鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

文体の舵を取れ:練習問題⑦視点(POV)問二・三

 四〇〇〜七〇〇文字の短い語りになりそうな状況を思い描くこと。なんでも好きなものでいいが、〈複数の人間が何かをしている〉ことが必要だ(複数というのは三人以上であり、四人以上だと便利である)。出来事は必ずしも大事でなくてよい(別にそうしてもかまわない)。ただし、スーパーマーケットでカートがぶつかるだけにしても、机を囲んで家族の役割分担について口げんかが起こるにしても、ささいな街なかのアクシデントにしても、なにかしらが起こる必要がある。
 今回のPOV用練習問題では、会話文をほとんど(あるいはまったく)使わないようにすること。登場人物が話していると、その会話でPOVが裏に隠れてしまい、練習問題のねらいである声の掘り下げができなくなってしまう。
問二:遠隔型の語り手
 遠隔型の語り手、〈壁にとまったハエ〉のPOVを用いて、同じ物語を綴ること。

問三:傍観の語り手
 元のものに、そこにいながら関係者ではない、単なる傍観者・見物人になる登場人物がいない場合は、ここでそうした登場人物を追加してもいい。その人物の声で、一人称か三人称を用い、同じ物語を綴ること。

 前回はこちら。

washibane.hatenablog.com

問二:遠隔型

 白地に薄黄色の花柄が散りばめられたテーブルクロスの上には立方体を幾つも組み合わせた蛇のような積木がゆうに四十個は並び、赤、青、緑、黄、それぞれの色である程度分けられているその山を、三人分、六つの手が取り囲んでいる。色黒で指が太いふたつは忙しなく指でテーブルを弾き、色素が薄く線が細いふたつはべったりと掌をクロスのマットな表面に押しつけ、毛深いふたつはむかいあわせにして卵を包むように膨らんでいる。テーブルの隅には先週の雑誌と背色の褪せた文庫本と表紙がはずれかかった辞書ともう空っぽになったティッシュペーパーの箱とが積み上げられ、そのてっぺんにある砂時計が第七の手で抓まれるようにしてひっくり返された。三番、とテーブルの上から声が落とされる。六つの手が一斉に動き出す。色黒のふたつは赤い積木を一方に持って、もう一方で黄や青の積木と組み合わせては外していく。その向かいの華奢なふたつは焦る様子もなく赤、黄、緑と積木を組み、隣のふたつは指で積木の形を確かめるようにひとつひとつ取り上げては握りしめていた。砂時計が半分を過ぎる。闇雲に組んでは外してを繰り返していた両手はいつの間にかゆったりとした手つきになって立体物を作りつつある。向かいの両手は最前の落ち着きをなくしている。積木を触っていた手はもはや中空に投げ出されていた。くびれた硝子容器のなかでは山が平らになり、やがてすり鉢状となって時間の経過を示している。色黒の手が震えながらテーブルの中央へ飛んでゆく。向かいの手がつかの間止まる。その空隙のような一瞬に、両者に挟まれた手が積木をコの字の立体へ組み上げている。

問三:傍観者

 ちょうど探偵が推理を話すところだったから、このゲームの参加は見送った。代わりにタイムキーパーを仰せつかって、わたしは右手で開いた文庫本の探偵の推理を拝聴しながらゲームの開始を宣言し、左手で砂時計をひっくり返す。視界の端で谷中と嘉山と植野が一斉に、テーブルのピースを手に取った。かちゃかちゃと鳴る軽い音は素材が木製だからか芯のところに柔らかさがある。三人から少しく離れてその音を聴くのは久しぶりだった。そこにウボンゴがあるならばいつも参加するからだ。わたしはゲームに真剣になれない性分だけれど、ウボンゴは別だった。いや、正確には、真剣にならないことが楽しい唯一のゲームだった。真剣になれば視野が狭くなる。視野は広く、心は気楽に、能うならば、無に。その境地でパーツとパーツは収まるべき場所に収まるのだ。探偵の推理のように。だから推理研に相応しいゲームだ、と云ったのは一回生の頃のあんただっけ、植野? テーブルの対面に坐る彼を横目で見ると、ピースから手を離して眉間に皺を寄せていた。ねえ植野ってば大丈夫、と茶化してやる。きり、と彼の口角が上がった。どうしてウボンゴがサークル活動になるの、と訊ねたときに返されたのと同じ笑みだ。ゲームに参加していたらとても眺める余裕のないその笑みを見られたのは役得だろう。彼は迷いなくピースを組んだ。視線は手許に落とさなかった。彼はまっすぐわたしを見て、云う。「ウボンゴ」。それからまだウボンゴをめざして足掻く後輩ふたりにそれぞれ一瞥をくれて、肩を竦めた。そう、あのとき彼はこうこたえたんだ。「いつかはウボンゴも活動になるさ」。そして、伝統になってゆくのだと。

コメント
  • 問二の元ネタはスティーヴン・ミルハウザー「探偵ゲーム」。同じ客観的な描写でも、情報の質が若干違ってしまっているのが気になる。たとえば《立方体を幾つも組み合わせた蛇のような積木》と《先週の雑誌》は情報の質が異なっている。
  • 問三は傍観者にできなかった。もうちょっと解説役として語らせる予定だったのだけれど、なぜか植野のことしか語ってくれない。そして最後に歴史的遠近法の彼方で古典になってしまったので、棄てがたくて提出してしまった。