前回の続き。
『キスギショウジ氏の生活と意見』草上仁
- 単行本未収録作品に書下ろしを加えたものなので、新刊ランキングの対象圏内。ミステリのそれにも顔を出せるクォリティの短篇集で、実に楽しかった。
- 信じられないのは、「傑作選ではない」と云うこと。『野性時代』掲載作を幾つか泣く泣く省いて集成したものなので、つまり、アベレージがこれ、なのだ。恐ろしい。
- 奇抜で魅力的なアイディア、それをあくまでさりげなく提出する叙述、読みやすく平易なのに退屈ではない文体、設定を活かし設定に活かされる展開。アイディア・ストーリーの「正解」を見せられている気分で、このうえ多作と云うのだからもうひれ伏すほかない。好みや問題意識など関係なく、洗練されたアイディア・ストーリーはそれだけでじゅうぶん価値がある。
- あとがきで草上仁は職業としての小説家をサービス業と割り切っている。それでも小説が人間を扱い続ける限り、完全な風化はしないはずだと云うことを慰めとして。……居住まいを正される思いがした。
- 個々の作品に言及しよう。まず巻頭の「十五パズル」が出色。十五パズルのように日々組み替えられる街で、彼は離ればなれになった妻を捜す。目も眩む壮大な機構と、パズルを解きながら思いがけず浮かび上がるささやかな絵。
- 「記念品」はもっと不気味な味わいに仕上げられるはずだが、まさしく記念品として残された箱にむしろ切なさを込めているのが巧みだ。円城塔「Echo」を思い出したり。
- しりとりのプロによるタイトル戦「アイウエオ」は無駄に冴えたディテールのおかげでずっと笑えるけれど、細かい設定が最後の逆転劇に活かされていて周到。ルールを巧みに利用したその逆転は特殊設定ミステリの趣もあるけれど、ルールの盲点を突く行為をひとつのテクニックとして作品内に成立させていることに注意したい。ゲーム自体との勝負ではなく、あくまでプレイヤーとプレイヤーの勝負に終始していて、それがかえって奥行きを覗かせる。それはしりとりの奥深さでもある。
- 【2020/08/25追記】「国境の南」も良かった。洪水のたびに国境が変わると云う設定を活かしきっていて、「アイウエオ」とは対照的に、ルールの盲点を突くことが世界の在り様そのものへの挑戦、つまり革命になっている。
『さよなら妖精〔新装版〕』米澤穂信
- 本篇は再読。ボーナストラックの短篇「花冠の日」は初読。
- 当時中学生だった自分に忘れ得ぬ傷を負わせた小説。その傷はもう癒えたと思っていたけれど、この再読でまったく癒えていないこと、自覚していた以上に衝撃を受けていたことがわかった。
- 感動して泣く、と云うよりは、悲しいから、その悲しみを、衝撃を受け止めきれないから泣く、と云う体験。小説でなかなか経験することではない。
- それが良いことなのか悪いことなのかわからない。功罪両面あろう。けれどもこの小説は昔もいまも、自分と云う円の中心近くを射抜き続けている。
- 中学生当時ではわからなかった米澤穂信の巧みさや周到さを理解できるようになったのは収穫だけれど、こう云う場合は得てして初めて読んだときの衝撃は薄れるものなのに、かえって深く深くいまの胸が衝かれたのはなぜだろう。
- かつては無駄か、ただの雰囲気作りに思えた細部の描写や台詞が、いまはそこにあるべきものとしてあり、互いに響き合って、複雑で奥行きのある読みを作り出している。
- たとえば弓道大会のシーンは、昔は退屈に感じられたのに、今回はずっとこのテキストを読んでいたいとさえ思えた。
- あるいはマーヤと守屋たちが出会った、潰れた写真館と云う場所。写真やジャーナリズムが失効する、ないし、決定的な変化のうちにあったあの時代、彼らはそこで出会わなければならなかったのだと、いまは思える。
- マーヤがあの国から来たと云うことの意味も、いまならもう少し踏み込んで、考えることができるだろう。