鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

日記:2020/05/15

 午前中は講義の時間だったけれど資料だけ配って質問だけ受け付ける類いのものだったので眠りを貪っていた。ここ数日、疲れがうまく癒やせない。寝られるだけ寝たはずなのに起きたら身体はかえって疲れていた。

 

 昼食を食べてから書店に行った。三条の丸善。エレベーターで行き来する地下の書店はいかがわしい秘密の趣があって楽しいけれど、エレベーターに乗るために行列ができているのには参った。広い店内だから普段は気にならないけれど、平日昼間でもそれなりにたくさんの客が来ているらしい。

 帰りにぼくが乗り込んだ箱にはほかにふたりいて、うちひとりが近づくのを躊躇ってしまう程度に刺々しい態度を隠そうともしていない。次に乗るひとを待つことなく彼が扉を閉めようとし、ちょうど乗ろうとしていたひとが扉を押さえて止めた。その後エレベーターに乗っていたのは1フロア分上がるだけの時間だったけれど、緊張に満ちた数秒だった。

 

 恥ずかしい話かも知れないけれど、ふたたび実家に戻った。このまま京都にいたらわけもわからないうちに心と身体が潰れそうな気がしたからだ。

 昼の列車は幸いにして空いていた。

 

 読書意欲の谷に落ちたようで、何かを読もうと云う気がいつもより失せている。それでも無理矢理に読んでみなくてはならない。読まなければいけない本なんてなくとも、読まなければ自分に、周囲に、何か嘘をつくような気になる本は存在していて、ぼくが読書する動機のひとつがそれだ。読まなければいけないと云う気持ちと読みたいと云う気持ちをうまく同機させられると、心身共に調子が良くなることが、経験上わかっている。

 

 グラディス・ミッチェル『月が昇るとき』を読んだ。

  訂正――危険を認識してはいる。けれど、あくまで子供としてであり、その危険は冒険の延長にある。大人ならば絶対にそんな冒険は許していないだろう。その認識の齟齬が、後日談の大人と子供の隔たりを生んでいる。

  どこでこの作品の存在を知ったのだっけ。たしかサークルの先輩がオールタイムベストに挙げていたからではなかったかと思う。あのひとはいま、何をしていて、何を思っているのだろうか。

 

月が昇るとき (柏艪舎文芸シリーズ)

月が昇るとき (柏艪舎文芸シリーズ)

 

 amazonにはぼくが読んだ晶文社ミステリ版のページがないようだ。