鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

すべての見えない都市:イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』について、五十五のメモ

 イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』(米川良夫訳、河出文庫)を読んだ。大いに感銘を受けた。具体的な感想はまたどこかで書くとして、ひとまず、生涯最良の小説のひとつに挙げて後悔はないだろうと思う。けれどもそれほどに素晴らしい小説なのに読んだ端から忘れてゆくので、あとで読み返せるように、登場する五十五の都市についてそれぞれどのような都市なのか、引用を交えて簡単にまとめた。最初は本当に簡単なメモのつもりだったが、どう云うわけだか疲れれば疲れるほど要約する思い切りがなくなって、あれこれ長々と書いてしまった。まあ、後半にかけてますます都市が観念的になってゆくと云うのも理由としてあるだろう。
 正直云ってよくわからない箇所、云っていることを丁寧にまとめようとしたら丸ごと引用するしかないような都市も多々あって、自分用のメモと云う域を脱していない。けれどもそれを云うならこのブログのほとんどの記事がそうである。ぼくは自分のために書き、皆さんのために公開する。ミスやコメントがあれば気軽に指摘してください。
 都市は目次通りに並べた。丸括弧は勝手につけた二つ名である。

都市と記憶1:ディオミーラ(郷愁の都市)
  • 郷愁を抱くことができることを羨ましがらせる都市
  • 《しかしこの都の特徴は、日足も短くなってゆく九月の夕べ、揚物屋の門先にいっせいに色とりどりの燈がともり、露台の上から女の、やれ、やれと叫ぶ声がする頃おいにこの都市にやってまいりますと、これと同様の夕暮を前にも過したことがあったしあの頃は幸福だったなどと考える御仁たちが羨ましいという気を、ふと起させることなのでございます。》
都市と記憶2:イシドーラ(欲望の記憶の都市)
  • 欲望が思い出になる都市
  • 《夢のなかの都は彼を青年のまま虜にいたしておりました。イシドーラに彼は年ふけてやってまいります。広場には石垣があり、年寄りたちが青春のとおりゆくのを眺めております。彼もまた彼らと並んで腰をおろします。欲望ははやくも思い出となっているのでございます。》
都市と欲望1:ドロテーア(計算可能な都市)
  • ドロテーアについて説明する方法はふたつある
    • ひとつは、過去現在未来が計算可能な都市であること
    • もうひとつは、駱駝引きの言葉どおり、あらゆる欲望に開かれる都市であること。そうして旅人は、ドロテーアの外側、ドロテーアを去ってからでさえも、ドロテーアから伸びているひとつの道であると考えるようになる――《「その朝、私はドロテーアで、私が望んでならないこの世の幸せなぞはないと心に感じたものでございました。それからまた年を取るにつれて、私の目はもう一度、砂また砂の拡がりとキャラバン道とをただじっと見守り続けるようになりました。それでも今は私にもわかっておるのでございます、これもまたあの日の朝ドロテーアで私にむかって開かれたたくさんの道の一つにすぎないのだと。」》
  • ぶっちゃけよくわからない
都市と記憶3:ザイラ(完全記憶都市)
  • 過去の一切が表出している都市
  • 《思い出から湧きあがるこの波で、海綿のようにこの都市はずぶずぶに濡れてふくれあがっているのでございます。今日あるがままのザイラを描きだすということにはまたザイラの過去のいっさいが含まれておるはずでございましょう。しかし都市はみずからの過去を語らず、ただあたかも掌の線のように、歩道の縁、窓の格子、会談の手すり、避雷針、旗竿などのありとあらゆる線分と、またその上に記されたひっかき傷、のこぎりの痕、のみの刻み目、打った凹みといったなかに書きこまれているままに秘めておるのでございます。》
都市と欲望2:アナスタジア(欲望都市)
  • 欲望を喚起する都市。アナスタジアのなかで人は欲望の奴隷になる
  • 《都市はただ一箇の全体として、どのような欲望も何一つ失われてはならず、われわれもまたその一部をなすものというように思われますし、われわれが現に愉しんでいないものでも都市があますことなく満喫しているのであれば、われわれとしてはこの欲望を住処としてそれで満足しているほかはございません。》
都市と記号1:タマラ(記号に覆われた都市)
  • 記号に覆われた都市
  • 《眼差は市中の通りをあたかも書物のページの上のように走りぬけてゆきます。都市は人々が考えるはずのことをすべて語り、ただその言葉をわれわれにくり返して言わせるばかりでございます。人はタマラの都を訪れ見物しているものと信じているものの、その実われわれはただこの都市がそれによってみずからとそのあらゆる部分を定義している無数の名前を記録するばかりなのでございます。》
  • タマラを出た人びとは、自然の風景もなんらかの表象と見なすようになる
都市と記憶4:ツォーラ(忘れられない都市/忘れられた都市)
  • 一度見たらその全体が決して忘れられない都市
