鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

読書日記:2021/11/18~22

 クリスティー特集でもしようと思ったけれどミルハウザー読んじゃった。
 ミルハウザーの短篇は、こう云うと褒めているようには聞こえないかも知れないが、オーソドックスな海外文芸っぽさと緻密な語りの技巧が冴えていて、妙に安心できる。小説を読むと云うより、さながら職人による工芸品を見ているようだ。とは云えそこには、思いついたからやってみる、やってみたい、と云う無邪気さもあって、これはいかにもミルハウザー的である。
 感想は例のごとく、ミステリ研のDiscordサーバーに投稿したものを転載した。

アガサ・クリスティー『忘られぬ死』(ハヤカワ文庫)

一瞬スティーヴンは、気分がわるくなりそうだった。ローズマリーの声が……話している――嘆願している……過去はけっして消えることがないのだろうか――葬り去られようとはしないのだろうか?

 ローズマリー。誰からも好かれ、誰からも疎まれた彼女は一年前、疑問を残しつつも、しかし自殺としか考えられない状況で命を落とした。その死に立ち会った者たちは各々の思いを秘めたまま、彼女の夫の企みのもとで集い、ローズマリーの死を再現する――。
 クリスティーのノン・シリーズ・ミステリは幾つか読んできたけれど、ここまで謎解きが前面に出ている作品は初めて。ポアロものに仕立て直すことも不可能ではないけれど、ポアロものとして書いてしまうと前半1/3近く使って語られる関係者各位の内面描写や死の夜の再現および解決篇~結末がもたらすサスペンスが薄れていただろう。あと、誰が探偵役を務めるのか?と云う謎も生まれなかったに違いない。とは云え、名探偵や主人公と云ったプロット上の参照点が存在しないために全体の印象が漠然としており、真相が与える鮮やかな印象が薄れ、また同時に、解決篇の説明が不足してしまっている。悩ましいところ。クリスティーポアロものに縛られたくなかったと云うのは有名な話なので、それも含めて難しい。
 真相が鮮やかな印象を与えると云うのは一般論ではない。本作のトリックは(とくに、クリスティー作品のなかでは)かなりスマートで、最小の手数で最大の効果を上げている。単に不可能状況が解かれるに留まらず、事件全体の構図が組み替えられるのだ。霜月蒼も指摘していたと思うが、見かけだけで中身を誤解する、と云う本作の、そしてクリスティー終生のテーマを、トリックとして見事に落とし込んでいる。だからこそ、細部のあれこれの説明を簡単に済ませてしまっているのはもどかしい。
 あと犯人がきっちり意外なのは毎度毎度感服する。

 

アガサ・クリスティー『ねじれた家』(ハヤカワ文庫)

「ユースティスとあたしは興味津々なの。あたしたち、探偵小説が大好き。あたし、探偵になりたいなって、しょっちゅう思っていたの。で、いまじゃ、ちゃんとした探偵よ。だから、あたし、手がかりを集めているところなの」
 彼女はきっと残忍な子供に違いない。

 チャールズの婚約者であるソフィアの実家は、一代で巨万の富を築いた変わり者の祖父によってつくられた、巨大な、奇怪な屋敷だった。祖父を失った屋敷はいま、遺産の行方と祖父の死の真相をめぐって揺れている――。事態が収まらない限り結婚できないと云われたチャールズは、事件の解決に挑むが。
 ノン・シリーズ。これは明らかにシリーズ・キャラクターには無理だろう。あらすじだけ見ると横溝正史ふうの、謎めいた一家と莫大な遺産をめぐるいかにもな探偵小説だが――誂え向きに童謡まで出てくる!――話はひたすら茫漠としており、事件の全体像も実に曖昧。誰にでも犯行が可能、誰にでも動機があり得る、そんな状況で、あいつが犯人かな、いや違うかもな、みたいなやり取りが延々続く。ぎりぎり退屈になるかどうかのラインに抑えているのは流石の筆力と云うべきか。
 暗い雰囲気に合わせているのかチャールズの静かなトーンの語りも、前半で早々に崩れて、基本は優柔不断で付和雷同で色惚け。しかし、上述の曖昧さと、その語りの軽さゆえに、作品全体が、探偵小説と云うよりも探偵小説のパロディのような印象を与える。つまり作品自体が「ねじれた家」なのだ。実際、これが探偵小説ならそろそろ第二の殺人が起きる頃だ、と云った自己言及的な台詞も見られ、あらゆる推理をすっ飛ばして真相が出し抜けに与えられる展開も、その真相も、探偵小説を皮肉っているよう。
 そして何より、霜月蒼も指摘しているが、この真相はミステリ読者には名の知られたアレの借用だ。偶然かも知れないが、全体のパロディ的な印象を踏まえると、あの名作を敢えてクリスティー流にパロディしたのかも知れない(霜月蒼は「トリビュート」と云っていた)。

