鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

読書日記:2024/02/19~02/28 ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』ほか

S・S・ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』(創元推理文庫

「そんなはずはない」ヴァンスは自分に言い聞かせるかのように言った。「あまりに途方もない。残忍すぎるし、どこまでもゆがみすぎてる。血塗られたおとぎ話――歪像の世界――あらゆる合理性の倒錯……。考えられない。意味をなさない。黒魔術や妖術やまじないみたいだ。まったく、正気の沙汰とは思えない」

 ヴァン・ダインの名に、古色蒼然としたものを感じ取るようになったのはいつからだろうか? その作品より先に四角四面な二十則と出会ってしまってからかもしれないし、直接的なきっかけもなく、なんとなく醸造されている空気、言及のされ方――あるいは、言及のされなさ――が理由かも知れない。いずれにせよそんな印象なんて偏見に過ぎないことは本書を一読してわかった。少なくとも本書は、埃を被った古典と云うよりも、いまなお息づいている原点と云うべきだろう。古典だからこその、お約束がお約束ではないがゆえの、それは素朴なみずみずしさである。『グリーン家』も近いうちに読むだろう――と云うか、そちらが新訳されたからずっと積んでいたこちらを先に読んだ。シリーズとしては前後するようだが。
 あちらはあちらでクイーン『Yの悲劇』へ至る源流として読まれているようだが、ならば本書を『九尾の猫』あるいは『ダブル・ダブル』の源流として読むことも可能だろう。高山宏は「終末の鳥獣戯画」で『靴に棲む老婆』を挙げていたけれど、なんらかの規則に基づいて殺人が進行する冷酷なユーモアはむしろ、戦後のクイーンを思い起こさせる。と云うか、犯人による探偵の操りであったり、ルールが先行して犯人を動かしているかのような構造は、いわゆる〝後期クイーン〟的なものを先取りしているとは云えないだろうか? もちろん、正確には本書においてなにがしか芽吹いた問いを、クイーンが先鋭化させていったと云うことだろうが。けれどもそんな系譜を思い浮かべるとき、結局のところ探偵小説は、童謡に見立てられて殺してゆくと云う冷酷なユーモア、歪な童心から抜け出ることはないのかもしれないと考えさせられる。ファイロ・ヴァンスは事件について口走る、「血塗られたおとぎ話――歪像の世界――あらゆる合理性の倒錯……」。探偵小説は、それ以外の何であると云うのだろう? ヴァンスが分析してみせる犯人像――数学や物理学にどっぷり浸かってしまったがために等身大のスケールを失い、人間を人間として見なせなくなってしまう人間、世界を自らの理屈のうちに呑みこんでしまうかのような犯人は、いかにもチェスタトン的な狂人であり、ともするとそれは、名探偵の存在にも漸近する。
 もっとも本書において、犯人も探偵も、決して特権的な立場にはない。彼らが対決する空間は都市の中のほんの一部に限られており、ストーリーは緊迫感を維持しつつも――単なる引き延ばしではなく、事件と捜査の進展によって次へ次へと階梯を登ってゆくストーリーテリングは見事なものだ――事件そのものはどこかもたついて、ヴァンスのロジックも終始、キレに欠ける。たとえばクイーンなら――、と云うようなことを考えるとき、ぼくは自分がどれだけクイーン以後において読んでしまっているのか自覚させられる。そのオルタナティヴを探るならばそれ以前に遡らなければならない、と云う『グリーン家』新訳における巽昌章解説の真意は、そのあたりにあるのかもしれない。この素朴さ、素朴ゆえの歪み、活き活きとして、それでいてデフォルメされた人間たち。

 

エドガー・アラン・ポー『ポー傑作選1 黒猫』(角川文庫)

理性の冷静な目から見ても、我らが悲しき人間界は時として地獄図となるときはある――が、人間の想像力というものは、魔女ではないのだから、その暗い洞窟をあれこれ見たら影響を受けずにはいられない。ああ! 怒濤のように押し寄せてくる生き埋めの恐怖は、気のせいですますわけにはいかないのだ。イラン神話の英雄アフラシアブがオクサス河を下るときに一緒だった悪魔のようなものだ。眠らせておかなければ、こちらが喰い殺される。恐怖を起こすな、眠らせておけ。でないと身の破滅だ。