  • 《心から消し去すことのできないこの都市は何やら枡目のなかにそれぞれ自分の憶えておきたい事柄を配列しておく格子桁あるいは網目模様といったようなものでございます。偉人の名前、徳目、数、植物や鉱物の分類、戦役の日付、星座、品詞などというように。それぞれの概念と経路の一転一転とのあいだに瞬間的な記憶喚起に役立つような類縁もしくは対照のつながりを設けることができるかと思われます。それゆえ世界で最もすぐれた賢者と言えばツォーラの都を完全に諳じている人々でございます。》
    • この辺の記述は記憶の宮殿っぽい
  • しかしすでにその都市は、記憶のなかにしかない。《しかしこの都市を訪れようと旅立ちましたのも無駄でございました。記憶し易いようにつねに変らず不動であることを強いられ、ツォーラはやつれはて、消耗し、消え去っておりました。地球はもはやツォーラを憶えてはおりません。》
都市と欲望3:デスピーナ(相対都市)
  • デスピーナは二つの砂漠(一つは海)の境界に位置する
  • 《すべての都市は相対する砂漠からおのれの形を受けとるものでございます。》
    • 駱駝引きは砂漠からその都市を見て船を思い浮かべ、船乗りは海からその都市を見て駱駝を思い浮かべる
都市と記号2:ジルマ(捏造都市)
  • 記憶のなかで記号がくり返され、記憶が捏造される都市
  • 《私もまたジルマから戻ってまいります。私の思い出には、家々の窓をかすめて八方に飛び交う飛行船、船乗りたちの肌に入墨をほる刺青師たちの店が並ぶ道、暑気にもだえる肥満型の女たちを鮨づめにして運ぶ地底列車の行列といったものまでございます。ところが私といっしょに旅をした朋輩たちはただ一艘の飛行船が高楼のあいだに繋留されているところ、ただ一人の刺青師が床几の上に針と墨と図柄をくり抜いた型紙を並べて置いているところ、また大女もただ一人だけとある車輛の入口で涼んでいるところを見かけたきりだと誓うのでございます。記憶はまこと満ちあふれんばかりでございます。都市が存在し始めるようにと、記憶が記号をくり返しているからでございます。》
  • あるいはジルマとは、そうして増幅された記憶のなかの都市なのか
精緻な都市1:イザウラ(地底湖の都市)
  • 地底湖の上に建っている、無数の井戸をそなえる都市
    • 二種類の宗教がある
    • 地底湖のなかにこそ神を置く宗教と、地底湖から水を汲み上げる技術ひいては都市全体に神々を見出す宗教
  • 《それがためにイザウラでは二種類の宗教が生じました。この都の神々と申せば、ある人々にしたがえば、深淵のなか、地下水脈を養う暗黒の湖水のなかに住むとされます。他の人々にしたがえば、神々は、綱に吊した水桶が井戸の外まであがって来たそのなかに、また釣瓶をまわす滑車に、巻揚げウィンチに、ポンプの把手に、あるいは試錐の水を汲みあげる風車の翼、そのドリルの廻転を支える櫓の木組み、細長い脚の上にのせた屋上の貯水槽、無数の水道橋のきゃしゃなアーチ、ありとあらゆる垂直な上水道や下水管、サイフォンや排水孔、はては上へ上へとのびてゆく都市イザウラの高くそびえる塔のそのまた上に立つ風見車にも住んでいるということでございます。》
    • ここの羅列が読んでいてとても楽しい

都市と記憶5:マウリリア(絵葉書の都市)
  • 過去を描いた絵葉書と現在とを較べさせられる都市
  • けれどもその絵葉書は、たまたま名前が同じであるだけの別の都市のようだ
    • と云うか、過去と現在とで都市は別ものであり、較べるものではない
  • 《何よりも彼らにむかって言ってはならないことは、ときとして同じ地の上に、しかも同じ名の下に、まったく異る都市がたがいにとって替り、またそこにおのが姿を認めることもなく、たがいに通じあう術もないままに生れては死んでゆくということでございます。》
都市と欲望4:フェドーラ(ガラス玉の都市)
  • 宮殿のガラス玉のなかにあり得たかもしれない都市が映し出されている都市
  • 《ああ、偉大なるフビライ汗さま、陛下の帝国の地図のなかには、灰色の石の大いなる都フェドーラも、またガラス球のなかの無数の小フェドーラも、ともどもにその場所を得ておらねばなりません。いずれも等しく現実であるというのではございません、いずれも等しく単なる虚構にすぎないからでございます。》
    • ここで、語られている相手がフビライであることが確定する
都市と記号3:ゾエ(分類不可能な都市)
  • 建物や場の姿形からその性質を分類できない都市
  • 《旅人は徘徊に徘徊を続けて、結局はただ疑問だけが残るという始末です。市中の各所の見わけがつかないばかりに、はっきり区別のついていた自分の心のなかの点までが混乱するのでございます。そこで彼は次のように推論いたします――そのあらゆる瞬間における存在がまったきそれ自体であるとするならば、ゾエの都市は分割不可能な存在の場である、と。しかしそうであれば、なぜ都市でなければならぬのか? 内と外を分つ線、車輪の轟きを狼の吠え声から隔てる線は何か?》
精緻な都市2:ゼノビア(柱の上の都市)
  • 地上にありながら、高い柱の上に建てられている都市
  • その形状は奇妙だが、だからと云って住んでいる人間は不幸なのだろうか? ゼノビアに住む人間にとっての幸福な都市は、ゼノビアのような都市なのではないか?
