鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

読書日記:2021/10/18~22【ヘレン・マクロイ特集】

 ヘレン・マクロイを三冊読んだ。いずれも40年代の作品。同時代をこんなにも突き放して見ることができていたのかと驚く。
 感想はいずれも、ミステリ研Discordサーバーに投稿したものを再掲した。

ヘレン・マクロイ『家蠅とカナリア』(創元推理文庫

 侵入した店の飼っていたカナリアを解放していった、何も盗まない泥棒――と云う冒頭の謎が魅力。演劇の公演中に殺人が起きる一種の閉じられた状況も、パズラーとしての純度と興趣を高めている。正直、盛り上がるのはそのような「謎」ばかりで、解決はかなり薄味なのは否めない。作品の眼目にあるのは第二次世界大戦下の演劇世界&都会の描写と、オーソドックスな犯人当てのプロットをいかにドラマチックにするかの演出なんだろう。ささやかながら魅力的な謎が散りばめられながら殺人と云う決定的なイベントへ進行するスムーズな序盤や、中盤を牽引する人物造形の魅力、そして終盤の灯火管制下の摩天楼での緊迫した対決は終始楽しく読める。 
 次は『月明かりの男』か『逃げる幻』。なぜいきなりマクロイを読みはじめたのかと云えば、『家蠅』解説で指摘されているようなポスト黄金期の小説群――謎解き小説の形式に新たな奥行きを作り出そうと腐心した作家作品に、次の創作のヒントを求めているからです。 

 

ヘレン・マクロイ『月明かりの男』(創元推理文庫

 高密度。高密度すぎて過剰でさえある。卓越したヴィジュアルイメージによる演出や人物造形の魅力はこの時点では薄いけれど、初期作らしい意気込みに満ちている。
 1940年の時点で「ナチスの脅威迫るヨーロッパからの亡命者」を単純な背景どころか謎解きの中心部に落としこんでいることにまず驚く。大学と云う〝閉じた〟舞台において、事件そのものには奥行きがあり、ともすると突飛な〝動機〟を時代-社会-経済と云う大きな背景のなかに埋め込むことに成功しているように思う。とくに見事なのはこの設定を受けて後半で出てくるひとつの仮説で、登場の早さからして潰される別解だろうとあたりがつくものの、それだけで長篇ひとつ書けるレベルで発想の組み立てと伏線が丁寧。
 もちろんそこに至るまでの前半も、矢継ぎ早に繰り出される謎の数々で展開を緩ませない。いやに丁寧な〝殺人指示書〟にはじまって、〝月明かりの男〟をめぐって互いに食い違う証言、揃いも揃って嘘発見器テストを断る容疑者たち、夜な夜なタイプライターを打つ幽霊、奪われた実験ノートと奇妙な研究内容――あまりにたくさんあるのでとっちらかっている感はあるものの、〝心理〟と云うテーマのもとにそれらの謎が(多少無理やりではあれ)収束していく終盤は圧巻。大量の謎のなかにさり気なく伏線を仕込む手際も巧み。

 

ヘレン・マクロイ『逃げる幻』(創元推理文庫

 何度も家出を繰り返す少年は、いったい何から逃げているのか?
 『月明かりの男』でも似たような感想を述べたが、1945年の時点でここまで第二次世界大戦の惨禍をかっちりとミステリに取り込んでいるのは素直に驚かされる。その時代に生きているから何を書いても時代の刻印が残る、と云うでのはない、まるでのちの時代に歴史小説を書いているかのような突き放した冷徹さがある。逆に云うと、時代の刻印がないゆえに、20世紀ミステリを読んでいるのにつねに現代小説を読むようなプレーンな印象を覚えて、そこはややもすれば退屈。たぶんマクロイはとても視野が広くて知的だったんだろう。世界情勢や時代がよく見えていたからこそ、そのなかでミステリを書くことの問題を視界に収めつつ、卒なく作品を仕上げることができた。あまりにも時代と取っ組み合いすぎると、クイーンのように破壊的な変化を余儀なくされるのかも知れない。
 閑話休題。コンパクトにまとまっている一方でひとつひとつの謎や要素が焦点を結ばず、ぼんやりと滲んでひとつになっているので、長篇の読み応えと云うよりよくできた中篇の印象が残る。プロットも中盤まで事件らしい事件が起こらない変則的なもので、ムアの情景にそそられないと楽しく読み進めるのは難しい。ぼくはわりあい面白く読んだ。
 そんなムアのように茫漠とした物語は、ひとつの発想によって一気に明瞭になる。大量の伏線が物語全体に糸を張ってひとつにまとめ上げ、荒涼とした風景に思いがけないかたちで〝戦争〟を浮かび上がらせるのだ。