鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

日記:2020/04/27

 実家に帰ってからずっと引きこもって本を読んでいる。京都にいた頃は一歩も外に出ないと息が詰まる思いがしたもので、この変化は興味深い。誰かと一緒にいられるからなのか、単に環境が変わったからなのか。蓄えに何かと余裕があるのも良いのかも知れない。幸い下宿生活のときも食うに困ることはなかったけれど、何もかもが単調で、日々蓄えたものを食い潰してゆく暮らしは心身ともに余裕がなかった。要するに、親のすねをかじりやすくなったから安心、と云うわけだ。

 下宿生活もほとんど親のすねをかじっていたようなものだが。まったくもって烏滸がましい。

 

 読んでいる本として挙げるのを忘れていたが、ジーン・リース『あいつらにはジャズって呼ばせておけ――ジーン・リース短篇集』も少しずつ読み進めている。きょうは表題作を読んで、その卓抜した文章、複雑な声の語りに圧倒された。それまでの作品でも感じていた主題の扱いおよび文章技巧のひとつの達成を見せられた思いで、なるほど短篇集の表題にされるのも納得である。決して邦題の魅力だけで選ばれたわけではなかったのだ、もちろんこの邦題も作品の魅力が表出したものではあるけれど。

 あんたたちにとってわたしは迷惑な人間だ。なぜならお金を持っていないから。そういうことだ。はっきり喋りたい。あいつらがどうやって蓄えを全部盗んだかって判事に言いたい。(…)わたしは言いたい。わたしがやったのは歌うことだけだ。あの古い庭で。そして言いたい。丁寧で静かな声でそのことを。けれど自分がわめいているのが聞こえるし、両手が宙を泳いでいるのが見える。役に立たない。みんな信じない。だからわたしは止めることができない。頬に涙があるのを感じる。「証明しろ」あいつらが言うのはそれだけ。あいつらはささやくだけ。あいつらはうなずくだけ。

 グレアム・グリーンと云い、ジーン・リースと云い、最近の読書でいままで抱いていた英文学への、どこか退屈なイメージが更新されている。内容の重さはさておき、そのこと自体はとても楽しい。

 

 ジョー・ヒル20世紀の幽霊たち』を読み終えた。

  そのうち父親のスティーヴン・キングの中短篇集も読んでみたい。

 

20世紀の幽霊たち (小学館文庫)

20世紀の幽霊たち (小学館文庫)