  • 《このように申し上げました以上、ゼノビアを幸福な都市か、あるいは不幸の都市に分類すべきかと詮議するのは無駄なことでございます。都市を分けて意味があるのはこのような区別ではなく、ほかのやり方でございます。つまり、長い歳月と変容を通じながら、なおもろもろの欲望におのれの形を与え続ける都市と、他方は、欲望がついには都市そのものを抹殺するに至るか、あるいは都市に欲望が抹殺されてしまうかする都市の、この二種類なのでございます。》
都市と交易1:エウフェミア(思い出を商う都市)
  • 思い出を商う都市。あるいは、物語を商う都市
  • 《ただ売り買いをしにばかり、このエウフェミアにやって来るのではございません。夜、市場のまわりの焚火を囲んで、袋や樽の上に腰をかけたり、絨毯の山の上に横になったりしながら、だれかが言いだす言葉――、「狼」とか、「妹」とか、「秘密の宝物」とか、「戦い」とか、「疥癬」とか、「恋人」とかというような――その一言ごとに、他のものがそれぞれ自分の狼とか、妹とか、宝物とか、疥癬とか、恋人とか、戦争とかの話を物語るためでございます。》

都市と欲望5:ツォベイデ(夢のなかで見た都市)
  • かつて夢のなかで見た女を追いかけて来た男たちが集まってできた都市
  • 夢のなかの都市を男たちは再現するが、一向に女は現われない
  • 白堊の都市らしいが、初めてやって来た男たちには「醜い都市」と映るようだ
都市と記号4:イバツィア(事物≠記号の都市)
  • バツィアにおいては、記号が事物を裏切る
  • あるいはそれこそが偽りのない言葉のあり方
  • 《「賢者はいずこに?」――パイプの男は窓外をさし示すばかり。そこは、九柱戯、鞦韆、独楽などの遊具を備えた幼児の遊び場でございました。哲人は芝生に腰をおろしておりました。その申すように――「記号が言語を形づくる。しかし汝が識ると信じておる言語ではない。」こうして、たちまち私は悟ったのでございます――それまでは私の探し求めるものを告げ知らせてくれて来ていたイメージから、今や解放されなければならないのだと。また、このようにして初めて私はイバツィアの言語を理解できるようになるのだと。》
精緻な都市3:アルミッラ(水道管の都市)
  • アルミッラの建物には壁も床もなく、もしも壁や床があったら適当であろう位置に水道設備が伸びているばかりで、さながら水道管のジャングルジムをなしている
  • 《私のたどりついた説明はこうでございます。アルミッラの水道管のなかを流れる水は、川の精、水の精らの支配するところとなり終ったのでございます。地底の水脈をさかのぼってゆくことに慣れている彼女らにとって、この新たな水の王国に入りこむこと、無数の水源から湧いて出ること、新たな眺望、新たな遊戯、新たな水の楽しみ方を見出すことは容易なことでありました。》
都市と交易2:クローエ(欲望を交わす都市)
  • クローエでは人びとが言葉を交わすことなく指一本触れることもないままに欲望を交わす
  • 《まこと淫蕩な戦きがたえずクローエを――もろもろの都会のなかでもっとも貞潔な都市を――ゆり動かしているのでございます。男らと女らがそれぞれのはかない夢を真実、生き始めたりしようものなら、ありとあらゆる妄想が人間となって、追いかけっこや、思わせぶり、誤解、衝突、抑圧の物語が始まることでございましょうし、空想の廻転木馬はぱったりと停ってしまうことでございましょう。》
都市と眼差1:ヴァルドラーダ(鏡写しの都市)
  • ヴァルドラーダは二つある。湖の畔に建つそれと、水面に写る逆さまのそれと。
  • ヴァルドラーダのなかにあるどんな場所も水面に写るよう工夫されており、住民はその一挙一動を鏡写しに確認しているので、《彼らは片時たりとも偶然や不注意に身をまかせることを妨げられておるのでございます。》
  • 《鏡は、ときに事物にその価値を添え、ときにはそれを損いもいたします。鏡の上でこそその真価を発揮するかに見受けられるもののすべてが、必ずしも耐え得るような映像を見せるとは限りませぬ。この双子の都市は、けっして相同じというわけにもまいりません。なぜならヴァルドラーダに存在するもの、ここに生じるもののどれ一つとして左右斉合ではないからです。姿や仕草の一つ一つに、完全に逆転した姿、仕草が鏡のなかから応えているのです。ヴァルドラーダは双方たがいに相手のために、たえず相手の眼差をのぞきこみながら、生活しているのではございますが、愛し合ってはおりません。》

