鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

満州で過ちを測る:小川哲『地図と拳』について

 似たようなことだが、いつのまにか私たちの地図が、自分で夢を見るようになった。だから毎晩、地図が眠りこみ、都市はたえまなく形を変えている。円かったかと思えば正方形になり、山頂にあったかと思えば海底に沈んでいる。煙のような都市。人の声すらしない都市。騒音に引き裂かれた都市。内部から炸裂する都市。都市についてはお伽話ばかり。
 その間に、都市は崩壊し、廃墟になり、しかしいつでも最新の建物で埋まっている。正確無比で客観的な地図など、この世のなかには存在しないのである。
――多木浩二「歴史の天使」*1


 何年か前、測量学の講義を受けたときのことだ。「この授業の目的は、完璧に正確な地図の作り方を教えることではありません」と先生が云った。彼は准教授で、専門は都市・農村計画だったはずだ――いや、『地図と拳』ふうに云うなら、都邑計画か。そもそも、と彼は続けた。「完璧に正確な地図をつくることはできません」
 曰く、その理由は三つある。第一に、世界があまりにも複雑すぎるからだ。完璧に水平な地面はあり得ず、地球は丸い。しかもその球形は、凸凹と微妙に膨らんでいる。どんな土地にも計算をはみ出す歪みが存在し、その歪みを紙の上で正確に写し取ることはできない。
 第二の理由は、測量器にある。と云うのも、完璧に正確な測量器など存在しないからだ。その日の気温や湿度、そして第一の理由にも通じる土地の傾きによって、測量器は必ず歪む。もちろん統計的な処理によって誤差はある程度避けられるが、統計もまた完璧ではあり得ない。この世界を測るにあたって、測量器もまたこの世界の一部である以上、すべては相対的であり、絶対的な基準は不可能だ。
 しかし、もし仮に完璧に水平な土地と完璧に正確な測量器が与えられ、第一と第二の問題が克服されたとしても、われわれは完璧な地図を手にすることはできないだろう。測量器の使い方を誤るかもしれないし、測量結果を書き間違えるかもしれない。横着して測量を怠ったり、それを誤魔化すために計算で済ませたり。あるいは、完璧な土地がほしい何者かから賄賂を手渡されて、「ここは完璧な水平ではありません」と虚偽の報告をするかもしれない。つまり、これが第三の理由である――人間が測量するからだ。人間は必ず間違えるし、嘘をつく。
「ゆえに、正確な測量はあり得ません」と云って先生は、説明を締めくくった。「この授業では、測量が必ず間違っていることを前提としたうえで、発生しているであろう誤差の計算とその訂正を扱います。測量学とは、間違いを測る学問なのです」
 あの丸眼鏡の男なら、この話から何がしかの教訓を引き出しただろう。彼――細川が戦争構造学研究所でおこなおうとしたのは、世界を正確に測量し、地図に写し取ることであり、それによって世界の行く末を予測することだったからだ。彼は百年後に生きる都邑計画の研究者に、反論しただろうか。同意しただろうか。「それでも」と抵抗しただろうか。「やはりか」と諦めただろうか。
 いずれにせよ彼は、日本が生き延びるための別の道を模索するはずだ。

 戦争構造学とは、『地図と拳』に登場する架空の学問である。提唱者である細川は、研究所開設のスピーチで国家の趨勢を「地図」に、地図をめぐる戦争を「拳」に喩えて、次のように述べる。

「戦争構造学とは、地図と拳の両面から、日本の未来を、そして人類の未来を考える学問です。戦争構造学とは、地理学、政治学歴史学軍事学、人類学などを含む、領域を横断した学問です。十年後、世界の地図はどのように変わっているでしょうか。人類はどのように考え、その帰結が何を生むでしょうか。僕たちの研究所はまだ設立したばかりで、人類がどのような未来を歩むか、まだ確定的なことは何も述べられませんが、全力を尽くして未来を予測することと、その予測をもとに正しい行動をすることを約束します」
(第十章、342頁)*2

