鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

読書日記:2021/12/21~12/24

 クリスマス・イヴはラファティを読んでAKIRAを観てランジャタイで笑っていました。これはこれで充実している。
 感想はミステリ研のDiscordサーバーに投稿したものを転載した。ひとに読んでもらうことを前提としているので、感想と云うより書評に近い文体を取ることがあって悩ましい。

ジョン・ディクスン・カー『緑のカプセルの謎【新訳版】』(創元推理文庫

「信じないぞ」フェル博士は言う。「絶対に信じん。どうしても信じん。自分の目を信じてどれだけ混乱したか考えてみい。わしたちは錯覚の家やトリックの箱のなかを、特別に奇っ怪な幽霊列車のなかを移動しておるんだ。(…)マーカスがあのぐらい創意工夫に富んだものを考えだすのなら、ほかのトリックだっていいものを――いやさらにいいものを考えてもおかしくない。わしは見たものを信じんぞ。誓って、信じたりせん」

 心理学的な実験の最中、衆人環視に加えてカメラによって撮影されるなかで毒殺された男。目撃者の間で証言は食い違い、カメラの映像もあまり当てにならない。しかしその映像には、一発で犯人を見抜くある矛盾が隠されていた――。
 解決篇を目前に一席ぶたれる〝毒殺講義〟と、何よりタイトルに印象が引き摺られそうになるけれど、作品の眼目はまさしく〝眼目〟――すなわち〝見ること/見られること〟にある。視覚とメディアの探偵小説と云うわけだ。ミステリはそもそも見る/見られる/見えないと云うことに敏感なジャンルではあるけれど、あくまで手堅い謎解き小説として終始した上でここまでそのテーマを追究することに成功した作品はないのではなかろうか(そう云えば同時代のクイーンやクリスティーってあまりカメラをミステリのネタとして織りこんでいる印象がない。どうしてだろう)。見ると云うことは決して自明な行為ではなく、見えているものも見えているままとは限らない。そこには錯覚があり、見落としがあり、視点の違いがあり、先入の見がある。そう云った〝見る〟をとりまく陥穽に、本作は幾つものアイディアを仕込んでいる。もちろん作品内のトリックだけでなく、演出や叙述のレベルでも、たとえばプロローグ的な冒頭でのPOVなどは仕掛け(ミステリ的な意味ではない)としてとても面白いし、終盤で等身大に投影される映像の驚異なども素朴ゆえに新鮮に感じる〝映像体験〟描写だ。アイディアのシンプルさ、現象の鮮やかさに反して背景が複雑すぎないかと思いはするものの、本書も細部のアイディアやロジックがとても冴えていて――〝毒入りチョコレート事件〟の犯人の条件や、映像がヌケヌケと示していた矛盾など――、後半は楽しく読んでいた。ただ、最後の事件だけは流石に蛇足だろうと思う。
 あともうひとつ印象に残ったのは、フェル博士がかなりちゃんとしたひとだったこと。揺るがない倫理や常識のラインを弁えている大人が、しかし親しみやすいおじさんを演じているようで、ほかでもそうなのかはわからないけれど、ヒリつく状況を巧みに制御するので読んでいて安心できる。ヘンリ・メリヴェール卿の無茶苦茶さも見ているぶんには愉快だけれど。

 

ダニエル・リー『SS将校のアームチェア』(みすず書房

わたしはグリージンガーの写真を調べた。どの写真でも、薄い色のスーツを着ていた。つまり、民間人の服装だ。彼はハンサムで、髪を後ろになでつけ、しっかりした特徴的な顔をしていた。左頬の傷はどうしたのだろうか。隠されていた書類が慎重に選ばれたことは明らかだった。戦時中に発行された複数のパスポート、戦時債券、現金化されていない電信会社の株式の受取書、そして、法学で博士号を取得した二年後の一九三三年の日付がある、上級国家公務員二次試験の合格証明書があった。これらは明らかに、彼が所有するなかで最も貴重な書類だった。彼の身元と存在を完全に証明するものであり、とくに戦時下ともなれば、こうした書類がなければどうにもならないだろう。一方で、こうした書類が、その持ち主がどんな人物かをほとんど明かしていないことに、わたしは衝撃を受けた。わたしが手にしたグリージンガーの書類は、すべてを語っていながら何も語っていなかった。

