鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

文体の舵を取れ:練習問題⑨方向性や癖をつけて語る 問三

問三:ほのめかし
この問題のどちらも、描写文が四百~千二百字が必要である。双方とも、声は潜入型作者か遠隔型作者のいずれかを用いること。視点人物はなし。

①直接触れずに人物描写――ある人物の描写を、その人物が住んだりよく訪れたりしている場所の描写を用いて行うこと。部屋、家、庭、畑、職場、アトリエ、ベッド、何でもいい。(その登場人物はそのとき不在であること)

②語らずに出来事描写――何かの出来事・行為の雰囲気と性質のほのめかしを、それが起こった(またはこれから起こる)場所の描写を用いて行うこと。部屋、屋上、道ばた、公園、風景、何でもいい。(その出来事・行為は作品内では起こらないこと)

前回の続き。

washibane.hatenablog.com

提出作品:問三①直接触れずに人物描写

 窓の錠はねじが抜けて格子枠のガラス戸が開き、春の風を室内に吹き込んでは、ぎい、ぎい、と軋んで揺れる。中庭の噴水に集う学生たちの声が言葉を言葉として分節できないほどの音となって風に搬ばれてくるけれど、灯りの落とされた室内には窓から外を見下ろす者も、耳を澄ませる者さえいない。空っぽの、肘木の曲線が優美なアームチェア。空っぽの、広々と奥行きのあるデスク。空っぽの、象牙色の壁に囲まれた小さな部屋。和毛のカーペットが隅に除けられ、恰度その矩形と同じかたちに部屋の住人がかつてやって来たときのままの色を残す桜材の床は、大小様々な段ボール箱が山と積まれている。空っぽの本棚。空っぽのキャビネット。空っぽの抽斗。中身は全て山のなかだ。箱の側面にはマジックペンの几帳面な字で「学生レポート」「紀要・論文集」「書類(処分)」「学会資料」「手紙」「書籍(研究)」「書籍(趣味)」「書籍(贈りもの)」――要するに全て紙だった。差し込む午後の陽が紙の山を照らし、影に幾何学模様のパターンを作る。箱にしまわれないまま残された一冊、山のてっぺんに投げ出された大判のアルバムは臙脂色をした厚手の扉が開きっぱなしで、ぴら、ぴら、と風が一枚ずつ記録を捲り、記憶を巡る。アカデミックガウンに身を包んだ学生の姿がある。講堂で発表に臨む学生の姿がある。宴会で酒と議論を交わす学生の姿がある。そこに撮影者の姿はなく、部屋のあるじは顔を見せない。風が吹く。ページが終わる。背表紙に挟まれていた真新しいポラロイド写真が吹き上がる。裏に走り書き。「あなたから学んだことを忘れない」。

提出作品:問三②語らずに出来事描写

 埃っぽいと少年は感じる。けれどもそれはたぶん、場内に充満する酒気、換気されていない半地下の澱んだ空気、大人たちの交わす高揚と嘲笑を孕んだ会話、燃えるような呼気、ひりつくような喧噪、そのなかにひとり紛れ込んでしまった子供にとって怖ろしくてたまらない全てへの緊張がもたらす息苦しさを、ざらついた粒子として感じたに過ぎない。止まり木と椅子を最低限設えただけの店、無骨な男どもを過剰に明るい蛍光が皓々と照らす。男たちは揃って着古したジャケットに履き続けて襤褸のようになったジーンス、それによれたカウボーイハットの出で立ちで、少年の父親は彼らのなかでひとり、ごく平凡な白のワイシャツ姿だった。止まり木に肘をかける父の手を少年は握る。父親はその手を握り返すけれど、視線は店の中央にやったままだ。男たちの太い胴の隙間から少年は、なんとか父親と同じものを見ようとする。ぽっかり開いた空間に、ふたりの男が相対している。大きな図体で仁王立ちになった、牛のような腕を組んだ彫りの深い男。対照的に小柄な背をさらに丸めて膝に手をつく、蛙のように顔の潰れた男。少年はどちらも見ることができない。観衆の会話はがなり立てるように大きすぎるか囁くように小さすぎるかのどちらかで、少年は何がどうなっているかも把握できない。誰かが囃し立てる。牛が腕を広げる。蛙が頭を上げる。周囲の男たちの体温が上がる。父親が手を振りほどく。少年は叫びたくなる。

コメント
  • ①は自信作。アルバムを捲らせるのはちょっとずるい気もするけれど。
  • 追憶するような話しか書けない……
  • ②は以前文章練習で書いたもののリライト。POVが曖昧なものになっているうえ、これはすでに「何かが起きている」のではないか、と云う指摘もある。