駄目になっていた。ひとと話すときはいつもの調子に戻るのだが、ひとりになると駄目になってしまう。ただ、用事がない限り出席しようとしていた読書会を、駄目になっているうちに無断欠席してしまった(スマホもまったく見ていなかった)ことをうけて、流石に駄目になっている場合ではない、と思った。文体の舵を取ることもできていない。たぶんこのままだと次も参加できない。そのままぐずぐずと自然消滅してしまいそうな気がして怖い。
駄目になっていた理由と考えられることは幾つもある。
- 実家の引越し、およびそれに伴う断捨離
- 以前の日記にも書いたとおり実家が年内に引越すと云うことで、自室の本を整理した。
- 実家がなくなる、と云うことがここまで精神的につらいことだとは思わなかった。犬はひとに懐き、猫は場所に懐くと云うけれど、ならばぼくは猫なのだろう。
- 就活が現実的になってきた
- 公務員試験は思っていたよりも厳しいものではないのかも知れない、とわかってきて2月初めは気楽に構えていたのだが、人物試験対策講座なるものを一度受けてみて、まあ、これは就活全般に云えることだと思う、つまりはエントリーシートに書くための「人生で何を体験し、どう成長したか」エピソードの作製や、面接のお作法などを、断片的にであれ教えられ、自分でも想像以上に精神的な苦痛を覚えた。気持ちが悪いと思った。
- もうすぐモラトリアムの日々も終わってしまうのだ、と云う自覚も手伝って、心が軋みを上げている。
- 休学期間が終わる
- 休学に至るまでの相談に乗ってくれた教授に、進学をやめて就活を考えていることを相談しなければならない
- この半年間なにをやってきたんだ?と云う虚無感に苛まれている。
- 先輩たちの卒業
- 置いて行かないでほしい。
- 創作がうまくいかない
- 本当はこの半年間でバリバリ創作に励むつもりだったが、書けたものと云えば短篇「返却期限日」くらいである。
- ミステリーズ新人賞に向けて短篇小説をひとつ、2月上旬に書き上げたものの、自分でも納得のいく出来とは云い難く、ひとに見せてもいままでの評判を越えるものではない。書くことによってひとつの経験にはなっても、コンテストに送ることができる代物ではなかった、と云うことだろう。
- 当該原稿を読んでもらった先輩から云われた「驚かせるためにやっているわけではない、と云うのはスタンスとして潔いが、もっと驚かせても良いのではないか」と云う言葉はかなりアイデンティティクライシスをもたらした、と云うか、そもそもぼくは何が面白いと思って書いていたんだっけ、何が書きたかったんだっけ、それは正当なものなんだっけ、と云った諸々がわからなくなった。
- なんで書いてるんだっけ。
- 明言しておくけれども、アドバイス自体はしごく真っ当なものであって、その真っ当な意見にショックを受ける程度に、自分が駄目だった、と云うことです。その先輩には感謝しています。いつか指摘されるべきことだった。
- 同じ頃、鮎川哲也賞に向けて書きはじめていた連作中篇も、2万字時点で見切りをつけて没にしてしまった。自分の文体を捨てようとしながら手癖に頼った、腐臭のする文体が、本当に気色悪い。
- どんどん小説が下手になる。
- と云うわけで、ミステリーズ用に書いた3万字ほどの短篇と合わせて、2月の前半を費やした5万字を棄てることにした。
- かなり精神的にダメージを負っている。小説を書くのを止めようと、日中、何度も考える。
- これは良い、次こそは良いものが書ける、と思ったアイディアを転がして一時間後には駄目だこれは、と棄てている。そう云うことを繰り返して時間を浪費している。無駄。無駄。無駄。無。無。無。
- 何かを読んで蓄積することもできていない。
- この半年間、いやこの一年間で、小説の書き方を身につけようと思って、結局、わからないことの方が増えた。あらかじめプロットを考えようとすると書いているうちに土台や骨組みが腐りはじめ、考えながら書いているとろくに家が建たない。
- そもそもこの四年間はずっと無駄なことをしていたのではないか、とも思う。
- しょうもない恰好ツケに費やしてしまったのではないか、と云う恐怖がある。
- 「驚かせるためにやっているわけではない、と云うのはスタンスとして潔いが、もっと驚かせても良いのではないか」
- それは本当にその通りだ。でも、じゃあ、どうやって?
- 「自分が面白いと思うものを書けば良い」
- それもまた真だ。でも、じゃあ?
- どうやって?
- ぼくは何を書いてるんだっけ?
- ぼくは何を書きたいんだっけ?
変わらなければならない。
でも、じゃあ、どうやって?