 

スティーヴン・ミルハウザー『バーナム博物館』(白水Uブックス

ウィンドウには雑然と、いろんな品が一緒くたに並んでいた。フープを転がす少年の絵が載ったページを開いた児童書がこちらにあるかと思えば、あちらには『バーンズワース地理百科事典』なる、ひび割れた革表紙の十二巻セットがあるという具合。一方の隅ではリトルボーイ・ブルーの格好をした人形が、埃をかぶった台に載った地球儀に目を閉じて寄りかかり、そのかたわらに大きな地図帳があって、紀元二〇〇年のローマ帝国の色あせた地図のページに開かれている。どういう店なのか、なんとも見当がつきかねる。赤い紙のカーテンがついた、ビクトリア朝期のおもちゃの劇場があり、すぐ隣には、お姫さまが井戸からバケツを引っぱり上げている色刷りページが開かれたおとぎ話の本がある。木のアームに取り付けた立体鏡が木の把手を下にして斜めに置かれ、その向こうにはコンコルド広場の版画がガラスの額縁に収まっている。ホーソーン全集十六巻中の十三冊が、古びたシルクハットとオペラグラスの背後で、ねじけた赤い煙突みたいな具合にそびえている。プラムショーの趣味は奇妙で風変わりだった。でも私には、こうした展示のなかに、ある秘密の調和が感じとれるように思えた。雨はさっきから本降りになっている。私は店に入った。

 第二短篇集。落ちも山もない話が多いけれど、決して平坦でも断片的でもない。お話としてはささやかでも、異様なまでに細部を突き詰めることで見応えのある作品にしていたり、ディテールを敷き詰めることでモザイク画のように全体を漠と、しかし圧倒するように浮かび上がらせたりする。『千夜一夜物語』の内容と成立を多層的に語る「シンドバッド第八の航海」、『不思議の国のアリス』冒頭でウサギを追ったアリスが穴に落ちてゆくその長いなが~い落下をひたすら記述してゆく――そのなかで、現実から虚構へ移行すること自体が言及される――「アリスは、落ちながら」、異形の博物館とその異形の展示物をさまよいながら描写する「バーナム博物館」、おそらく架空の漫画について各コマに何が描かれているかひたすら描いていく「クラシック・コミックス #1」等。そこにあるのは技巧のための技巧、仕掛けのための仕掛け、語りのための語りだ。それは一種の転倒だけれど、その転倒こそ、ミルハウザーが描こうとしているものなんだろう。何かを伝えるために虚構を作り上げるのではなく、虚構を作り上げることが目的となり、やがて自分自身も虚構へと融けてゆく。驚異のための驚異。虚構のための虚構。
 とりわけ驚嘆し、印象に残ったのは「探偵ゲーム」と「幻影師、アイゼンハイム」の中篇ふたつ。「探偵ゲーム」はクルーと云うボードゲーム(日本だと「クルード」で知られているのかな?)に興じる一夜をここでもまた丁寧に記述する。ただそれだけの話なのに、人間と同じくらいゲームそのものが丁寧に記述され、やがて駒自体が自我を持つように語られ出すと、プレイヤー同志のいささか拗れた関係とあわせて、ゲームボード上に複層的な物語が立ち上がる。記述の重ね方と動かし方がひたすら気持ち良い。「幻影師、アイゼンハイム」の主役は世紀転換期の伝説的イリュージョニスト。彼が仕掛ける信じられない技巧と様々なイリュージョンは、やがて現実と幻想の境界を揺るがし、幻想を顕現させてゆく。彼の伝説自体も予想を裏切るように展開し、驚嘆のあまり唖然とするその結末まで含めて、ひとつのイリュージョンを見せられたよう。奇術師テーマの傑作。