鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

日記:2020/05/01

 小学生だったときの夜は、兄が弾くギターとともにあった。当時ぼくたち兄弟は同じ部屋を使っており、さして広くもないそこに二段ベッドを押し込んで勉強机がふたつ押し込まれていたけれど、ぼくも兄も机を勉強のために使うことはめったになく、ぼくは居間で勉強する一方、兄はギターを爪弾くのが夜の風景だった。それが終わったのがいつ頃だったのか思い出せないけれど、ぼくが高校生の頃にはすでにギターの音は聞こえなくなっていたはずだ。それでもぼくがわが家の夜のことを思い出すとき、多くの場合、そこには兄のギターが聞こえている(あるいは、兄が淹れたコーヒーの匂いがある)。久しぶりに兄のギターを聞いて、そんなことを思った。

 緩やかな時間の中ではつい昔のことを考えてしまう。

 

 時間は緩やかだ。寝るか本を読むかしていればあっと云う間に一日が終わると云う点では速やかだけれど、日々はどこかゆっくりとしていて、例年であれば新入生歓迎や新学期の講義などなどもろもろで忙しないことを思うと、もう5月か、と云うより、まだ5月に入ったばかりなのか、と云う印象が強い。ルーティーンが週ではなく日で回っているのが理由だろう。基本的な生活のサイクルが1週間で回っていた頃は、4回サイクルを回せば1ヶ月が経っていた。

 とすると、来週明けから講義が始まれば、また忙しく、「もう6月?!」などと気軽に云える日々が戻るのだろうか。

 

 野田秀樹『21世紀を信じてみる戯曲集』を読み終えた。

 憂える戯曲集も気になっている。 

 

 元気が有り余っているからだろうか、最近妙なやる気が胸を「きゅう」とさせる。焦燥感のような嫌なものではないけれど、処理しないと収まらない類いのエネルギーであって、どう鎮めようか考えているものの、考えるまでもなく答えは出ている。

 書けば良いのだ。こんな手遊びのような日記ではなく、何かと本気で切り結ぶ文章を。小説でも良い、評論でも良い、 自分の思考、志向、嗜好を殴りつけるような何かを。

 

21世紀を信じてみる戯曲集

21世紀を信じてみる戯曲集

  • 作者:野田 秀樹
  • 発売日: 2011/02/01
  • メディア: 単行本