鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

読書日記:2021/03/15

阿津川辰海『蒼海館の殺人』を読んだ。前作は未読なので的を外した感想かも知れないが、以下、感想を残しておく。もともとはミステリ研内のdiscordサーバーに投稿したものに、少しだけ手を加えた。
  • 嵐に見舞われた屋敷とそこに住む家族の謎――と云ういかにもそれらしく設えられた探偵小説において、それを揺さぶるのが水害・水没と云うシチュエーションだが、より正確には、物語の舞台となる屋敷が水害・水没から逃げてきたひとびとの避難所として利用されると云う点が閉じた探偵小説に穴を開けている(ように思われる)。つまり本作は厳密な意味でクローズドサークルではなく――クローズドサークルと思われていたが実は違ったと云うのでもなく――ここがキャラクターの死を云々する探偵小説の現場なのか、《キャラクター》に満たない人間の命までをも守らなければならない災害の現場なのか、と云うところにおいて、《名探偵》の存在意義と云う主題が問われることになる。その問いへのこの場での答えは予定調和的で、名探偵としてキャラクターの死の真相を解き明かし、犯人の計画に勝利を収めることで、結果として、避難してきたみんなの命も救う――と云うものだ。名探偵はヒーローである。誂え向きに、絶対悪的な黒幕も登場する。大層なことだ。  
  • ぼくにはこの小説が退屈に感じた。そもそも文章が拙い、と云うのがまず致命的で、どこまでも書き割りめいた背景と人形めいた登場人物に複雑性も陰影を作り込めておらず、それならそれで開き直って駒のように使えばかえって悲劇的になるかも知れなかったところ、それは違うよみんな人間なんだよと云うモラルが拙い文章を通じて語られる。ミステリとして物語が進行することの、《名探偵》が《推理》することの根本的な部分にある危うさは書き込めないまま、《後期クイーン的問題》や《操りの構図》を弄びながら《名探偵の存在意義》だとか《みんな救う》だとか《ヒーロー》だとか語られても空疎であるし、たちが悪い。
    駄作ではなく、見るべき点も多い作品だけれど、なんだかんだ面白かったんじゃないのと思ってしまう自分さえも含めて退屈な作品。
  • 上述した《ここがキャラクターの死を云々する探偵小説の現場なのか、キャラクター未満のひとの命を守らなければならない災害の現場なのか》と云う問いは詰め切れていない。屋敷に押し寄せる避難希望者たちの群が探偵小説としての場を揺さぶってみせれば、何か興味深いものを見られただろう。避難者たちには顔も名前も与えられていない。彼らが屋敷を頼って来たことは謎解きに組み込まれるが、それが結果として彼らに名前を与えることになっているとは思えない。むしろ彼らを背景にまで退かせてしまうおこないだろう。
  • 一瞬開かれた気がした家族内での閉じられた構図は、犯人の計画と探偵の解決を通じて結局閉じられてしまう。ロスマクの作品のような、構図それ自体が響き合いながら複雑な織物を編むようなこともない。ただしそれがプロット上での問題なのか、文体や描写の問題なのかは、すぐに答えの出るものではないだろう。しかし、いずれにせよ、(本格)ミステリと云う営みが構図に回収してしまうことがともするともたらす退屈さ・危うさに自覚的であることをぼくは望むし、自覚的でなくとも、小説として鑑賞に堪えうる書き込みや錬磨が大なり小なりそう云うものを引き寄せてくれるだろうに。
  • 具体的に、この文章が良くない、とか挙げはじめたら切りがないのでここまで。地力がないわけじゃないと思うので、10年後くらいにはものすごく読み応えのある傑作を書いてるのではないかと思う。
  • 安っぽくても拙くても、オマージュがあったり、文体模写があったりするだけで気持ち良くなるひとが一定数居るのかも知れない。それも読書ではあろう。
    新鋭の4作目としてはじゅうぶんに良い作品ではないでしょうか。年間ベストに入ってきてもなんら文句はありません。
  • 較べる対象が、クイーンだのクリスティーだのロスマクだのとビッグネーム過ぎるのは、アンフェアかも知れない。
 
蒼海館の殺人 (講談社タイガ)

蒼海館の殺人 (講談社タイガ)