鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

読書日記:2021/10/25~30【ロス・マクドナルド特集】

 ロス・マクドナルドを3冊読んだ。いずれも中後期の作。今度は初期作にも手を出そうと思う。
 感想はいずれもミステリ研のDiscordサーバーに投稿したものを再掲した。

 

ロス・マクドナルド『ウィチャリー家の女』(ハヤカワ文庫)

 消えた娘を探してほしいと云う父親の依頼を受け、関係者を訪ねてゆく私立探偵のアーチャー。しかし離婚した母親だけがなかなか捕まらない。何より彼女が鍵を握っているはずなのだが――。
 発端の事件が二ヶ月前に起こっていると云うのもあって現在進行形の追跡劇は終盤まで書かれず、アーチャーがひたすら各所を訊ね回って「何が起こったのか」を手繰っていく。地味な絵が続くけれど、これこそロスマクの本領と云う感も。どんどん広がっていく人物相関図が思いがけない箇所で繋がっていく瞬間は電撃的に気持ち良い(その点で、人物紹介はのちにわかるデータを明かしているので注意)。
 中期の傑作のひとつとして知られるけれど、同じく並び称される『さむけ』『縞模様の霊柩車』のような複雑さはなく、ウィチャリー家の女(たち)と云う中核とそれを取り巻くようにして波状に広がる事件と云う図式がわかりやすい。逆に云えば、悲劇が中心部へと集中するように負荷をかけるので読後感はいっそう重く、死そのものを見つめるようなラストシーンは息苦しいまでに静かだ。

 

ロス・マクドナルド『ドルの向こう側』(ハヤカワ文庫)

 脱走した少年を探してほしいと少年院の院長から依頼されたアーチャー。しかし調査に乗り出す前に、少年を誘拐したと云う脅しが両親のもとに届く。これは本当の脅しか。あるいは少年の狂言誘拐か。少年の行方を追うアーチャーは殺人事件に巻き込まれ、かつての恋人との再開も果たし、積極的に事件に関わってゆく――。
 元恋人への自身の感情に戸惑い、少年少女や被害者に同情し、罪悪感や不安に押し潰されそうになり、依頼を受けずとも自費で捜査を進めるアーチャー。こいつのどこが紙のように希薄なキャラなのか。ここまで来ると事件の目撃者/追跡者と云うより、事件の内部で振り回される存在であり、読者は彼と共に、いつまでも全貌が見えない事件に分け入っていくことになる。
 これまでのロスマク長篇でも「何が起きているのか」が主たる謎となっていたけれど、本作では誘拐事件――それも、どこか壊れてしまっている――が扱われることで謎とプロットにいつも以上の緊迫感をもたらしている。誘拐が終盤まで前面に出ていることでまとまりを欠いているきらいもあるが、煩雑なまでのその複雑さ、そして複雑な構図を切り裂くような「真実」こそロスマク的だとも云える。

私たちはこのまま、かえって安心感を抱かせるくらいに危険な夜をいつまでも走り続ける。スザンナが何年も前に引用した、詩だか、たとえ話だかを思い出した。明るく照明された廊下の片端の窓から一羽の鳥が飛び込んできて、廊下の向こう端まで飛び、べつの窓から暗闇の中へ飛び出て行った。それが人間の一生なのだ、という。彼方に飛び上がり、後方まで飛び去っていくヘッドライトを見ていて、スザンナが話した、わずかの間光に照らされた鳥を思い出した。いま、彼女にいっしょにいてもらいたかった。

 

ロス・マクドナルド『一瞬の敵』(ハヤカワ文庫)

 逃亡する若い恋人たち。彼らは略取まで犯してどこに逃げたのか。何をしたいのか。それを追いかける探偵の調査行は、やがて何世代にもわたる一家の悲劇へと遡ってゆく。
 異常に複雑。もとより中後期のロスマクは複雑だが、『さむけ』も可愛く思えるほどに複雑怪奇な人物関係は、メモを取らないと追いつかない。アーチャーも丁寧に調査を積み重ねるものの、後半はほとんど、その因縁の糸に絡めとられるかのように、点と点を半ば直観で結びつけはじめる。そうして編み上げられる悲劇には、もはや点と線の電撃的な接続の快楽は薄れ、無数に引かれる線が黒々とした混沌を描画する。一応結末には「逆転」もあるのだが、ここまでついてきた読み手ならば、それを構図の鮮やかな反転としてではなく、悲劇の連鎖がもっともあり得べきかたちで行き着いた、もう逃げ場のないどんづまりとして受け止められるだろう。『ギャルトン事件』以降積み重ね、磨き上げてきたテーマと技巧の総決算と云う趣――と云うと、解説に引っ張られすぎているかな?
 これで積んでるロスマク全部読んだ。次は初期作読もうかな。『象牙色の嘲笑』あたり。