都市と記号5:オリヴィア(隠喩の都市)
  • オリヴィアを言葉によって語るには、隠喩によるしかない
  • 《虚偽は言葉のなかにではなく、事物のなかにあるのでございます。》
精緻な都市4:ソフローニア(半移動都市)
  • ソフローニアは二つの都市からなる。一方は遊園地のような遊び場で、もう一方は生活を営む場である。一方は固定されており、もう一方はキャラバンのように移動する
  • ソフローニアが直観を裏切るのは、移動するのは生活の場のほうであり、固定されているのは遊園地のほうであると云うことだ。ソフローニアの住民は遊園地で暮らしながら、移動都市が戻ってきて真っ当な生活が再開されることを指折り数えて待っている
  • 米澤穂信がオールタイムベスト短篇のひとつに挙げていた
都市と交易3:エウロトピア(交換都市)
  • エウロトピアではまったく同じ都市が点在しており、この総体をエウロトピアと呼ぶ
  • 住民はその一つで生活しながら、現状に誰ひとり満足できなくなると、配役だけそっくり入れ替えて別の都市に移り住む
  • 《こうして都市はその虚な碁盤目の上をあちこちと移り動きながら、つねに変わらぬその生活をくり返しているのでございます。住民は配役を取り替えながら同じ場面をくり返し、さまざまな抑揚の組合せで同じせりふをその都度、言い変え、替るがわる口をひらいては同じ欠伸をしてみせるばかりです。帝国のありとあらゆる都城のなかでただ一つ、エウロトピアばかりがつねに替らぬ己が姿に留っているのでございます。へめぐり移ろうものどちの神、メルクリウスにこの都市は捧げられているのでございますが、この曖昧な奇蹟こそこの神の御業によるのでございます。》
都市と眼差2:ゼムルーデ(見られている都市)
  • ゼムルーデの都市は眺めるものの気分によって変わり、そのいずれが正しいわけでもない。《都会の一つの姿を他の姿にもまして真であると申すことはできません。》
都市と名前1:アグラウラ(語り得ない都市)
  • アグラウラについて語るには、くり返し語られてきた語られ方よりほかに方法がない
  • 《あれは何だと言おうと思いましても、今日までにアグラウラについて語られて来たことのいっさいに、言葉は虜のように捕えられており、そのために否応なしに、語るというよりむしろ、くり返し同じ言葉を言わずにいられぬようにさせられてしまうのです。》
  • そうして語られるアグラウラは、そこに建つアグラウラではない。
  • 《結論としては、こうなりましょう。すなわち、人々が語っている都市は、存在するために必要なものを数多く備えておりますが、他方、その場所に存在している都市は、語られている都市ほどには存在していない、と。》

精緻な都市5:オッタヴィア(蜘蛛の巣都市)
  • オッタヴィアの都市は二つの山の頂のあいだに吊されている
  • 《奈落の底の上に宙吊りになっているとは申しながら、オッタヴィアの住民の生活は、他の都市に較べてさほど不安なものでもございません。彼らは、時が来ればこの網も保たないことを承知しているのでございます。》
  • みんないずれ死ぬし、都市もいずれ滅びる。その点において、吊られた都市と聳え立つ都市のあいだに違いはない
都市と交易4:エルシリア(糸の都市)
  • エルシリアのなかでは家々を結びつける関係を、その種類ごとに色分けした糸で可視化して、戸口と戸口を結びつけている
  • やがて人が戸口を通ることができなくなると住民は去ってしまって、あとには糸と糸の支柱だけが残される
  • エルシリアを再建さえしながら、住民たちはその営みをくり返す
  • 《こうして、エルシリアの領域を旅してゆくと、彼らが捨て去った都市の廃墟にゆき会うのですが、城壁さえももはや姿を消し、風が転してゆく死人の骨とてありません。ただ錯綜する関係の蜘蛛の巣ばかり、それが一つの形を求めているのでございます。》
都市と眼差3:バウチ(大地から離れる都市)
  • バウチの住民は地上に決して近づかない。これには三つの仮説が与えられている
    • 彼らは大地を憎んでいる
    • 彼らは大地を尊敬している
    • 彼らは自らの不在の大地に見とれている
都市と名前2:レアンドラ(二つの神々の都市)
  • アンドラには二種類の神々がいる。ペナーティとラーリ
    • ペナーティ:家に憑く
    • ラーリ:場所に憑く
  • 住む人間と場所、どちらが都市を都市たらしめるのだろうか?
