鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

「我々は前向きに思い出す」

 何も急ぐことはありません。生長を待たなくてはなりません。じっくり育ってゆかせなくてはなりません。やがていつかその時が来たら、立派な作品ができるというのなら、それに越したことはありません。
 わたしたちは探求してみなくてはなりません。そのために、部分は発見されたのですが、まだ全体を見出すまでにはいたっていません。わたしたちにはまだ、この最後の力が欠けております。わたしたちを支えてくれる人々がいないからです。しかし、わたしたちは、仲間になる人々を求めております。わたしたちはバウハウスでそれを始めたのであります。わたしたちは、わたしたちがもっているすべてのものを捧げる連帯の意識をもって始めたのです。
 それ以上のことはわたしたちにはできません。

――パウル・クレー『造形思考』


 上記の言葉を引用して「ミステリ研新入生に薦める20選」と云う記事を書いたのは2年前、コロナ禍のとば口に立った頃でした。そこから長いこと歩いてきたようにも思いますし、まだ一歩も動いていないような気もします。自分がどこを歩いているのかも、どう歩いているのかもわからず、これからどう歩くべきかもわからない。コロナ禍以後、と云うよりも、2020年代が自分にもたらしたのはそうした一種の迷子状態であり、奪ったのは数ヶ月先の未来です。去年のいまごろは、近い将来に侵略戦争が勃発することも想像せず、世界各地で起こる未曾有の自然災害に目を向けることもなかった。いまのぼくはあの頃よりも少しだけ、眼が良くなったかもしれませんが、そのせいで余計に何も見えなくなりました。ここから先はなにもない。終わりの見えない戦争は世界をますますバラバラに引き裂き、あらゆる均衡の狂った世界は炎を上げ、激流に呑みこまれる。来年のいま、と云えるものが存在するのかさえ、もうわかりません。
 しかしこの暗闇を前に一歩も歩き出せないでいる自分をこそ、来年は変えたいと思っています。何も見えなくとも、ぼくたちは歩き続けるしかない。そもそもぼくが生きているのははじめから、そうした暗闇ではなかったか?

 大丈夫。喋ろう。話せば思い出せる。舌が引きちぎれるまで話せば、きっとわかる。
 言葉はあとから来る。あとに残るのが、言葉だ。
 要するに、言葉があれば、言葉以外は、前に進むんだよ。
 なあ、そうだろ。だから喋らなきゃいけない。そう云うもんだろ。そう云うもんなんだよ。そうじゃなきゃいけない。
 なあ?
 聞こえてるか?

――鷲羽巧「夜になっても走りつづけろ」


 いまになって、自分が読んできたもの、書いてきたものが自分に追いついて、追い抜いて、導くような気がしています。再読が増えたからでしょうか。それとも、これが「生きる」と云うことなのか? 戦争が、災禍が、我々から奪い尽くそうとするもの――生活とは、すなわちそう云うことなのでしょうか。
 それすらもわからない以上、とりあえず歩く=生きるしかない、と云うことです。

 自分のさまざまな行為を通して、私はつねに私自身の伝記を書いている。かかわり合いと知識を混ぜあわせながら、両者がふっと消えうせ、混ぜあわせるという行為自体――それは先験的に認識可能な何かだ――をさらす瞬間に対し、おのれの正当性を弁明しながら。このプロセスは、私が他人や、自分の時代や、過去の歳月を理解するに至る道筋と大きく異なるものではない。だとすれば記憶とは、消え去った出来事をうしろ向きに取り戻すことだけではなく、前に向けて送り出すことでもあるはずだ。思い出された地点から、未来の、それに対応する状況下の瞬間すべてに向けて送り出すことでもあるはずだ。

――リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』

 

 今年最後に読み終えた『舞踏会へ向かう三人の農夫』は、およそ三年ぶりの再読でしたが、新鮮な驚きに満ちていました。三年前、ぼくは何を読んでいたのかと思うほどに。あるいはもしかすると、そこに書かれていた言葉は、いま、ここの、自分に向けられて送り出されていたのかもしれない。
 上記のくだりは、こう続きます。

