実家に帰ってからずっと引きこもって本を読んでいる。京都にいた頃は一歩も外に出ないと息が詰まる思いがしたもので、この変化は興味深い。誰かと一緒にいられるからなのか、単に環境が変わったからなのか。蓄えに何かと余裕があるのも良いのかも知れない。幸い下宿生活のときも食うに困ることはなかったけれど、何もかもが単調で、日々蓄えたものを食い潰してゆく暮らしは心身ともに余裕がなかった。要するに、親のすねをかじりやすくなったから安心、と云うわけだ。
下宿生活もほとんど親のすねをかじっていたようなものだが。まったくもって烏滸がましい。
読んでいる本として挙げるのを忘れていたが、ジーン・リース『あいつらにはジャズって呼ばせておけ――ジーン・リース短篇集』も少しずつ読み進めている。きょうは表題作を読んで、その卓抜した文章、複雑な声の語りに圧倒された。それまでの作品でも感じていた主題の扱いおよび文章技巧のひとつの達成を見せられた思いで、なるほど短篇集の表題にされるのも納得である。決して邦題の魅力だけで選ばれたわけではなかったのだ、もちろんこの邦題も作品の魅力が表出したものではあるけれど。
あんたたちにとってわたしは迷惑な人間だ。なぜならお金を持っていないから。そういうことだ。はっきり喋りたい。あいつらがどうやって蓄えを全部盗んだかって判事に言いたい。(…)わたしは言いたい。わたしがやったのは歌うことだけだ。あの古い庭で。そして言いたい。丁寧で静かな声でそのことを。けれど自分がわめいているのが聞こえるし、両手が宙を泳いでいるのが見える。役に立たない。みんな信じない。だからわたしは止めることができない。頬に涙があるのを感じる。「証明しろ」あいつらが言うのはそれだけ。あいつらはささやくだけ。あいつらはうなずくだけ。
グレアム・グリーンと云い、ジーン・リースと云い、最近の読書でいままで抱いていた英文学への、どこか退屈なイメージが更新されている。内容の重さはさておき、そのこと自体はとても楽しい。
筆致の幅広さと打率の高さ。裏表紙には一応、怪奇幻想小説集と紹介されているけれど、ホラー的なモチーフを使っているだけで眼目は別のところにある作品も多い。「ボビー・コンロイ、死者の国より帰る」はその典型かな。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月27日
まず前半、ホラーについてのホラーとして仕立てることで恐怖に高揚を乗せる「年間ホラー傑作選」、少し怖くて、何より懐かしく切ない「二十世紀の幽霊」、友人の喪失に奇想を織り交ぜて、哀感とともにどこかロマンティックなヴィジョンを提示する「ポップ・アート」で早々に打ちのめされる。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月27日
「黒電話」は巻末に削除した後日譚が付いている。そのままくっつけていたらやはり蛇足気味なので削って正解だと思うけれど、削除部分はそれはそれでもうひとつの物語として面白いので、収めてくれて良かった。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月27日
こう云う短篇集で優れたミステリ(あえて云うなら、クライム・ストーリー)に出会えると嬉しいよね、と云う「挟殺」。筋立てだけなら因果応報なり理不尽なりに仕立てられるだろうに、どちらに傾くこともなくタイトルの構図=運命へ持ってゆくのが巧み。最後の疾走が切ない。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月27日
「寡婦の朝食」も良かった。きょうを何とか生きてゆく人間たちのそばにある死。両者のあわいを捉えたラスト。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月27日
前半だけでもじゅうぶん秀作揃いなのに、まだこんな隠し球を残していたのかと驚く後半。「ボビー・コンロイ、死者の国より帰る」はあざといまでに最後の台詞が決まっている。可笑しくもほろ苦い。何だかんだでいちばん不穏で怖かった「おとうさんの仮面」は、しかし読後に覚えるのは哀感だ。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月27日
「自発的入院」は100頁近い中篇だけれど、だれた印象はなく、むしろ過不足なく書き切っているように思う。家族、友情、郷愁、ユーモア、不条理、哀感、……作品集全体を総括するかのようにあれこれと詰め込みながらまとめあげた力作。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月27日
そのうち父親のスティーヴン・キングの中短篇集も読んでみたい。