  • 《レアンドラの真の本質こそ、彼らの涯しない論争の主題となっているものでございます。ペナーティは自分たちこそこの都市の魂であり――よしんばわずか前年にやってきたばかりのものであっても――また自分たちがこの都市を立ち去るときにはレアンドラの都市そのものをもいっしょに持ち去ってしまうのだと信じております。ラーリのほうはペナーティを厄介で厚かましい臨時の客と心得ております。真のレアンドラは自分たちのものであり、このような本質が都市を包含するいっさいのものに形を与えているのである、すなわち、真のレアンドラとはあの闖入者たちがやって来る以前からここにあり、また彼らがみんな行ってしまった後にも残っているはずの都市であると考えているのでございます。》
都市と死者1:メラーニア(対話の都市)
  • メラーニアでは同じ対話がくり返される
  • 対話を担う住民たちはどんどん死んでゆくので、配役は順次入れ替わり、それに応じて一人二役することも出てきて、やがて対話は変容してゆく
  • 《時が経つにつれて、その役柄でさえ正確に以前と同じままではなくなって参ります。もちろん、これらの役が数々の筋立てや見せ場を通じて推し進めて参りますその行為は、何らかの大団円にむかってゆくものでございましょうし、またこんぐらがった状況がますます混沌となり、障害がますます大きくなって来るように見えるときでさえ、涯しなく解決に近づき続けているのです。継起するそのおりおりに広場へ顔をのぞかせるものは、幕ごとに台詞が変ってゆくのを耳にしておりますものの、メラーニアの住民たちの生命はあまりにも短すぎて、これに気がつくことさえございません。》

都市と交易5:エメラルディーナ(くり返されない都市)
  • エメラルディーナでは二点間を結ぶ経路は必ず複数存在するため、毎日がくり返されることがない
  • 無数の経路が網目のようになって全体を覆っている
  • 《エメラルディーナの市街図は、それゆえ、色とりどりのインクで書き込まれた、これらすべての固体、流体、あるいは公然、隠然の道すじを含んでいなければならないはずでございましょう。》
都市と眼差4:フィリデ(見えない都市)
  • フィリデの橋はどれ一つとして同じものがなく、眺め終ることがない
  • ところがいざこのフィリデに滞在すると、フィリデの全体は見えなくなり、目にする部分の一つ一つは、かつて目にしたことのあるもう消えてしまった何かとなってしまう
  • 《幾百万もの眼差が窓に、橋に、白花菜にむけて注がれますが、それは白い頁の上を走るにも似ております。フィリデのような都会は数多くございます。それはふと捉えるのでもなければ、いつも視線を逃れてしまうのでございます。》
都市と名前3:ピッラ(知ってしまった都市)
  • 語り手にとってピッラとは長らくその名前だけを知っている都市だったが、いざピッラを訪れてからは、かつて想像していたピッラは失われてしまい、そこにあるがままのピッラがピッラと云うことになってしまった
  • 《私の心は今でもやはり、見たこともなければこれからもついに見ることのないだろう沢山の都市を大事に抱え続けております。ジェトゥッリア、オディーレ、エウフラーシア、マルガーラといった、それ自体一つの姿なり、あるいはその想像された姿の断片が燦めきなりを秘めている名前です。入江にのぞむ高層都市も、相変わらずやはりその中にまじって、井戸のまわりに閉ざした広場を見せているのですが、もはや私にはその都市を一つの名で呼ぶことも、またどうしてそれにまるで違った意味をもつ名前を与えることができていたのか思い出すことさえもできないのでございます。》
都市と死者2:アデルマ(死者の都市)
  • アデルマで語り手が出会う人間はみな、知っている顔をしている。ある者は父に、ある者は祖母に。そのいずれも死んでいる
  • 語り手は思う。《「知り合った人のなかでも死んだ人のほうが生きている人より多くなる、そんな人生の境目にやって来たのだ。」》
  • そして語り手もまた、誰かにとっての死者の顔をしている
  • 《私はこう考えました、「恐らくアデルマは、死ぬときにやって来る都市なのだ。そしてここではだれもが自分の知っている人たちと対面するのだ。これは、私も死んだというしるしなのだ」と。そして私はこうも考えました、「あの世は幸福な場所ではないというしるしでもある」と。》
都市と空1:エウドッシア(地図の都市)
  • エウドッシアに保存されている一枚の敷物は、一見すると幾何学的な図柄に見えるが、その実よく見ると、エウドッシアの全体が写し取られており、エウドッシアのどの点とも対応が見出される
  • 敷物は秩序立てられて不動だが、じっと見ればその模様のなかに、進むべき道を、人生や運命の転機さえ見出すことができる

都市と眼差5:モリアーナ(裏表の都市)
  • モリアーナには二つの面がある。美しい都市と、廃れた都市と。けれども二つの側面があることは珍しいことではない
  • モリアーナの特徴は、両者が連続しておらず、文字通りに表裏一体をなしていることにある。《ちょうど一枚の紙のようで、こちら側とむこうとにそれぞれ絵姿があり、それはたがいに離れることも、顔を見合わせることもできないのでございます。》
