これから書きたいものをメモします。
ひとが新作の構想をブログ(ではなく、pixivのfanbox*1)に書いているのをみて、そう云うのやって良いんだ、と驚き、どうもこの数日さまざまなことがはかばかしくない自分もやってみるか、と思った次第。複数の構想がごっちゃになっているので、整理したいのもある。
周囲は本当に素晴らしい書き手ばかりで、自分のような眼低手低の輩が小説を書くのも恥ずかしい。が、不思議とそう云う場だと書きたい気持ちも湧いてくるものだ。そう云えば、創作のワークショップから生まれたと云うル・グィン『文体の舵を取れ』なる文章指南書が発売されたらしい。これは買うことに決めている。
それでは以下、まとまっていない構想のメモ。参考になりそうな資料や作品があればご教授いただけると嬉しいです。
倒叙ミステリ
- 志明館(しめいかん)大学の映像学部教授は、映像学部を解体しようとする新理事長を強盗の仕業に見せかけ殺害する。その手口は、いったん死体を冷房の効く部屋で保存しておくことで死亡推定時刻を偽装すると云うもの。後ろに倒した死亡推定時刻にゼミをおこないアリバイを確保した教授だったが、担当刑事の朧(おぼろ)――ぶかぶかのオーバーを着込み、蓬髪をぼさぼさ伸ばし、犯人を前にしたとき以外眠たげな男――には偽装が通用しない。状況に違和感を覚え、事件の現場と発生時刻がずらされているのではないか疑う朧。彼の眼はすでに、教授をロックオンしていた……
- 犯行の手順と詰め筋はすでに思いついている。が、刑事と犯人の初戦を前にしてぱったり手が止まっている。何が悪いのだろうか。犯人のパーソナリティ? 刑事のキャラクター? そもそもアイディアが面白くない?
- 単純に、なぜか自分は燃えていない。倒叙の熱さを感じていない。自分で自分の作品に燃えるにはどうすれば良いのか。倒叙の熱さってなに?
ジーン・ウルフ・トリビュート
- 以前ミステリ研で、中篇「From the Cradle」を翻訳し、会内の機関誌に掲載した。これとトリビュート短篇をもって独りウルフ追悼特集としたかったのだが、トリビュート短篇は書けないまま2年経った。今年は書く。夏のうちに書く。未来の文学だって完結したのだから。
- ふたつ考えている。ひとつ目「博士に贈る手紙(仮)」。少年がお世話になった博士に手紙を出す。その手紙の文面を読み込んだり、順番を入れ替えたりすると、少年と博士の奇妙な関係と、グロテスクな背景が浮かび上がってくる……。
- タイトルと趣向以外、何も考えていない。
- 怖い真相と、それでも少年にとってはかけがえなかった交流、それをもう取り戻せない哀しさ、なんかを盛り込めると良い。どうやって?
- 箇条書きに階層を設けてみた。見やすいけど書くときのリズムが狂う。
- ふたつ目「怪獣使いの少年(仮)」。突然現れた怪獣に世界は滅ぼされてゆく。少年は、あの怪獣は自分が生みだしてしまったのではないかと疑い、苦悩する。それは当然勘違いであり、マクロな視点からの淡々とした終末風景とミクロな視点からの誰も滅びを理解していない団地風景を交互に……
「夜よりも速く」
- 2年前このタイトルで何か書こうとして、伴名練「ひかりより速く、ゆるやかに」が発表されて寝かせてしまった。おまけに「夜を駆ける」なんてものも出た。
- ハイウェイ上を疾走する子どもたち――と云うイメージが頭から離れない。彼らは速く、速く、速く、走る。夜が地球上を動くより速く。
- どこまでも速く。お願いだから遠くまで。わたしたちを置いて、走れ。
- 彼らは死んでいるのかも知れない。あるいは新しい人類かも知れない。自分が何をイメージしているのかわからない。それを間違えると、作品が悪くなるだけではない、もっと大切なものを失ってしまう気がする。
- 『夜になっても遊びつづけろ よふかし百合アンソロジー』に載せてもらった「夜になっても走りつづけろ」は、この作品の前哨戦のようなものではないか、と云う予感もある。
- リチャード・パワーズ『さまよえる魂作戦』は、ハイウェイを疾走するシーンから始まる。
- とにかく取り留めのないイメージの断片だけがある。SFっぽいが、SFなのかどうかもよくわからない。どうすればまとめられるでしょう?
「鳥類学者の密室(仮)」
- 昨年、ミステリ研の機関誌『蒼鴉城第46号』に書いた中篇「鳥類学者の記憶法」のリライト。長篇にしようと思っていたが、無理そう。
- 孤独な少年が博物館で鳥類学者の老人と出会う。ふたりは交流は師弟となり、友人となり、信頼し合う仲となるが、ある日、老人が殺される。少年は老人の死体を発見する。しかし、彼は老人の死について何も語ろうとしない。そこで何が起きたのか?
- リョコウバトの剥製(日本では大変貴重)をキーにしようかな、と漠然と考えている。エモ・ガジェット。
- 生物は絶滅してしまう。人間は死んでしまう。ときとして、それらは理不尽で受け容れがたい。吉川浩満『理不尽な進化』での、自然淘汰は人間を越えた理屈である(だから適者生存のような、誤った物語を求めてしまう)、と云う議論を、ミステリの謎と解決の関係に重ねられないか。
- 探偵役による推理は、老人がなぜ死んだのか、その究極的な真実を説明することができない。これこれこう云う理由で、これこれこう云う経緯で、彼は死んだ。それは所詮物語であり、老人が少年の目の前から消えてしまった理不尽を、一切解決してくれない。あらゆる物語は現実に追いつかない。しかし、物語がなければ、そんな理不尽にとても耐えられない……。
- ミステリとしてのネタはぼんやり浮かびつつある。ここから理屈立てて詰めることができなくて、困っている。最終的に見せたい画はなんとなくあるのだが、上記のテーマ的に、そもそもこのような作り方をして良いのか、と云う疑問もある。
- 昨年「鳥類学者の記憶法」が、エモーショナルではあるが謎と解決が些細すぎるしプロットが過剰に犯人当て的、と云う評価を貰った。探偵役が「名探偵」として登場することの拭いきれない幼稚さも気になる。しかし「名探偵」には登場して欲しい。謎と解決の話だから。