鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

創作「ウボンゴ小説集」

 『文体の舵を取れ』の練習問題⑦ではウボンゴ小説と呼ぶべき掌篇を提出した。この記事は過去複数回にわたって発表したそれらのまとめ版。なぜまとめたのかと云うと、ウボンゴが話題に出るたびにリンク貼るのに、記事が複数あると面倒だからだ。最近はゲーム小説熱がにわかに高まっているとも聞くことだし。

booth.pm

 同じような話をさまざまなPOVで書き換えている課題だったけれど、ここでは気にしてもらわずとも構わない。なお、ウボンゴ3Dの実際のルールとは微妙に異なっていることを注意してほしい。
 元記事は最後に。

1

 三番、と桐島が云って、片手で開いた文庫本から視線を逸らさないまま砂時計をひっくり返す。谷中が手許のシートに眼を落としたとき、はじめ、と桐島の気怠い声がした。三番。儀式のように各々がそう口にし、卓上で六つの手が動きだす。正面の嘉山は与えられたピース同士を闇雲に組み合わせ、隣の植野はひとつひとつのピースを矯めつ眇めつし、谷中は迷うことなく順番に、ピースをシートへ置いてゆく。パターンなんだよ、と谷中はほくそ笑む。指定された図形は立方体に欠けがあって真四角に近く、けれど与えられたピースはキューブが蛇のように伸びていた。こう云うときはピースの長さを処理しようとして縦横に並べるのではなく、むしろ対角線を作るように噛み合わせるべきだ。パズルは直感を裏切る。だから直感を信じない。データとパターンに基づくこと。谷中はちらと右を見た。そう教えてくれたのはあなたですよ、植野さん。植野は眉間に皺を寄せ、ついにピースから手を離した。嘉山も変わらず進捗がない。いける。谷中は最後の二ピースの組み合わせを急いで検討しはじめた。こうか。こうか? いや? 静かな狭い部室のなかでかちゃかちゃと云う音が忙しない。ねえ植野ってば大丈夫、と桐島が云う。焦る内心で谷中は思う、先輩じゃなくてぼくを見てください、桐島さん! しかしいつまでもピースが合わない、なぜだ。訝しがると同時に気づいた。思わず顔を上げる。テーブル中央のピースの山を見る。その向こうで状況を察したのだろう嘉山が嗤った。ピースの取り間違い。背筋が凍る。砂時計はもうほとんど落ちている。桐島が呆れたように溜息。植野はピースを手に取る。やめろ、と谷中は叫びたくなる。植野の手は迷いなく、コの字の立体を組み上げた。絶望のなか、谷中は植野の宣言を耳にした。「ウボンゴ」。


2

 ウボンゴは苦手だけれど、みんなでウボンゴをするこの時間は大好きだ。嘉山は袖をまくった。三番、はじめ、と桐島が云う。三番、と全員が図形を確認した。そうして二分間の知的遊戯がはじまる。すべてはパターンだと谷中はいつも云うけれど、そのパターンがきっちり当てはまったところを嘉山は見たことがない。むしろ彼女は、あんなの適当で良いの、と云う桐島の教えに従っていた。あれこれ適当にピースを組み合わせて正解への取っ掛かりを探す。ランダムな組み合わせが閃光のようにこたえを示すのを待つ。こうか、あれか、そうだ、こうだ! 嘉山の研究生活にも、引いては大学生活にもその教えは当てはまった。ランダムな衝突が思いがけず綺麗な形を生むのだ。所属も年齢も違うわたしたちがここでウボンゴに興じているように。考え込む谷中くん、泰然自若でゲームに臨む植野先輩、興味ないような素振りで進行を見守る――ほら、いまも先輩に声をかけている――桐島さん。やがて嘉山にもこたえが見えてきた。あとは細部を詰めるだけだ。ほかの状況を見ようと視線を上げたら、谷中が青ざめた顔をしていた。応援する気持ちで嘉山は笑った。植野はピースを手に取って追い込みをはじめた。頭のなかで組み上げてあとはピースをその通りに配置する、人間離れしたその業を、植野はたまたまだといつもとぼける。「ウボンゴ」。結局今回も一位は植野だった。嘉山も追いかける。谷中は茫然としているけれど、手を動かすのをやめはしなかった。あと何回、こんなふうにウボンゴできるだろう、と嘉山は思う。

3

 白地に薄黄色の花柄が散りばめられたテーブルクロスの上には立方体を幾つも組み合わせた蛇のような積木がゆうに四十個は並び、赤、青、緑、黄、それぞれの色である程度分けられているその山を、三人分、六つの手が取り囲んでいる。色黒で指が太いふたつは忙しなく指でテーブルを弾き、色素が薄く線が細いふたつはべったりと掌をクロスのマットな表面に押しつけ、毛深いふたつはむかいあわせにして卵を包むように膨らんでいる。テーブルの隅には先週の雑誌と背色の褪せた文庫本と表紙がはずれかかった辞書ともう空っぽになったティッシュペーパーの箱とが積み上げられ、そのてっぺんにある砂時計が第七の手で抓まれるようにしてひっくり返された。三番、とテーブルの上から声が落とされる。六つの手が一斉に動き出す。色黒のふたつは赤い積木を一方に持って、もう一方で黄や青の積木と組み合わせては外していく。その向かいの華奢なふたつは焦る様子もなく赤、黄、緑と積木を組み、隣のふたつは指で積木の形を確かめるようにひとつひとつ取り上げては握りしめていた。砂時計が半分を過ぎる。闇雲に組んでは外してを繰り返していた両手はいつの間にかゆったりとした手つきになって立体物を作りつつある。向かいの両手は最前の落ち着きをなくしている。積木を触っていた手はもはや中空に投げ出されていた。くびれた硝子容器のなかでは山が平らになり、やがてすり鉢状となって時間の経過を示している。色黒の手が震えながらテーブルの中央へ飛んでゆく。向かいの手がつかの間止まる。その空隙のような一瞬に、両者に挟まれた手が積木をコの字の立体へ組み上げている。

