鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

 進捗がない。


「開けなさい」
 ノックと云うにはあまりに激しい、こぶしが扉を撲る音。窓の鎧戸が下ろされ明かりも落とした部屋、立方体にぴたりと詰まった暗闇のなかで、少年は布団を頭から被る。両手で耳を塞ぎ、ベッドの上に壁を向いて蹲る。瞼を閉じる。歯を食いしばる。それでも喉の奥から震えが這い上がってくる。
「開けなさい!」
 扉越しの声は収まらず、扉はいっそう強く撲られる。振動が部屋全体を揺らしているような気がする。膝のあいだに頭を埋め、少年は涙をこらえる。
「お前は何をしたのかわかっているのか!」
 眦が濡れるのを抑えられない。嗚咽するのを我慢できない。弱虫、弱虫……、少年は自分で自分を罵りながら、世界の終わりを祈っている。


 明かりの落とされた講義室は暗幕も閉めきられ、中央の映写機から放たれる光だけが登壇者の顔を照らす。彼女は椅子に浅く腰掛けながら、スクリーンに映された写真が自身の語りにしたがって切り替わるのを見つめている。


 男が女を呼び止める。自販機が並ぶだけの休憩室は、静寂が求められる図書館で唯一声を出せる場所として学生たちが集っている。
「やっぱり、駄目ですか」
 男の声には、哀願が滲む。女はただかぶりを振って、駄目じゃない、と云う。光差す彼の顔は、しかし続く、でもね、と云う逆接を聴いて翳る。
「でもね、わたしは、乞われたくないんだ」
 ふたりの会話は低く抑えられたものだ。まるでそこでは何も起こらなかったかのように、彼女は部屋をあとにする。残された男が入り口を塞いでいると、三人組の男女が文句を云う。けれど男は、
「違う、違う、違う……」
 そう繰り返すばかりだ。


 波戸岡キヨが倒れたのは夕食を終えてすぐだった。いつもはひと品につきひと口ずつしか食べないのに、その日は主菜を残さず平らげている。最後の晩餐と云う言葉を連想しないはずはなかったが、食事を見届けた介護士は、身体が栄養を求めたんですよとしか述べなかった。わきまえたひとだと成瀬は思ったと云う。ベッドに行き着くまでの数メートルを歩ききることのできなかったキヨを見て、彼は落ち着いて対応した。呼吸と意識の確認、その場でできる最低限の介抱と、速やかな通報。救急車は十分もかけずに到着した。午後八時には、波戸岡家と成瀬家の親族がキヨの病室に集まっていた。今夜が山です、と医者は告げた。一同は慌てなかった。キヨが病院に運ばれるのはこの半年間で三度目だ。夫の銃吾を亡くしてから、彼女は見るからに弱り、やつれ、急速に病で冒されていた。


 以上の文章は、進捗とはとくに関係がない。