 しばらく何を読んでもしっくり来ない時期がつづいて、なんとなく必要なものがある気がした森晶麿『黒猫の遊歩あるいは美学講義』は思っていたようなものではなく、それよりもそこで題材とされていたポーにでも帰るかと思って読んだ次第。「モルグ街の殺人」を含んだミステリ篇は別に出ていて、こちらは恐怖・幻想小説篇と云ったセレクトだが、表題作の「黒猫」は広義の犯罪小説ないし一種の倒叙小説として読めるし、「アッシャー家の崩壊」なんて、殺人事件が起こらないだけで結構はチェスタトン的な探偵小説そのものではないだろうか(何が起きていたのか?が眼目になること含めて)。そもそも両者はポーにおいて一体となっているはずで、そこにいまなおポーを面白く読ませる理由がある。ミステリの歴史はポーからではなく、ポーを意識したところから始まる、と云っていたのは巽昌章だったか。その意味でも、何度だって立ち返るべき参照点だ。光文社古典新訳文庫の小川訳でおおむね既読だったけれど、すっかり忘れていたので新鮮に読めた。こちらの河合祥一郎の訳は、雰囲気が良く出ていながら読みにくいところがまったくない。詳しい解題と解説も着いてお得である。
 なお、今回読んでいて興味深かったのは、生きながらにしてゆっくり殺されてゆくことに対する偏執的な恐怖だ。じっくりと責め殺す、機械仕掛けの拷問装置。墓の下、壁の中への生き埋め。決定づけられた死への着実な接近と云う点では「メエルシュトレエムに呑まれて」の大渦だってそうだろう。あえてそう云う短篇を選んでいるところはあるにせよ、ここまで同じモチーフがくり返されるとポーにとって切実な恐怖だったのだろうことが窺える。あとそれに、「ウィリアム・ウィルソン」や「アッシャー家」における、建築についての描写。人間が場所をつくり、場所が人間をつくる。その有機的な連関を環境と呼ぶのでないならば、あるいは呪いと呼ぶのかも知れない。われわれはともすると、そんな呪いの空間に、生き埋めにされている。

追記:解題における「笑い」についての指摘は興味深い。《それは、死を笑うバタイユや、権力を打破する笑いの力を称賛するラブレー等の笑いと同じと論じることも可能かもしれないが、やはりポーの笑いは〝凍りつく〟のであり、その引きつった笑いの硬直カタレプシーこそが彼の恐怖ホラーの質の一つなのではないだろうか》。あるいは、探偵小説が持つ残酷なユーモアの笑いも、また?

 

ウンベルト・エーコ薔薇の名前』(東京創元社

「一場の夢は一巻の書物なのだ、そして書物の多くは夢にほかならない」

 おそらくは作者自身であろう語り手が発見したと云う一冊の書物は――編纂や翻訳を経て、原本の存在も定かではなかったが――十四世紀に生きた老修道士の手になる回想だった。老人の名はアドソ。彼は若かりし頃に、師――バスカヴィルのウィリアムとともに、山間の修道院で凄惨な殺人事件に遭遇したと云う――。
 『僧正』からの連想で読んだ――と云うわけでもないが*1、結果として後期クイーンを想起させる小説をつづけて読んだことになる。と云うのも、本書において、犯人は決して全能なる操り手ではなく、探偵もまた全知たる告発者ではないからだ。犯人は探偵の誤読に後乗りして、探偵は誤読から真相を得る。これではどちらがどちらを操っているのかわからない。あるいは、操りを超えた、両者を導く大いなる図式だけがある。犯人はどこまで事件を支配し、探偵はどこまで真相を把握できるか――それはまさしくクイーンが取り組みつづけた問題であり、エーコがクイーンを読んでいたのかどうかは知らないが、ボルヘスを明らかに踏まえている以上――盲目の修道士ホルヘ!――ボルヘスが「死とコンパス」などで先取りしてしまったようなクイーンの極地に、エーコが近づいたことは不思議なことではないように思う。
 けれどもそんな連想が興味深いのは、このような偶然の符合を因果の必然として読むことこそ、おそらくは本書をまとめ上げている主題だったと云うことだ。それを物語る営為と云っても良いのかもしれない。たとえこの世界の一切が一冊の書物に記されているとしても、残されているのは大いなる書物の意味ありげな断片だけであり、生きているわれわれにできるのは、それを必死にかき集めて読むことだけだ(そして写字室スクリプトーリウムにあって、読むことは書くことと一致している)。その断片はあまりにも心許なく、残された痕跡は何度も書き写される中で擦り切れ、歪み、ぼやける。全体を知るにはあまりに足りず、何が何を意味しているのかもわからない……。
 けれどもそれは、真実が存在しないことを意味しない。《複数の書物のなかの一角獣は痕跡のようなものだ》とウィリアムは云う。《そこに痕跡が残されているからには、痕跡を残したものが何かあったはずだ》。あるいは、手記の冒頭、書き出しのその瞬間に立ち返っても良い。

