鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

文章練習:2021/12/14

説明
  1. 写真に何が写っているのかを書く
  2. 出来たものを半分くらいまで削る
書く

 彼の家はハウ通りとネルソン通りの交差点にあって、バンクーバーの、そうでなくともわたしたちの町のなかではちょっとした名物だった。ハウ通りに沿って四軒の店が並び、同じ大きさのカラフルな立方体が四つぴったりと連結していて、交叉点の方から順に白い外装に黄色い扉の食糧品店、薄緑色に塗った壁に赤と深緑の縦縞模様の庇がかけられた本屋、毒々しい紫色に染まった理髪店(窓が大きく取られているのにいつも緑と白のカーテンがかけられていた)、それからラジオの修理屋は明るいオレンジ色。修理屋は実質電気屋も兼ねていたから、近所の文化と生活はたいていこの交叉点の四軒で事足りた。確かすべて彼の家の土地を借りていた店子だったと思う。彼の家はその四軒の裏、長い直方体の肩を借りるようにして建つ、ネルソン通りに玄関を開いた古い二階建てだった。木の細板を水平に積んだ壁は墨っぽい黒の塗装が剥げかけていた。全体の形状は大雑把に云えばこれまた立方体だけれど尖塔や張り出し窓が幾つもくっついて複雑な形に膨らんでおり、深緑色の寄棟屋根も尖塔から飛び出した六角錐型の黒い屋根や瞼を開けるように――あるいはポラロイドカメラがライトを開いたときのように――屋根裏部屋の窓が屋根を押し上げて凸凹している。この屋根裏部屋と云うのがケッサクで、なんと窓の隣に扉があって、下に並んだ本屋と理髪店のちょうど境目あたりの陸屋根まで階段が伸びているのだった。ふたつのまったく趣が違う建物を、急勾配の階段が繋いでいた。彼の家はようやっと近代的な簡素でプレーンな建物が造られはじめた町のなかで、そんな新しさは店子に押しやっていれば良いとでも云うように古く、ごてごてして、どっしりと構える、まだそのあたりが移住者たちの町だった頃の生き残りだった。けれど現代は着実に町に押し寄せていて、交叉点からは彼の家の陰にちょうど重なって、途方もなく高く長い直方体のビルがにょっきりと伸びているのだった。(811字)

削る

 ハウ通りとネルソン通りの交差点には同じ大きさのカラフルなキューブを直列させるかたちで四軒の店が並んでいた。確か交叉点の方から順に、白い外装の食糧品店、薄緑色の壁に赤と緑の縦縞模様の庇をかけた本屋、いつも白と緑のカーテンを閉めていた理髪店は壁が薄紫色に塗られ、その隣のラジオの修理屋が明るいオレンジの外見だったはず。近所の文化と生活はその四軒でこと足りた。彼の家はそ店の裏に建つ古い木造の二階建てだった。壁の細板の黒い塗装が半ば剥げていた。家は尖塔や出窓が幾つもくっついて複雑に膨らんでおり、深緑色の寄棟屋根も、六角錐の屋根が飛び出したり屋根裏部屋の窓が瞼を開くように屋根板を押し上げたりして凸凹だ。屋根裏部屋からは急勾配の階段が隣の本屋の陸屋根まで降ろされ、彼の家が手を伸ばし肩を借りているようだった。まだ辺りが移住者の共同体だった頃に建てられた家だ。けれどあの頃にはもう「現代」が町に押し寄せていて、交叉点から彼の家を眺めるとその背後に遠く、何十階建てものビルが聳えているのが見えた。(443字)

反省
  • いままでも、そしてこれからもそうですが、この文章練習で書いている内容はすべて写真から想像したことであり、事実ではありません。
  • 日本語として苦しいところが幾つか。
  • 最近は長文化が進んでいる。少なくとも、描写することについての苦手意識は減ってきたかも知れない。
出典

Fred Herzog, Howe and Nelson, 1960.