一日が早い。毎日2~3コマ入っている講義に時間が吸い取られる。試験ができなくなったから出席確認を兼ねた小レポートも増えた。きょうもこれを書き終えたら課題をやらなければならない。とっくに《2020年度前期》ははじまっているのだ。だのに基本は家にいるから春休みの気分が抜けず、いまだに身体と気持ちの調子が整っていない。
本来なら週のうち半分は実習とそのレポートに追われていたはずで、むしろ時間は有り余っているのだと思わなければならない。ならないのだ。ならないのだ、が。
この一年くらい、嘲笑、冷笑について考えを巡らせることが増えた。考えていて気持ちの良いことではないし、考えたところでその強靱な構造にいっそう塞いだ気分になるばかりだ。嘲笑してきた人間に何を返そうが、相手は「おお、コワイコワイ」などと云えば済んでしまう。馬鹿にすることによって作られた絶対的な優位は覆らない。耳も目も塞いで喚き散らす相手に何を云っても通じないように。
厄介なのは、その強靱さに助けられる場面もあると云うことだ。はじめから優位に立っている(と思われる)相手を馬鹿にすることで引きずり下ろすことだってできる。強者への諷刺とはつまりそう云うものではないかと思う。
グレアム・グリーン『第三の男』を読み終えた。
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— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月11日
同名映画の原作、と云うか、映画化することを前提として書かれたもの。映画はこれから観ます。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月11日
廃墟と雪の都市ウィーン、ドアノブに巻かれた黒いリボン、凍った土に埋められる棺、観覧車での対峙、地下の追跡劇。映像にしたらさぞ映えるだろう場面が幾つもあるけれど、伝聞から再構成される複雑な叙述は小説ならではのそれ。どう映画にしたんだ?
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月11日
ロロ・マーティンズと云う男の捜査行を《私》が折に触れて聞いた話から再構成するのだけれど、三人称のように再構成された部分と、《私》とマーティンズの対話をそのまま語った部分、もちろん《私》視点の部分が混ざっていて、ときにはシームレスに移行する。面白い。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月11日
複雑で混じり合うのは語りの視点だけではない。四カ国で分割されたウィーンの統治、《ロロ》と《マーティンズ》と《バック・デクスター》に分かれそこに同姓作家との混同が重ねられる主人公のアイデンティティー、事故現場で起きたことを巡る証言、ハリー・ライムと云う男の正体……。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月11日
台詞ひとつひとつにも言外の意味が仄めかされていて、非常に格好良いとともに奥行きがある。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月11日
プロットだけ取り出せばシンプルで、ミステリとして見るとほとんどがワンアイディアの上に成立している一方、舞台、人物、語り、描写、台詞、それら要素ひとつひとつは複雑で、その組み立てが見事。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月11日
そしてこの物語をそう読む以上、確かにラストシーンは急に紋切り型が現れてつまらなく見える。皮肉とも読めるし、あくまで《私》の語りであって、これはこれでひとつの結末の在り方とも取れるけれど。とりあえず映画を見るか。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月11日
のちほど映画を見た。ラストシーンは映画に軍配が上がるけれど、以上のような複雑さがプロットの変更で見えづらく、と云うかなくなっていて、もうここまで別ものならどちらが優れていると云う話ではないかも知れない。
原克『騒音の文明史――ノイズ都市論』を読み終えた。
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— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月13日
けっこう凝った装幀なのにAmazon等で画像が出ていなくて可哀想。凝り過ぎじゃないかと云うきらいもあるんですが(調子の良い語り口と相俟っていささか胡乱)
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月13日
明治、大正、昭和初期の東京において《騒音》はどのように聞き取られてきたのか――ベルリンやニューヨークも近くに起きつつ(はじめはこの三都市を並置する予定だったらしい)、それを探ることで近代の諸相をあぶり出すのが狙いとのこと。複雑な騒音の在り様は錯綜した近代の国家・社会・個人を映す。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月13日
実際にあぶり出される近代の諸相よりも(あぶり出しにじゅうぶん成功しているとも思えないが)、細かい事例を取り上げつつ、ときとしてうるさいと疎まれ、ときとして都市の交響楽として親しまれさえした《騒音》の在り様に迫る過程が面白かった。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月13日
新聞の投書を頻繁に取り上げているが、文面をそのまま受け取るときと建前を排除して真意とやらを取り出すときとの違いが、その文脈のせいもあるのだろうけれど恣意的に見えるのが気になる。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月13日
時節柄やはり皇族が亡くなった際の服喪――自粛の静寂の章が興味深い。森閑にして厳粛な神社も取り上げて、無秩序な騒音を排除した秩序ある静寂に支配と権力を見出す。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月13日
かつては騒音としては聞かれなかった近所の物音が個人主義の浸透によって騒音になってゆく。近代都市のご近所騒音問題に《自由の権》と云う概念が出てくることの指摘はたぶん本書の狙いがびしりと嵌まったくだりだろう。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月13日
癖なのだろうけれど《~。これである。》と云う文章が何度も出てきて数えたくなった。付ける必要のないところにまで付けてくるから読んでいるのにうるさく感じる。……そうこれも騒音の話へ繋がっているんですね。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月13日
最後のは冗談です。