都市と名前4:クラリーチェ(代謝の都市)
  • クラリーチェは何度も衰退と繁栄を繰り返し、そのたびに新しい資材や建物、物品がもたらされ、古く壊れにくいものはさまざまに転用されてゆく
  • 最初のクラリーチェが理想とされているようだが……
  • 《確かなこととして知られていることは、ただこれだけでございます、すなわち、ある一定数量の物体がある一定の空間内を、ときには多量の新物体によって埋没させられ、ときには取替えの部品もないままに消費されながら、移動しているということです。規則は、毎回必ずよく混ぜ合わせてから全部を揃え直してみることなのです。多分、クラリーチェというのは、いつだってばらばらに壊れて使い道すらなくなったがらくた類の取合せのまずい寄集めだったのでございます。》
都市と死者3:エウサピア(模型の都市)
  • エウサピアの住民たちは死への不安を和らげるため、その地下に都市の完全な模型をこしらえ、もしも死んだときは死体は地下へ運びこまれて模型のなかで暮らし続ける
  • 地上と地下の都市のあいだは、奉仕団なる者たちによって媒介される。奉仕団は地下の様子を地上に教える。地上の生者たちはそこで死者の都市が変容していることを聞き、負けじと地下の模倣をし始める
  • 《彼らに言わせますならば、この双生児の都市ではもはや、いずれが生者か、いずれが死者かを知る術などないのだそうでございます。》
都市と空2:ベルサベア(糞便都市)
  • ベルサベアには、天上と地下にそれぞれもうひとつのベルサベアがあると信じている。この信仰によれば、天上のベルサベアは最高の徳と感情に満ちており、最高の材料と技工が尽くされている手本とすべき都市で、地下のベルサベアは一切模倣するべきではない、汚れて醜い糞便の都市である
  • この信仰は、実際に天上と地下にそれぞれもうひとつのベルサベアがあると云う点で正しい
  • けれども技工の粋を尽くして建てられているのは地下のベルサベアのほうであり、地上のベルサベアは見当外れの徳目を積もうとしてかえって徳から遠ざかっている
  • そして天上のベルサベアを作り上げているのは地上のベルサベアの人びとが棄ててしまっている一見して取るに足らない品々であり、天上の都――それはベルサベアの天頂に浮かんでいる一つの天体である――のまわりを周遊する彗星を打ち上げているのは、《そのときだけは貪欲でも損得ずくでも計算高くもなくなるベルサベアの住民にとってまさに自由にして幸福な唯一の行為、あの糞ひるという行為なのでございます。》
    • 「糞ひる」なんて聞いたことなかったけれど、「ひる」で体外に出すと云う動詞らしい。「ひり出す」の「ひる」か。へええ。
    • 確かに「ひり出す」って排泄物以外に使ったことないかも
連続都市1:レオーニア(廃棄の都市)
  • レオーニアの住民はきれい好きなのか、日常のあらゆる品物を使い捨てる
  • そうして排出された厖大な廃棄物は都市の外へと棄てられるが、その山はどんどん高くなって都市を取り囲み、レオーニアが拡大するにつれてその山も拡大し、レオーニアの技術が発展するにつれ廃棄物は耐久性を増してゆく
  • 《日ごとに生れ変わりながら、この都市は唯一の決定的な形によって自己のすべてを永久保存させるというわけでございます、すなわち前日のごみも、前々日のごみ、日ごと年ごと代々のごみのなかに積み重ねられて得られる形でございます。》
  • レオーニア以外の国々も同様に国境で廃棄物の山をうずたかく積み上げ、両者がぶつかるときごみの山は互いのごみを交換して支え合う
  • そうしていつかごみの山が内側に向けて倒れたとき、混ざり合った隣国の過去も含めた過去の雪崩のなかにレオーニアは埋まるのだろう

都市と名前5:イレーネ(遠い都市)
  • イレーネは遠くから見る都市の名前であり、近づけばそれはもうイレーネではない
  • 都市は見る場所、見る者それぞれに別の名前が与えられる
  • 《その中へ入ることなく通り過ぎてゆくものにとっての都市はそれで一つの都、そこにとらわれて出てゆくことのないものにとってはまた別の都でありますし、初めてやって来る都市が一つの都なら、立ち去って二度と返らぬつもりの都市はまたもう一つの都でございます。それぞれにいずれも異る名前にふさわしい都市でございます。恐らく、イレーネについて私はすでに他の名前でお話し申し上げておりますし、恐らくイレーネのことしか私はお話し申し上げなかったのでございます。》
  • 都市論としての『見えない都市』のありようがここで語られているように思う。ここで語られる五十五の都市はすべてひとつの都市であり、またひとつの都市に別の見方と語り方を与えれば、それはすでにひとつの都市ではない
  • さながら角度を変えるだけで別の像を浮かび上がらせる万華鏡のようなもので、小説の幾何学的な構成もまたそのイメージを補強する。都市は互いに互いを写し出しながら、どこまでも無限につづいて留まることがない
  • この章で一瞬、語りが崩れる――三人称のような語りが挟まり、語り手がマルコ・ポーロであることが明かされる――のはどんな意味があるのだろう?
  • あるいは、意味とは?
