鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

読書日記:2023/11/20~12/03 藤原辰史『ナチスのキッチン』ほか


 最近はやたらに読んでやたらに書いている。そのせいでスケッチが疎かになってしまっているけれど、書くことも読むことも線を引くことも、同じ線上に置かれるならば、それも当たり前なのかもしれない。

北村薫『遠い唇:北村薫自選日常の謎作品集』

「飛躍です。そこにこそ、昔ながらの名探偵の意義もあった。あることとあることの、思わぬ結び付きを発見する。常人では分からぬ一本の道を、空から見たかのように示す」

 かつて同じく角川文庫から出ていた同題短篇集に、表題作のその後を書いた短篇をふたつ加えたもの。旧版を読んだ先輩と話したところ、続篇の追加にあたって収録順も変わっているらしい。そちらでは「遠い唇」に始まって「ビスケット」に終わるとのことで、それならきっと、伝える/伝わらない/伝わると云うテーマにおいて、暗号とダイイングメッセージが互いに互いの変奏であることがよりいっそう強調されることになっただろう。「遠い唇」でいまは亡き先輩が遺した暗号も、「ビスケット」で殺された被害者が遺したハンドサインも、自分の持ち得るものによってなんとか他者へとメッセージを伝えようとすると云うコミュニケーションの本来的な営みが謎と云うかたちで現われたものであり、その謎を生む契機として死と時間による断絶が横たわっている。あるいはこうも云えるだろう――死・時間・他者と云う届かない断絶のあいだに架ける橋として、本書の解決=解釈は書かれる、と。ほかの収録作品も、このテーマにおいて両者のあいだにある。亡くなった夫が遺した謎かけから忘れ難い人生の風景が浮かび上がる「しりとり」、言葉をそのままに解釈することの難しさを茶化しながら問う「解釈」、小説を解釈することと暗号を解読することとをパラレルに置く「続・二銭銅貨」、日常のなかにある言動の誤解やメッセージの誤配を掬い上げる「パトラッシュ」「ゴースト」――。言葉はしばしば伝わらない。それでも、われわれは言葉を伝えるし、読み取ろうとする。新版の表紙にポストが描かれている理由はそこにあるし、「日常の謎」の範疇には入らないであろう殺人事件が扱われる「ビスケット」が、それでもわざわざここに並べられているのも同じ理由からだろう。ずっと昔、NHKの犯人当てドラマで見たときは、ダイイングメッセージひとつで犯人が特定されて良いものだろうかと首を傾げたものだけれど、「ビスケット」とは、そうしてサインがたったひとりを示していると云うダイイングメッセージの本来的なところに、二地点を思いがけないかたちで結びつけると云う名探偵の意義を重ね合わせる話なのだ。そんな名探偵が現代では意義を失っていると云うことの悲しさも含めて、呆気ないほど簡単な事件のなかに、小説は時間の流れの重みを巧みに書きこんでいる。
 もっとも、新版ではそんな「ビスケット」のあとに「遠い唇」を並べ、ひょっとすると前者より痛烈な時間の流れの、生者と死者の、自己と他者の断絶を置く。そしてそこから、暗合を暗合と読み替えるようにして、ひととひととの巡り会いの線を延ばしてゆくのだ。時間のなかで、言葉は離れてゆくばかり。けれどもそうして流れた時間が、新たな言葉との出会いを運んでくる。巫弓彦が小説の外で「彼女」を待ったように、小説の記述はそこで終わっても、人々の人生は続いてゆく。そこでもたらされる新たな出会いは、ときとして作者にとってさえ、思いがけないものだ。

 

アドルフ・ロース『装飾と犯罪:文化・芸術論集』

我々が森の中を歩いていて、シャベルでもって長さ六フィート、幅三フィート程の大きさのピラミッドの形に土が盛られたものに出会ったとする。我々はそれを見て襟を正す気持ちに襲われる。そして、我々の心の中に語りかけてくる。「ここに誰か葬られている」と。これが建築なのだ。

 モダニズム建築について読んでいたら必ず出会うのがこの本の表題作「装飾と犯罪」。そうした解説でしばしば引かれているように、装飾は犯罪である、装飾をしてはならない、だから白い箱をつくらなければ――、と云う話なのかと云うと、実はぜんぜん違う。ロースは無駄な装飾を否定するが、装飾すること自体を否定してはいないのだ。彼が否定する装飾は家具や建築にとって有機的でない装飾であり、それはかたちだけのハリボテ、同書でも言及されているような「ポチョムキンの都市」である。宗教的な意匠や生活に根ざした装飾は、それによって世界と関わっている限り「犯罪」ではない。伝統的な農家の生活や、そのなかで記憶される生活の痕跡、人びとの喜びを擁護するロースの思想は、モダニズムの文脈で参照されるものとしてはむしろ保守的だ。機能的な建築によって人間の生活を規定するのではなく、人間の生活はそうそう変わらないものとして、それにフィットする建築をつくること。モダニズム建築と聴いてわれわれが真っ先に思い浮かべるような真っ白な箱の真っ白な矩形こそ、彼にとっては「犯罪」的な建築だったのではないか。
 とは云え彼の云いたいことが伝わらず、「犯罪」の言葉がひとり歩きするのもよくわかる。本書に収められている彼の文章にはいつも仮想敵がいるらしいのだが、そんな文章をはたから読み解くのはとても難しい。ぼくも友人と話してやっと上記の考えにまとめられたくらいだ。それに、当時のウィーンと云う貴族社会への苛立ち、新進国アメリカへの憧れが、世紀転換期の強い進歩主義と結びついて辟易する。彼は民族の文化的な慣習を擁護する一方で、そんな慣習を持つ文化よりも欧米の文化のほうが近代的で進歩しているとも云ってのける。けれどもそうした思想は容易く優生思想と結びつき、排外的な態度へ転じるだろう。もっとも、だからロースはナチスであるとは云わない。ただ、そこに思想の結びつきがあるだろうと云うことで、ロースを読むにはそんな絡まりをかきわける必要がある。本書のやたらと詳しい註釈はその助けとするためだろうし、だからこそ面白い、と云うこともできる。そうしてまで立ち返るべき、鋭い現代的な指摘もあるだろう。

