昨夜は1万字超えの長文記事を投稿したのでもう日記を書く気力はなかった。あらためて読み直すと当初の目論見はおおむね達成されているように思う。惜しむらくは、SFまで挙げる余裕がなかったこと。『なめらかな世界と、その敵』や『死の鳥』なども入れられるなら入れたかった。
パウル・クレーの《それ以上のことはわたしたちにはできません。》の文章を何度も引用することに政治的な意図がまったくないと云えば嘘になるけれど、個人的思想を強制したいわけではないと云うのは本当だ。強制したところできいてもらえるわけでもなし、いたずらに会内に分断を生むだけだろう。
読む、書く、語る、以外でいまのぼくにそれでもできることがあるとすれば、かつてのぼくのような新入生が現れたとき、彼ないし彼女の語ることをきちんと受け止められることだろう。そのためにはぼくが知らない作家や作品のことであっても受け止めなければならないし、ぼくが知らない作家や作品のことを話してもきっと受け止めて貰えるだろうと思って貰わなければならない。それなりに読んでいて、それなりに語ることができて、それなりに自分じしんの体系――樹冠――をしっかりと持っていて、どんな言説にも何かしら実のある返答ができるような、話しかけ甲斐のある先輩になれれば云うことはない。
長文を久しぶりに書いて、そんなことを思った。
しかしたぶんそれは、話していて楽しい先輩よりも難しい道のりだ。現にぼくはたぶん、すでに入会を希望している新入生からは、けっこう話しかけづらいひとに映っている。でも自分から話しかけるのはなんか違うしなあ……。
真藤順丈『宝島』を読み終えた。現実をフィクションでごまかすのではなく、現実にフィクションで抗うような物語。その両者の境界線がどこにあるのかは、今後のじぶんへの宿題だろう。
勢いよく語り上げているようでギリギリのラインを突いていると思う。もとより複雑微妙な沖縄の立ち位置と歴史に正面からエンターテインメントをぶつける離れ業。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月6日
現実の人物や歴史――瀬長亀次郎やコザ暴動、そして何よりそれらをひっくるめた沖縄――を物語に組み込むにあたって、《語り部》の設定が巧い。ここに語られているのは物語であり、物語にしか語れないものがある。多声的で力強いナラティヴ。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月6日
生還こそが、命こそが、いちばんの戦果――作中で何度も繰り返される消えた英雄の信条が、中心の謎である《予定にない戦果》と繋がって、凄絶な人生を辿ったひとりの人間、その周囲のひとびと、そして沖縄のアイデンティティを波状的に立ち上げて読み手を呑み込んでゆく終盤は圧巻。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月6日
その謎の答えが殊更明かされなくとも良いし、明かされたらかえって興が冷めるのではないかと懸念していたのだけれど、杞憂だった。それはさながら画竜点睛として物語全体を改めて語り直し、こちらを見つめてくる。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月6日
ここでも《語り部》の設定が活きている。あまりに構図として綺麗なのがかえって気になるものの、後日譚など存在しない物語をそれでもいったん語り終える方法として申し分ない。そしてまた物語は語られはじめるのだろう。語られ続け、語り続けるその声に、読み手は全力で耳を傾けなければならない。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月6日
ギリギリのラインを見事に走り抜けた本書においてただ一点、帯の《日本のいちばん熱い青春時代がここにある。》は良くないと思う。《日本》と云うのも、《青春時代》と云うのも軽率。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月6日
『ゲームの王国』上巻が好きなひとはたぶん好き。
明日から講義が始まる。もしかすると毎日更新することが難しくなるかも知れない。無理のない範囲で続けてゆきたい。