午前中は講義の時間だったけれど資料だけ配って質問だけ受け付ける類いのものだったので眠りを貪っていた。ここ数日、疲れがうまく癒やせない。寝られるだけ寝たはずなのに起きたら身体はかえって疲れていた。
昼食を食べてから書店に行った。三条の丸善。エレベーターで行き来する地下の書店はいかがわしい秘密の趣があって楽しいけれど、エレベーターに乗るために行列ができているのには参った。広い店内だから普段は気にならないけれど、平日昼間でもそれなりにたくさんの客が来ているらしい。
帰りにぼくが乗り込んだ箱にはほかにふたりいて、うちひとりが近づくのを躊躇ってしまう程度に刺々しい態度を隠そうともしていない。次に乗るひとを待つことなく彼が扉を閉めようとし、ちょうど乗ろうとしていたひとが扉を押さえて止めた。その後エレベーターに乗っていたのは1フロア分上がるだけの時間だったけれど、緊張に満ちた数秒だった。
恥ずかしい話かも知れないけれど、ふたたび実家に戻った。このまま京都にいたらわけもわからないうちに心と身体が潰れそうな気がしたからだ。
昼の列車は幸いにして空いていた。
読書意欲の谷に落ちたようで、何かを読もうと云う気がいつもより失せている。それでも無理矢理に読んでみなくてはならない。読まなければいけない本なんてなくとも、読まなければ自分に、周囲に、何か嘘をつくような気になる本は存在していて、ぼくが読書する動機のひとつがそれだ。読まなければいけないと云う気持ちと読みたいと云う気持ちをうまく同機させられると、心身共に調子が良くなることが、経験上わかっている。
グラディス・ミッチェル『月が昇るとき』を読んだ。
【月が昇るとき (晶文社ミステリ)/グラディス・ミッチェル他】を読んだ本に追加 → https://t.co/DKyExkMvs8 #bookmeter
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月14日
《オフビート》の意味がこれでなんとなくわかった気がするけれど、オフビートっぷりに本作の魅力があるとは云い切れず、いささか陳腐な云い回しを使えば《不思議な詩情》になるだろうか。シリアルキラーのミステリとして想定される結構からは確かに外れているが、眼目はその外し方にはないと云うか……
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月14日
ぼくが《シリアルキラーのミステリとして想定される結構》にすっかり疎くなっている可能性は否めない。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月14日
凄惨な連続殺人もそれが郊外の日常に与える影響も大人たちの事情も子供たちの好奇心も家族の不和も月の光の下、少年の目を通して等しく語られる。終盤の展開も起こっていること自体はかなり危険なはずなのに、少年たちは最後までそれを認識しない。回想的叙述も相俟って、すべてがどこか遠い。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月14日
訂正――危険を認識してはいる。けれど、あくまで子供としてであり、その危険は冒険の延長にある。大人ならば絶対にそんな冒険は許していないだろう。その認識の齟齬が、後日談の大人と子供の隔たりを生んでいる。
イギリスのひとなら描かれる町の風景にノスタルジーを覚えるのかも知れない。日本人のぼくでも覚えるけれど、その郷愁はむしろ遠さに起因している。その遠さと、実際に読みながら感じる近さが良い。窓硝子の向こうから差し込む月の光の中で夜を眺めるような、静かに引き込まれる作品。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月14日
あの頃は良かったと云う懐古もなく、硝子のように透明で平板な隔たりがそこにある。窓に切り取られた風景。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月14日
どこでこの作品の存在を知ったのだっけ。たしかサークルの先輩がオールタイムベストに挙げていたからではなかったかと思う。あのひとはいま、何をしていて、何を思っているのだろうか。