眠くて瞼が開かないと云う感覚を昼寝で味わうとは思わなかった。むりやりこじ開けたが案の定そのあとの諸々の調子が良くない。午前中までは本を読んだり図書館に資料を受け取りに行ったりを順調にこなせたのだけれど。とは云えあのまま眠っていたら夕方を過ぎていただろうから、それはあまりにもむなしい。
なんだか今年に入ってから、時間を無駄にすることへの罪悪感が強くなった。残り時間が意識されるからだろうか。何の残り時間だ?
昼寝から起きてなおしつこい眠気を覚まそうと水を飲み、ついでにまだ洗っていなかったコップを洗ったら水道の様子がおかしい。蛇口のレバーを締め切っているのに水がぽたぽたと垂れ、そのうち止まるだろうと放っておいたが水滴は不規則にシンクをぼんと打ち続け、いったん気になると堪らない。チラシの類いは見境なく捨てるのに水道屋のマグネットだけは取っておいたおそらく入居したての頃の自分に感謝しつつ業者を呼んだ。対応は早く、夕飯後には来てくれた。必要火急のことだからだろうか。
水道屋のひとと濃厚接触した結果、蛇口丸ごと取り替える羽目になり思いがけない出費が決定された。給付金はぜったいに貰わなければならないだろう。
住んでいるアパートの種々の設備の古さを感じはじめたきょうこの頃、引っ越しを本格的に視野に入れた。
追記。濃厚接触と云っても半ば冗談で、お互いにマスクをして距離を取って窓も開けて換気していた。台所の換気扇を回していなかったのは画竜点睛を欠くか。いまさら怖くなってきたぞ。
twitterから一定の距離を置いてきょうで一日。ふとスマホに手を伸ばし、ああアプリは消したんだっけとなること頻繁で、自分の依存ぶりに呆れた。一方でいささかの不便も感じる。1~2週間程度でひとは大体の環境に良くも悪くも慣れると云うし、もうしばらく様子を見る。
ロベルト・ボラーニョ『アメリカ大陸のナチ文学』を読み終えた。もう一度書くのは面倒なので読了直後の感想をそのまま引用する。
とても面白かった。架空の作家たちの架空の作品たち。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月22日
同情するでもなく、嘲笑うでもなく、何もかも突き放したような淡々とした筆致ながら、不意に浮かび上がる細部が、彼らは確かに生きていたことを訴えかける。あとに残るのは無数の空洞であり、似たり寄ったりにも見えるくすんだ風景であり、しかしそこに人生の豊かさ、と云うのは陳腐か、がある逆説。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月22日
豊かさと云うか、情報量と云うか、とても捉えきれないものを、突き放し、淡々と書くことでかえって想起させる。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月22日
とは云え無粋を承知で個々を短篇として見ると、もっとも面白く読んだのは客観的な語りが破られた「カルロス・ラミレス=ホフマン」で、『通話』の「エンリケ・マルティン」と云い、通り過ぎた人間のことを想う――どのようなかたちであれ――話に相変わらず弱いんですよ。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月22日
名前の羅列があるだけで傑作認定しちゃうな。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月22日
これはこれで面倒くさいな。でも次からもこんな感じでやっていくと思います。