 この企ては二重の意味でうまくいかない。ひとつには、そもそも正しい予測を立てることは甚だ困難であると云う点で。測量するには世界はあまりに複雑で、絶対的な基準はあり得ない。そして、たとえある程度は正しい予測をしたところで、人間は正しく行動しない。人間は間違える。人間は嘘をつく。人間は騙される。
 しかしそれならば、学問で戦争を止めようとすることは無意味なのだろうか? 振り上げられた拳には拳で応える以外に方法はなく、読むことも書くことも考えることも虚しいのか?
 日米開戦前夜、研究所の「日銀総裁」石本はそんな無力感をも超えたような諦めの境地に至る。

 昭和十五年の九月だった。ドイツはイギリスを空襲していた。日本軍は相変わらず支那と戦っていた。研究所のデュナミスによれば、今後も戦線は拡大し続けるだろう。日本は総力戦となり、アメリカやソ連を相手に泥沼の戦いをすることになるはずだ。
 だが、どういうわけか、石本はもう戦争が終わったつもりでいた。もしかしたら細川や赤石も、同じような想いに至ったのかもしれない、そんなことを考えた。戦争への道を避けられなかった時点で、もはや何もできることはないのだ。日本は不治の病にかかってしまい、もう治療はできない。戦争は始まっていなかったが、始まる前から終わっていたのである。
(第十四章、524頁)

 学問すると云うことは、ものごとには理屈があると信じることである。現象があれば、それを結果としてもたらす何がしかの原因がある。そして現象は、それを原因として次なる結果をもたらす。そうした因果を前提に置かなければ、学問と云う営みは成立しない。
 学問はなんであれものごとを分析する。そうして因果を、ものごとの理屈を考える。因果がわかれば構造化できる。それは一切を水平の地図に記述しようとするようなものだ。そこではもはや、未来も過去もない。あらゆる出来事が別の出来事の原因であり結果である以上、行く末も来し方も等価だからだ。
 そのような信念は必然、決定論に漸近する。あらゆる出来事が始まる前に終わる。すべてが決定づけられている以上、何をしようと、何を考えようと無駄である。石本も同じように思う。だから彼は夢中になって踊る。踊る以外に、一切は虚しいからだ。
 ――いや、そうだろうか。それはそれで、頭でっかちな諦念ではないか?

 細川が戦争構造学を起ち上げるときのスピーチが「地図と拳」と題されていたことが暗示しているように、『地図と拳』と云う小説そのものが、ひとつの戦争構造学と考えることができる。巻末に挙げられた参考文献は作者の勉強量を示すが、それは決して虚仮威しのためではないだろう。本書は細川が予測しようとした未来を、現在の時点から遡って辿ったのであり、参考文献リストは単なる勉強の証拠と云う以上に、学問としての引用文献リストである。ならば論文としてどこまで優れているか。それはいまのぼくに判断のつくことではないし、正直なところ、関心もない。そもそも本書は小説だからだ。どう云うことだ、話が違うじゃないか、なんで小説として書いたんだ、と云う問いへの自分なりの答えは、またのちほど触れる機会があるだろう。
 いずれにせよ、本書を「戦争構造学小説」として捉えたとき、ならば本書もまた石本と同じ境地に至るのだろうか。戦争は決定づけられ、一切は無意味なのだろうか。いや、そうではない。学問すること=地図を描くことは、確かにそれがあったのだと記録する。同時にそれは、地図が描かれたと云うこと自体もまた記録するだろう。そうして紙上に記された出来事は、なるほど否定し得ないが、否定し得ないからこそ意味がある。

 なにをもってしても過去を消すことはかないません。そこには悔悛があり、償いがあり、赦しがあります。ただそれだけです。けれども、それだけでじゅうぶんなのです。
――テッド・チャン「商人と錬金術師の門」*3