都市と死者4:アルジア(埋もれた都市)
  • アルジアは土のなかに埋もれており、それがどんな都市なのか、そもそも存在するのかさえ定かではない
  • 文字通りの意味で「見えない都市」である
  • 《アルジアについては、この地上からは何一つ見えません。「この下にあるんだ」と申すものがおりますが、信ずるより他はございません。その場所は荒寥といたしております。夜中に、耳を地面に近づけますと、ときおり、ばたんと戸を閉ざす音が聞えます。》
  • この最後の一文で与えられるイメージが実に怪談チック。そう云えば「都市と死者」に分類されているのだった
都市と空3:テクラ(未完の都市)
  • テクラの都市はいつも建設中で、工事用の板囲いや幕、足場に覆われている
  • 《「テクラの建設はなぜこうも長く続くのか?」という問には、住民たちは、桶を引き揚げ、鉛直儀の糸を垂らし、長い柄の刷毛を上下に動かす手をいっこうに休めようともせず、こう答えるのでございます、「破壊が始まらないように」と。》
  • 陽が落ちると工事は終わる。夜空に浮かぶ星を見て、彼らはこれが工事の計画なのだと云う
    • こう云うのって「自己目的化」で済ませがちだと思うが、ここでは天の星を持ってきているのがユニーク
連続都市2:トルーデ(既視の都市)
  • トルーデの空港は出発した空港と同じに見える。空港の先に広がるトルーデは、どこもかしこもかつて何度も見たことのある景色だ
  • 《「しかしまた何から何まで同じもう一つのトルーデに着くのです。世界はただ一つのトルーデで覆いつくされているのであって、これは始めもなければ終りもない、ただ飛行場で名前を変えるだけの都市なのです。」》
  • ……空港?(いまさら)
隠れた都市1:オリンダ(たまねぎ都市)
  • オリンダは都市のなかに都市を含み込んだ点を持っており、この点は時間が経つと拡大して外側の都市を押し広げてゆく
  • ふつう、都市が拡がる際は樹木の年輪(成長輪)のように外側へ一層ずつ拡がってゆくが、この都市は内側から新しい都市が生成されてゆくわけだ
  • そして新しく生成されたもっとも内側のオリンダのなかには、すでにこれから生成されてゆくオリンダが内包されている

都市と死者5:ラウドミア(生れ来ぬ者たちの都市)
  • すべての都市は墓地を備えている。それは死者のための都市であり、この意味においてすべての都市は二重であるが、ラウドミアの場合はここに《まだ生れ来ぬ人たちの都市》を含んでいる三重の都市だ
  • 《まだ生れ来ぬものたちのラウドミアは、死者たちのラウドミアとは違って、生あるラウドミアの住民たちに多少とも安心感を伝えるということがございませず、ただ不安ばかりを伝えて寄越すのでございます。》
  • 死者たちは歴史を伝えるが、まだ生れ来ぬ者たちは、文字通りに未来を伝える。人口爆発が起こるにせよ、あるいは反対に人口減少を想像するにせよ、《どちらがいっそうの悩みをもたらすものか、だれも存じません。》
都市と空4:ペリンツィア(計算違いの都市)
  • リンツィアを建設するにあたって、占星術師たちは神々の与える調和を反映するよう計算し、都市はそれに正確に従って建設された
  • しかし今日のペリンツィアは、まるで計算違いのように、障害者や異形の者たちで満ちている
  • 《ペリンツィアの占星術師たちは今や困難な岐路に立たされておるのでございます、すなわち彼らの計算がすべて間違っており、彼らの数字は天空の動きを語るには何の役にも立たないことを認めるべきか、あるいは神々の秩序とはまさにこの怪物の都市に映しだされているものに他ならぬことを打ち明けるべきかと。》
連続都市3:プロコピア(過密都市)
  • 語り手は毎年プロコピアに滞在し、同じ宿屋の同じ部屋に泊まる
  • その部屋の窓辺から見える景色には、訪れるたびに人の顔が増え、やがて窓全体が顔に覆われて外を眺めることはできない
  • そして部屋のなかにもまた、人間がすし詰めのようになっている。《幸い、みなさん御親切な方々ばかりでございます。》
隠れた都市2:ライッサ(不幸な都市)
  • ライッサに住む人びとは、みな幸福そうには見えない
  • にもかかわらずライッサの都市には、幸せな一瞬がか細い連鎖をなしている
  • この都市の不幸と幸福について、哲学者は言う。《「陰鬱なライッサにおいても、やはり目に見えぬ一本の糸が走っており、それは生ある者の一から他へと一瞬のうちに結び合せては解け、さらになお動いている点と点とのあいだに張り渡されて新しい刹那の図形を描きだし、こうして一瞬ごとに不幸な都市はそのなかに、みずからの存在することさえも知らぬ幸福な都市を包含するものとなるのだ。」》
  • 地獄のようなこの世にあって、それでもなお残された一縷の希望を見出すこと。ライッサは断章部分でマルコ・ポーロがくり返すペシミズムすれすれのオプティミズムを反映している
都市と空5:アンドリア(天球儀都市)
  • アンドリアの道はそれぞれがなにがしかの惑星の軌道をなぞっており、公共の場所と建物はすべて天体の秩序に基づき、都市の暦は星座図に対応している