4

 ちょうど探偵が推理を話すところだったから、このゲームの参加は見送った。代わりにタイムキーパーを仰せつかって、わたしは右手で開いた文庫本の探偵の推理を拝聴しながらゲームの開始を宣言し、左手で砂時計をひっくり返す。視界の端で谷中と嘉山と植野が一斉に、テーブルのピースを手に取った。かちゃかちゃと鳴る軽い音は素材が木製だからか芯のところに柔らかさがある。三人から少しく離れてその音を聴くのは久しぶりだった。そこにウボンゴがあるならばいつも参加するからだ。わたしはゲームに真剣になれない性分だけれど、ウボンゴは別だった。いや、正確には、真剣にならないことが楽しい唯一のゲームだった。真剣になれば視野が狭くなる。視野は広く、心は気楽に、能うならば、無に。その境地でパーツとパーツは収まるべき場所に収まるのだ。探偵の推理のように。だから推理研に相応しいゲームだ、と云ったのは一回生の頃のあんただっけ、植野? テーブルの対面に坐る彼を横目で見ると、ピースから手を離して眉間に皺を寄せていた。ねえ植野ってば大丈夫、と茶化してやる。きり、と彼の口角が上がった。どうしてウボンゴがサークル活動になるの、と訊ねたときに返されたのと同じ笑みだ。ゲームに参加していたらとても眺める余裕のないその笑みを見られたのは役得だろう。彼は迷いなくピースを組んだ。視線は手許に落とさなかった。彼はまっすぐわたしを見て、云う。「ウボンゴ」。それからまだウボンゴをめざして足掻く後輩ふたりにそれぞれ一瞥をくれて、肩を竦めた。そう、あのとき彼はこうこたえたんだ。「いつかはウボンゴも活動になるさ」。そして、伝統になってゆくのだと。

5

 こんな繰り返しを想像してくれ。正方形と正方形が頂点をつなぎ合わせてグリッドをなし、秩序立てられた景色が果てしない。規則正しいその格子柄を目印にして、立方体が幾つも接着した多様な形状のピースを布の上に散りばめてゆく。――これは駅。これは広場。これは大学。置いてゆくうちに布がぴったりとついているテーブルの天板の微妙な凹凸がわかってくる。ないように思われた果てもテーブルの縁から滝のように垂れ落ちる切れ端として存在すると知れる。――これは部室棟。これはその西館。そうして段々、身近になって、彼らはそのなかにいるのだと想像してほしい。現実はどうであれ構わない。彼らにとっていまこの瞬間、部室の外なんてテーブルの上のウボンゴの並びと大差ない。問題は部室のなかだった。中心は、テーブルの上のウボンゴだった。
「三番」
 彼らのひとりの気怠げな声が部室に響いて埃っぽい大気に消える。
 室内は六畳あろうかと云う正方形。四方の壁はところどころに罅の走ったコンクリートの表面を剥き出しにして、天井近くに細長く取られた明かり窓から差し込む午後の陽が北側の壁一面に貼られたポスターと歴代会員の名簿と誰のものとも知れない署名の落書きを菱形にかたどっている。反対に明かり窓の真下の暗い陰で壁を埋めるのは古びて撓んで崩れかけた木製の書架だ。棚が本を収めているのか、本が棚を支えているのかわからない。最前に番号を唱えて手許の砂時計をひっくり返した彼女は名を桐島と云って、その本棚を背に坐っていた。彼女の眼前のテーブルで、ウボンゴは佳境を迎えている。
「三番」
 そう繰り返してピースを手に取った三人のウボンガーは桐島と合わせて四角いテーブルを取り囲み、桐島から見て左手が嘉山、そのまま時計回りに植野、嘉山と云う。各々のスタンスはまるで違った。谷中はピースをあらかじめ身につけた手順通りに組み合わせ――パターンなんだよ、パターン――反対に彼の正面、嘉山は闇雲にピースをぶつけ続ける。――こうか、あれか、そうか、そうだ! 分厚く光沢のないクロスの上で蠢く六つの手。着実ゆえに迅速な谷中と拙速ゆえに緩慢な嘉山に挟まれて、桐島の対面、植野はピースのかたちをひとつひとつ確かめるばかりで組む様子もなく、挙句にはピースから手を離す。
「ねえ、植野ってば大丈夫」
 たまらず桐島は声をかける。それを聞いて谷中は胸を焦がす――先輩じゃなくてぼくを見てください、桐島さん。けれども谷中のウボンゴは完成しない。当然だ。彼はピースを取り間違えている。それに気づいて慌てはじめてももう遅い。植野は瞼を押し上げてピースを持ち上げ、解答を知っているかのように滑らかに、コの字の立体を組み上げた。
「ウボンゴ」
 喘ぎながら谷中は頭を掻く。黙々と組んでいた嘉山が彼の絶望も知らないまま彼を追い抜く。砂時計が無慈悲に時を刻む。滑り落ち続ける砂を陽が照らし、容器のプラスチックに反射する。ゲームは終わろうとしている。植野は対照的な両脇のふたりを見やって肩を竦める。桐島が植野に頬笑む。その頬笑みを植野は何度も見てきた。これまでも。おそらくはこれからも。そうしてゲームは繰り返される。植野の両の掌に包まれる、部室棟と似た立体の、そのなかの部屋の、そのなかのテーブルで。植野は思う。
 ――そんな繰り返しを想像してくれ。

元記事

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