとの話がきょうもたくさん聞こえてくる。いったい何なんだろう、と思う。うまく「いま・ここ」を認識することができない。認識することができない現実を相手に、ぼくはぼくでいることを強いられている。
グレアム・グリーン『国境の向こう側』を読み終えた。『見えない日本の紳士たち』に較べると、やや打率は下がる。それでも全篇通して面白く読めたので、グリーンはたぶん好きになれる作家だ。『ヒューマン・ファクター』以外の長篇にも手を出してみよう。