鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

読書日記:2022/12/15 ジェフリー・ディーヴァー『魔術師』

 中世的でありながら未来的なパレードは、催眠薬のようだった。そのメッセージは誤解のしようがなかった――テントの外に存在するものは、ここでは価値を持たない。人生について、人間の性質について、そして物理の法則について学んできたことは、すべて忘れること。心臓はいまや自らのリズムに従って鼓動するのではなく、小気味のよいドラムに合わせて動いている。魂はもはや自分のものではない。魂は、ゆっくりとイリュージョンの世界へと誘うこの世のものとは思われぬパレードにすでに奪われている。


 ディーヴァーは嫌いではないが好きでもない。そもそもそんなに読んでいない。それならば食わず嫌いせず読んでみれば良いものを、世評の高さを受けても食指がなかなか動かない理由は、ミステリにサーカス小屋であることを求めているわけではない、と云うことに尽きる。いざ読みはじめればページをめくる手は止まらないし、人並みにハラハラドキドキさせられて、どんでん返しに驚かされはするが、イベントが終了してテントを出たあとの虚しさがぼくには耐えがたい。おそらく道はそこで分岐している。虚しさよりも高揚が勝るひと、また別のサーカス小屋へ急ぐひと、そこでおこなわれたことに困惑しながら帰りを急ぐひと。ひとり目になれることもあるしふたり目になれたこともあったけれど、いまのぼくは三人目で、熱っぽい雑踏のなかで俯きながら駅を目指している。
 しかし、サーカス小屋であることに自覚的すぎるほど自覚的である本書は例外だ。最後にはなんとかサーカス小屋として持ち直すものの、中盤、ぼくは見逃さなかった――テントは自重で倒壊しかかってた。それはエンターテインメントが拭い去ることのできない歴史の重みだ。

 9・11の傷痕から癒えきっていないニューヨークで、イリュージョンの演目になぞらえた連続殺人が起きる。常人離れした手先の器用さ、ミスディレクションの技巧を駆使する殺人者〈魔術師〉の狙いは何なのか。そのショーが行き着く舞台はどこか?
 小説は捜査者だけでなく、殺人者の視点を交えながら、互いが互いの裏を読み合い、濃密に展開してゆく(最初の事件から犯人の逮捕まで2、3日しか経っていない!)。その読み合いをとくに中盤以降盛り上げるのは、「別のもので注意を逸らす」と云うミスディレクションの多重仕掛けだ。裏の裏は表、その裏はさらに裏。そうして何度もひっくり返るうち、やがて真偽も虚実も曖昧になって幻惑的な印象を与える。早変わりをくり返す殺人者がやがて曖昧な存在となるように。
 しかし、そうした幻惑のなかで事件をさらに複雑化させるのが人種差別のテロリズムである。ネタバラシを避けるため詳しくは述べられないが、本書の中盤から後半にかけて核となるのは人種主義的な意味での「白か、黒か」だ。9・11以後の分裂、いまなお残るアメリカの断絶が、このショーには持ち込まれている。それは娯楽に社会を持ち込むような野暮だろうか? しかし、ミンストレルショーやバーナムを思い出してみれば、エンターテインメントはその歴史のなかで特定の人々を見世物としてきたのではないか? あるいは、不可視に?
 作中、刑事が人種主義について、白も黒もない、と考えるシーンがある。表も裏もわからなくなってゆく本書において、その言葉は単なる人種主義批判に留まらない、固有の響きを持つ。
 解説で法月綸太郎は、9・11以後の不穏に対してディーヴァーがエンターテインメントへ内向することで抵抗を示しているのではないか、と推理するが、しかしその解説で触れられていない人種主義のテーマを踏まえるならば、ディーヴァーは内側へ沈み込むことで、エンターテインメントが根源において抱える暴力へとアプローチしている、そう考えられないだろうか。そもそも〈魔術師〉を殺人者として仕立て上げたのは、エンターテインメントが演者に強いる暴力であり、観客に強いる嗜虐だった。
 もちろんこれは深読みが過ぎる。何より、リンカーン・ライムと云う障害者を主人公としているディーヴァーにとって、それは自己矛盾を突き続ける道だ。小説は終盤、大団円へ向けて一気に立て直す。殺人者は逮捕され、驚きの真相が明かされ、メインキャラクターたちは各々「成長」や「変化」を遂げる。
 しかし、その大団円は実のところ大団円ではない。人種主義のテーマはわきに追いやられるし、死ひとつひとつが掘り下げられることはない。
 ぼくは求められていない観客かもしれない。しかしどうにも、エンターテインメントのためにそうして語り落とされてしまった箇所が気になる。そこにこそ本書を魅力――作品の自省、葛藤、苦悩、ゆえの捩れ――を見いだす。テントからの帰り道、頻りに首を傾げながら、自分が何を見たのか、見なかったのか、見せられたのか、見せられなかったのか、考えつづけるのだ。