 小説ではないのだけれど、じゃあ歴史書やノンフィクションの類いかと云うと微妙なところで、著者ダニエル・リーの主観や個人的経験が強く入りこんでいる。しかもそれを一見抑えて学術的態度に徹しており、おおむね成功しているのだけれど、ハードボイルド小説とくにロス・マクドナルドのそれのように粛々とした記述のなかに伏流していたエモーションが顔を覗かせる瞬間が随所にあって油断ならない。しかしその点こそ、本書を面白い読みものにしている。長文エッセイと捉えるのが収まりが良いかも知れない。そもそもヨーロッパの人間が自分の家族や街の来し方をたどっていけば第二次世界大戦にぶつかるのは珍しいことではなく、ゆえに本書の調査行において、グリージンガーと云う一見著者と関係ない人間の人生を再構築するうちに、著者は自身のルーツや家族にも触れることになる。そうして浮かび上がってくるのは、歴史のなかに位置付けられる個人/個人から浮かび上がる歴史と云う双方向的な過去についての記述であり、記憶と忘却の鬩ぎ合いだ。本書は断片的な記憶や記録を結びつけながらひとりのナチ将校の人生と彼をとりまくもの――同僚、家族、組織、文化、民族、思想、歴史――を再構築してゆく一方で、記憶の忘却や記録の消滅による断絶も、テーマとして問いかける。その旅のほぼ終着点と云って良い、グリージンガーの墓にたどり着く場面は出来すぎなまでに見事だ。記憶と記録が互いに互いの誤りを暴きながらも補い合って、忘却のうちにあるひとつの墓と、しかし忘却に抗うようなふたつのキャンドルにまで著者を導いてゆく。しかもその後も、グリージンガーの人生とそれを探る旅は終わっても、残された者たちの人生は続いてゆくのだ。ここにはたくさんの死者があり、ある意味ではそれとまったく同じ意味において、たくさんの人生がある。遺された家族にも。グリージンガーの隣家にも。グリージンガーの家にいま住んでいる家族にも。調査の発端となった椅子の持ち主にも。そして著者のダニエル・リーにも。
 傑作。

 

R・A・ラファティ『町かどの穴――ラファティ・ベスト・コレクション1』(ハヤカワ文庫)

「いや、信じてくれたまえ、スミルノフ。あれはそれ以上のものだ。ちがった目で見た世界は、もうおなじ世界ですらないかもしれんぞ。ぼくはこう考えている。われわれが一つと見なしているものは、実は数十億のちがった宇宙で、どれもたった一人の目に合わせて作られているのかもしれない、とね」

(「他人の目」)

 宇宙最強のSF作家、ラファティのベスト盤。今回は〝アヤシイ篇〟とのことで、ラファティのなかでも奇妙な作品、世界が奇妙であるような作品が集められているようだ。それはつまりある意味でベスト・オブ・ラファティとも云えるわけで、ある意味で初心者に相応しく、ある意味で初心者に向かないかも知れない。ただ、一読すればラファティがいかに誰にも似ていない作家なのか、評するにあたって〝ある意味で〟と何度も繰り返してしまう計り知れない作家であるのか、〝宇宙最強〟なんて過大な言葉をついぼくが使ってしまうのかを察することが出来るだろうと思う。なお、個人的に偏愛している「素顔のユリーマ」や「レインバード」は第2巻『ファニーフィンガーズ』収録。こちらは〝カワイイ篇〟だと云う。
 ここまで知った顔で書いてきたけれど、ぼくはラファティのあまり良い読者ではない。書誌情報によれば2/3くらい既読のはずだけれど――ハヤカワ文庫から出ている短篇集3冊は全部読んだはずなので――内容がさっぱり思い出せなかった。読んだのがかなり前で、しかも当時はよくわからなかったと云うこともあるものの、何よりラファティの内容をきっちり覚えることはぼくにとってはかなり難しい。読んでからまだ間もないいまも記憶が滑り落ちてゆくような感覚がある。荒唐無稽なら荒唐無稽だとして印象に残るのだけれど、ラファティは無茶苦茶なことはあれど荒唐無稽ではない。そこには何かしらロジックがあるのだ。と云うか、実はそんなにオカシなことはないはずなのに、ほら話と評される文体で、何かオカシナものをみた気分にさせられるのかも知れない。本書収録作では自分の分身が出現する「クロコダイルにアリゲーターよ、クレム」や、蝶番がひっくり返ることで正反対の人間が出現する「世界の蝶番はうめく」あたりが例としてわかりやすいだろうか。設定だけ聞けば奇想と括れそうなものを、ふざけたおすでもなく、思弁に耽るでもなく、しかし物語のなかでのロジックを通す。その読書体験はさながら度の強い眼鏡で世界を見るかのようだ。それを常用する人間にはそのように世界が見える。本書収録の「他人の目」なんてまさしくそんな物語だ。眼鏡を外せばどのように見えていたのか急速に忘れていってしまう自分はやはりラファティの善き読者ではないのかも知れないけれど、自分もまた度の強い眼鏡をかけた人間であることを知ると云う点において、ラファティは昔読んだときから、自分にとってSF体験の重要な位置を占めている。今回の再読ではやはり凄い作家だと認識を確かめるだけでなく、可笑しさや恐ろしさを貫くにあたってふるわれる文体の外連味や語りのクールさを知ることが出来た。「クロコダイル~」の結末の語りなんて痺れるほどだ。あるいは、「その町の名は?」の、滑稽なまでに奇妙な状況のなかで失われてしまったものの大きさ、そしてそれを誰も憶えておくことができないと云う哀しさ、その哀しささえも誰も留めおけない切なさと云ったエモーションも忘れ難い。こちらは「レインバード」に通じる、ぼくの好きなラファティと云う感じがする。

 

 そろそろ年間ベスト記事も書かないと。