 我々は前向きに思い出す。自分自身を、未来の自分に向けて、他人に向けて、電送する。「これを救出せよ。これを認識せよ、いや、これをではなく認識そのものを」。新しい経験がひとつ訪れるたびに、我々が自分の過去の連続性を組み直すとするなら、おぼろげな、いまだ経験されざる過去から送られてくるメッセージ一つひとつが、未来を組み直せと誘う挑発であるはずだ。観察によって変わらない行為はない。観察者を巻き込む行為を伴わない観察はない。何のきっかけもなしに認識の湧いてくる瞬間一つひとつが、凡庸な日常世界へ戻っていくよう私に呼びかける。捏造と観察から成る、決まりきった日々の暮らしをつづけるよう、何であれ自分の手で為しうる仕事に手を汚すよう、呼びかけるのだ。

――同書


 厄介なのは、どれだけ戦争が続こうと、気候変動がどれだけの虐殺を引き起こそうと、いま、ここにいるぼくには、すぐに破局が訪れないことです。それは一見希望のようですが、あまりにも急速な変化とあまりにも緩徐な日常のアンバランスがぼくの眼を曇らせる。しかし、眼が澄むことはそのまま、自分も狂ってしまいかねない。そうならないためには、ともかくも、自分の手の届く範囲で、自分の足の届く範囲で、歩いていくこと。
 世界がどれだけ壊れようと、凡庸な日常はそれでも続いてしまう。と云うよりも、結局のところ英雄でもなんでもないぼくにはそれを生きることしかできないわけです。その真っ暗な凡庸のなかで、自分にできることをするしかない。わたしたちは探求してみなくてはなりません。と云うよりも、考えることも書くことも読むこともすべてはそこに一致するしかない――生きると云うこと。全体のわからない濁流のなかで、それでも全体の一部として、濁流を作り出している一員として。それ以上のことはわたしたちにはできません。

 同語反復めいてきました。長い前置きは――そう、いまこの文章を引きのばし続けている自分でも驚いたことに、これは前置きです!――これくらいにしましょう。
 さしあたり、来年からは、ゼミにもよく顔を出し、デモにも参加し、何より外を出歩こうと思います。自分がどこに生きているのかを知るために。

今年の振り返り

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 休学期間の終わりが見えてきて、それだのになにもできていない事実に焦りながら、実家の――故郷の――喪失のなかで慌ただしく過ごしていました。結局、この記事で抱えていた戸惑いや不安と付き合い、押し潰されてしまった一年だったと云えそうです。ぼくは何を書けるのか? ぼくは何のために書いているのか? ぼくは何を書きたいのか?

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 いつかこの手記を読むあなたに向けて、父について、小父さんについて、詳しく説明するような前置きは止す。書かれていることを素直に読んでもらえばそれで良い。あるいはあなたが名探偵となって、裏の作為を読みと取ってもらってもかまわない。どうであれ、書かれたものが全てだ。生き残った言葉がなんだったのかを考えるのはあなたの自由である。

――鷲羽巧「象と絞首刑」

 書くことをめぐる困惑を抱える原因であり、同時にそうした困惑の所産でもある短篇を、ミステリーズ!新人賞に応募しました。結果は、箸にも棒にも引っかからず。いま読み返しても、自分で自分に呪いをかけるような、自家中毒めいた短篇です。

 休学期間が終わり、とりあえず卒業単位を揃えるためにあれこれ履修したら思いのほか忙しかった前期。下回生配当の実習に参加した結果、TAが同期となる事態が発生し、自分の停滞を実感させられる日々でした。ぼくはどうしてここにいるのか?
 一方で、ひとつの躍進として、大学生としては破格のことに文庫解説を書かせてもらいました。ありがとうございました。大学生活の始まりとともに「魔術師」と出会ってから4年。ぼくのひとつの到達点だったように思います。