 初めに言葉があった。言葉は神とともにあり、言葉は神であった。これは初めから神とともにあった、そして敬虔な修道僧の務めとは異論のない真理と断言しうる修正不可能な唯一の事件を慎ましやかな頌読によって反覆することであろう。それなのに〈私タチハイマハ鏡ニオボロニ映ッタモノヲ見テイル〉。そして真理は、面と向かって現われてくるまえに、切れぎれに(ああ、なんと判読しがたいことか)この世の過誤のうちに現われてきてしまう。それゆえに私たちは片々たる忠実な表象を、たとえそれらが胡散臭い外見を取ってひたすら悪をめざす意志にまみれているように見えても、丹念に読み抜かねばならない。

 何重にも写し取られ、翻訳されてきた手記と云う体裁は、事件をフィクショナルなものにする仕掛けではなく、むしろその逆――世界と云う書物の断片にして写本と云うかたちで本書を総括し、その真実を何重もの磨りガラス越しに浮かび上がらせようとする試みに思われる。一切は《手記だ、当然のことながら》。けれどもそれは真実を記していないことを意味していないし、その真実へ、あるいは全体へと至る手がかりがあまりにも断片的だったとしても、それは真実を見定めようとする意志を否定する理由には、ならない*2
 そしてウィリアムの弟子たるアドソは、事件が起きた場所でかき集めた断片について、手記の終わりにこう記す――《けれどもこれらの不完全なページは、あのとき以来、私に残された生きるべき全生涯のあいだ、片時も離れず私と共にあった》。さりげないけれどもこの一文は、本書においてぼくがもっとも感動した箇所だ。敬愛する師との遠い日々を回想するからだろうか、それとも若かりし恋を記すからだろうか、凄惨な事件を綴るアドソの手記にはその内容に反して、どこか懐かしむような筆致を感じられてならない。たとえすべてを知ることがなくとも、たとえ真理が遙か遠くとも、たとえ世界が終末に向かおうとも、書いたもの、残されたものはそこにある。過ぎにし薔薇はただ名前のみ、虚しきその名がいまに残れり。――しかし、と思うのだ。それだけでじゅうぶんではないだろうか? それはひとが生きるための、そして死にゆくための、絶望しないにたる理由になるのではないだろうか?

*1:じっさいは、東京創元社の2024年新刊説明会でこれの完全版が予告されていたので読んだ。文庫化はしないの?

*2:このあたり、同じくイタリアのカルロ・ギンズブルグを思い出す。先日読んだ『糸と痕跡』でも、そんな話がされていたはずだ。書き手によってつくられた記述は、記録の絶対性を揺るがすかも知れないが、そこから相対主義へとうっちゃるのではなく、それが書かれたことをも踏まえて資料を吟味することで、歴史を記述することができる。ウィリアムは云う――《書物というのは、信じるためにではなく、検討されるべき対象として、つねに書かれるのだ。一巻の書物を前にして、それが何を言っているのかではなく、何を言わんとしているのかを、わたしたちは問題にしなければならない。》