  • 都市と天界との照応は真に完全であるため、都市のあらゆる変化は天界の変化を反映しており、またアンドリアの人びとは、都市の変化が天界へ反映されると考え、いっさいの変化をおこなう前に慎重な計算をおこなう
連続都市4:チェチリア(世にも名高い都市)
  • 語り手にとって名前がついているのは都市であり、そのあいだに拡がる空間は名前がない。しかし語り手がチェチリアで出会った山羊飼いの男は《私にとっては都会に名前はございません》と云う。《「都会は草場と草場のあいだを距てる草のない場所でございます[…]」》
  • 自分にとって名前のついていない場所では、場所が混ぜこぜになってしまう。語り手にとって都市のあいだの空間が混ぜこぜになってしまうように、山羊飼いの男にとって都市は混ぜこぜになる
隠れた都市3:マロツィア(鼠と燕の都市)
  • マロツィアの運命についてこんな信託があった。巫女は云う――《「二つの都市が見える、一つは鼠の都市、もう一つは燕の都市じゃ。」》
  • マロツィアの人びとはこの神託を、鼠の都市から燕の都市への解放を述べているのだと解釈した。けれども解放を目指してどれだけ都市を改善しようと、燕のような軽やかな翼は得られない
  • 《私はこんなふうに解釈いたしております。すなわち、マロツィアは二つの都市から成り立っているのでございます、鼠の都市と燕の都市と。どちらも時とともに変化いたしておりますが、両者の関係は変りません。すなわち、後者は前者から解放されつつある都市なのでございます。》
連続都市5:ペンテシレア(辺獄の都市)
  • どこからがペンテシレアで、どこまでがペンテシレアなのか、答えられる者は誰もいない。ただ郊外のような空間がどこまでも茫漠と続いてゆく
  • 《ペンテシレアの外に外は存在するのか? それとも、どんな都市から離れて行っても、辺獄(リンボ)から辺獄(リンボ)へと通り抜けてゆくばかりでけっして外へ出ることはないのではないのか?》
隠れた都市4:テオドーラ(人間の都市)
  • テオドーラはその歴史を通じて、およそ外敵となる人間以外の生物を絶滅させてきた
  • ある種が絶滅したらそれを天敵とする動物が増加する。それもまた絶滅させる。鼠はしぶといが、それも絶滅させ、テオドーラはようやく人間だけの都市を手に入れ、その内に閉じ籠もった。《その動物相がどのようなものであったかを誌す思い出として、テオドーラの図書館はビュフォンとリンネの著述を書架に納めることとなるのでございます。》
  • しかし――《長い長い時代を通じて、今では絶滅した種の体系によってその地位すらも追われて、別格の隠れ場所に棚上げされていたもう一つの動物相が、揺籃期本(インクナボリ)の保存されている図書館の地下倉庫から明るみに舞い戻り、柱頭や雨樋口から跳びおりて来て、眠っている者の枕もとに蹲るのでございました。スフィンクスグリフォン、キマイラ、龍、山羊鹿(トラゲラポス)、ハルピュイア、ヒュドラ、一角獣(リオコーン)、バシリスクなどがふたたび彼らの王国を取り戻し始めたのでございます。》
  • 幻想的な結末だが、これをどう読めば良いのだろう。人間以外の種を絶滅させながらみずからの内に閉じ籠もるテオドーラは、まさしく現代人の都市にほかならない。その果てにやって来る幻獣たちは、人間にとっての他者としての動物たちがなおも絶えることがないと云う希望を語っているのだろうか、それとも幻想が興隆を極めるような時代は人間以外誰も残らないような時代だと云う、これは絶望だろうか?
隠れた都市5:ベレニーチェ(正義と不正義の都市)
  • ベレニーチェは不正義が横行しているが、その内部には正義を志す者たちの都市が隠れ潜み、不正義の都市を内側から掘り崩そうとしている
  • けれどもその正義のなかには驕りがあり、欲望があって、正義を内部から掘り崩す
  • そしてその不正義のなかにも、また正義がある……。正義と不正義の果てしない包含の構造
  • 《この私の話から引き出せる結論は、せいぜい、真のベレニーチェとは正と不正の交替する、異る諸都市の時間的な継起であるということぐらいでございましょうか。しかし私が御注意申し上げたかったのは他のことなのでございます。すなわち、未来のあらゆるベレニーチェはすでに現在のこの瞬間に存在しており、しかもつぎからつぎとくるみ込まれているために、解きほぐすこともできないほどぴったり詰めこまれているのだということでございます。》
  • この結論は、その後のエピローグでマルコ・ポーロが語る言葉へ繋がるのだろう――《「生ある者の地獄とは未来における何ごとかではございません。もしも地獄が一つでも存在するものでございますなら、それはすでに今ここに存在しているもの、われわれが毎日そこに住んでおり、またわれわれがともにいることによって形づくっているこの地獄でございます。これに苦しまずにいる方法は二つございます。第一のものは多くの人々には容易いものでございます、すなわち地獄を受け容れその一部となってそれが目に入らなくなるようになることでございます。第二は危険なものであり不断の注意と明敏さを要求いたします。すなわち地獄のただ中にあってなおだれが、また何が地獄ではないかを努めて見分けられるようになり、それを永続させ、それに拡がりを与えることができるようになることでございます。」》