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 しかしその到達が、自分を苛むことになります。「鷲羽巧」と云う存在と自分との乖離、春からずっと抱えていた書くことへの戸惑い、いつまでも定まらない進路。そして、改善するどころか、悪化する一途の世界情勢――。すべてが自分をすり潰し、塞ぎ込んだ夏でした。あらゆる不安、不満、怒りが自分を引き裂き、そうした現象をメタに見守る自分が自分を突き放す。
 当時は各方面にご心配をおかけしました。迷惑は現在もかけ続けております。


 七転八倒した挙句、何かに取り憑かれるようにして、あるいは何かに縋るようにして書いた中篇が『蒼鴉城』収録の「オブスクラ」です。この2年近く、写真について読んできて考えてきたことの一部を吐き出しました。

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 書くことはままならないものです。「オブスクラ」は提出後、芳しい評価を会内で得られず、そもそもろくに感想をもらえない日々が続きます。「オブスクラ」自体の持つ内省的な筆致、そしていままで自分が書いたこともなかった類いの小説だったこともあいまって、過剰なまでの内省がぼくを襲います。そのせいで多方面に、夏以上の迷惑をかけることになりました。原稿も落としました。本当にごめんなさい。
 後になって判明したところによれば、つまらないと思われていたのではなくむしろ面白いと感じてもらえていたようですが、内容の紆余曲折と複雑さ――作者でさえ把握できていない全貌ゆえに困惑させてしまっていたようです。とは云えそうとわかったところで、また別種の、書くことと読むことをめぐる問いが現われるだけでした。ぼくは何を書けるのか? ぼくは何のために書いているのか? ぼくは何を書きたいのか?

 「オブスクラ」は写真をめぐる小説のようでいて、写真をめぐる言説についての小説です。さらに云えば、書くことについての小説です。而してそれは、書くことを否定も肯定もしない。
 それでも、あるいは、だからこそ、書くしかない。
 しかし、それだけに身を捧げれば何も書けないことがわかった1年でした。

 きみは記述することができる。そうしてあらゆる細部がきみの記述から滑り落ちてゆくだろう。網膜を、聴覚を、皮膚をすり抜けてそれは幽霊のように掴むことができない。どれだけ手を伸ばしてもかろうじて爪の先端を、何かに触れたような錯覚だけが引っかかって撫でるだけだ。細部の細部にいたるまで存在するこの豊穣な世界をきみはくすんだガラス越しにしか眺めることができない。それは絶望でもなければ希望でもない。きみにはそれだけしかない。なんとなれば、言葉は言葉でしかなく、あとに残るのは言葉だけだからだ。
 これもまた物語だろうか? 
 しかし、それ以外に何があるって云うんだ?

――鷲羽巧「オブスクラ」

soajo.booth.pm

 

ふたたびの冬

 何がきっかけだったのか?
 久しぶりに話した先輩から「オブスクラ」を絶賛されたことでしょうか? 小説についてひととよく話すようにしたから? 環境問題に関心を持ち始めたから? それとも、別のゼミに顔を出すようになったから?
 もしかすると、きっかけなんてものはない?
 人生の凡庸とは、すなわちそう云うことなのかもしれません。あるいは、過去が現在へ届く、と云うこととは。いくらか心身の調子は回復し、それでもときおり頭が割れるような気分に襲われるものの、なんとか歩きはじめています。いま、こうして、1年を振り返ることができる程度には。我々は前向きに思い出す。これはその実践です。経験されざる過去と、失われてしまった未来をめぐって。

 久しぶりに立ち返った、冒頭のクレーの言葉は、思いがけず自分を貫きました。そこに何が書いてあるのか、ようやくわかった気がします。

 来年も何かを書き続けているかどうかはわかりません。しかしぼくにとっては、どうやら、書くことと読むこととは一致しているようです。その一致――混ぜあわせこそが、あるいはきっかけとなる認識だったのかもしれない。いずれにせよ、そうであるならば、何らかのかたちで、ぼくはこれからも書くでしょう。読むことで。生きることで。そう云うもんだろ。そう云うもんなんだよ。そうじゃなきゃいけない。
 そうしたい、と云う、これは抱負でもあります。

 良いお年を。