 

藤原辰史『[決定版]ナチスのキッチン:「食べること」の環境史』

ほかの生きものを食べなければ生きていけないヒトの「外部器官」、自然を改変する人間の作業の最終地点、あらぶる火の力に対する信仰と制御の場、人間社会の原型である男女の非対称的関係の表出の場――つまり台所とは、人間が生態系のなかで「住まい」を囲うときにどうしても残しておかなくてはならない生態系との通路なのである。

 ロースが危うくその身を近づけながらも否定した、機能主義の加速と浸透。それがナチズムへ絡めとられてゆく過程を台所と云う場所に見出すのが本書『ナチスのキッチン』だ。アドルフ・ロースの名前も出てくる――機能主義を重んじつつ、食事の文化が失われることへ反発する存在として。画一化されたシステムキッチンやビタミンを筆頭とする料理の栄養学化、家事労働の経済学的分析、そうして主婦の仕事を効率化してゆく家政学の知見。それらは生活を便利にしてゆく一方で、主婦を台所ごとひとつの機械へと近づけ、調理器具や調味料と云うかたちで企業がそこに忍びこみ、市場原理が取り囲む。――その果てに、ナチズムがいる。
 とは云え本書は、決してナチズムを正面切って扱っているわけではない。むしろそこに至るまでの準備やわき道、余剰的な領域を捉えようとする。そうして台所のエコロジーを起ち上げること。結果としてそこに、同じくエコロジカルなものであるナチズムとの接続が探り当てられる。なるほどナチスは台所を独裁的に支配したわけではなかったかもしれない。けれども台所における、つくること、食べること、吐き出すことの連関が、いつの間にかナチスのなかに呑みこまれている。それはいったいなんなのか。そこに出口はあるのか。
 巻末で藤原も批判を受け止めているとおり、本書はナチスに引きずられすぎ、そこを袋小路としているきらいもある。けれども本書はそうしてナチズムを考えるなかで食べることのエコロジーを捉え、ナチスがもたらした最暗黒の循環――飢餓の人間は自分の肉を栄養とするしかなく、ゆえに痩せ衰えてゆく、それは極限的にエコロジカルでエコノミーな状態だ――に危うく近づきながらも、その袋小路を裏返した先に希望を見る。すなわち、生きるために食べること。その本質をあらためて見つめること。ぐるりと裏返された袋小路は、そこで未来に開かれるだろう。

 

多川精一『戦争のグラフィズム:『FRONT』を創った人々』

引越し先では、それまで写真館が使っていた一階の、広々とした撮影スタジオが美術部に割り当てられた。この部屋は二階まで吹抜けで、九段坂側の東面は、大きなアトリエのようにガラス窓が天井まで開けられていた。そしてそこには劇場舞台の緞帳のような、ずっしりしたビロードのカーテンがかかっていて、大変明るかった。

 戦時中刊行された対外宣伝誌『FRONT』。本書は自身も若手社員としてその製作に携わっていた著者による回想と戦後の研究調査を踏まえ、『FRONT』ひいては東方社の戦争を辿ってゆく。戦前のモダニズム――ドイツのバウハウスやロシアの構成主義――から影響を受けた写真家・デザイナーたちが時勢のなかでプロパガンダに加担してゆくその過程を、著者はあくまで同情的に記述するが、まさしくその加担の過程こそ戦争がもたらす歴史の皮肉にほかならない。計算し尽くされた恰好良い構図とそれを可能にするモンタージュの手法は、そのイメージをつくるテクニックによって事実と反するプロパガンダ――要するに捏造をも可能にしてしまうのだ。そこが写真の恐ろしさであり、同時に写真のひとつの限界を示してもいる。プロパガンダが描き出す大きなシナリオから、ひとりひとりの人間はいつも取りこぼされる。空襲に遭った著者が戦火のうちに目撃するのはそうした戦争の真実であり、個人的な回想や日記の抜粋が中心となってゆく後半の記述もまたそうしたプロパガンダから漏れ出てゆくものだ。そしてカメラは、そんな光景をも記録し得るのだ。対外宣伝の写真を撮っていた木村伊兵衛のカメラが広島の惨状を記録したこともまた、歴史の皮肉と云うべきだろう。
 上で引用したのは、空襲を恐れて社屋を移転した際の回想である。戦時下にあって、この妙な明るさはなんだろう。けれどもぼくはそれを不謹慎とは思わない。新しい社屋の明るさと、遠くの戦場に行った同世代たちが同居する――それが銃後を生きると云うことなのだろう。著者も述べているとおり、『FRONT』をつくった者たちは何よりも技術者だった。自分の技術が試せるならば、それがプロパガンダでも面白がった。反戦的な思想を持ちつつも、生きるためにプロパガンダと関わった。そこに生きることの複雑さがあり、戦争の複雑さがある。