 思えばテッド・チャンもまた、決定論そのもの、あるいは決定づけられた終わりに対して思考し、小説として書き続ける作家だった。
 決定論を扱っているわけではないものの、短篇小説「息吹」もまた、避けられない終わりを前にして書くことに何ができるかを書いていた。語り手は、その答えとして、ひとつの説明――「息吹」と云う小説自体――を書き残す。そして想像する。「あなた」と語りかける。遠い未来、外からやって来たあなたが、この説明を読み、そして「われわれの残した他の書物」を読むことを祈る。

 あなたの仲間の探検家たちが、われわれの残した他の書物を見つけて読めば、あなたがたの想像力の共同作業を通じて、わたしの文明全体が生き返ることになる。静まりかえった地区を歩きながら、あなたがたは、ありし日の光景を想像する。塔時計が時を打ち、給気所には近所の噂好きが集まり、触れ役は広場で詩を暗唱し、解剖学者は教室で講義する。こうしたすべてを思い描いたあとで、周囲の制止した世界を眺めると、あなたがたの心の中で、それがまた命を吹き込まれて動き出す。
――テッド・チャン「息吹」*4

 こうした「想像力の共同作業」を喚起するものこそ、『地図と拳』のもうひとつの、そして中心的テーマ――建築である。

 作中ではくり返し「建築とは何か」が問われる。それらの答えはいずれも違うようでいて、同じ答えを別の角度から切り出しているようだ。中川は「建築とは避難所である」と云う。建築とは人間の身を守るものであり、ゆえに国家もまた建築である。細川は「建築には歴史と思想が表れる」と云う。須野はそれと同じ役割を地図に見出し、この須野の考えを引き受けながら、細川は「国家とはすなわち地図である」と云う。ここでもまた、国家と建築は結びつけられている。建築には国家の記憶が刻まれる。建築は国家の象徴となる。一方で、国家の図面を引くことは建築を建てることに通じる。外部から襲いかかる暴力に対して、なかにいる人間を守らなければならない。しかし国家は建築と同様に机上の設計図ではあり得ず、さまざまな力学に曝される。そして国家とはあまりに大きく複雑なものだから、崩壊しないための正しい図面を引くことができる者は誰もいない。
 とは云え中川や細川、そして須野の思想を引き受けながらも、明男にとって建築は、国家よりもさらに大きなものだった。細川との対話のなかで、「建築とは時間です」と彼は云う。

「同じ場所に、同じ形の建築が存在することで、人間は過去と現在が同一の世界にあるのだと実感します。たとえそれが凡庸な建物であっても、存在そのものが価値になるのです。あなたにとっては意味のない建築かもしれない。でも、生れたばかりの子どもにとってはどうでしょうか。彼や彼女が見た建築は、二十年後に幼いころの記憶を繋ぎとめる鍵になっているかもしれません。だから僕は、建てることに意味がないとは思いません。意味がないのは破壊することです。かつてその建物がその場所にあったことを、抹消する行為です」
「なるほど」と細川がうなずく。「君は『時間を繋ぎとめる』という点において、すべての建築に意味があるという。つまり君は人類の話をしている。そして僕は日本人の話をしている。それが僕たちの違いだ」
(第十七章、613頁)

 国家と人類。その規模の違いに、細川の地図測量――彼が作中で試みるさまざまな工作――が失敗してしまう、大きな理由がある。彼は誰より広い視野を持っているかもしれないが、それでも彼は国家と云う基準から逃れることができない。しかし国家と云う物差しは、世界を地図として記すにあたっては歪みが大きすぎるのだ。
 あるいはこうも云えるだろう。細川の引く図面はしょせん、図面止まりのアンビルトである、と。彼は権謀術数に長けてはいても、明男のように自然を――何よりもわれわれの現実の基盤を成すものである風や温度を――厳密に考慮することができない。それは彼が結局、国家と云う虚構の建物に囚われているからだ。彼にとっての建築は、どうしても観念の側にある。彼が考えるのは、未だ来ぬと云う意味でアンビルトである未来のことばかりだ。最後に彼が計画する建物も、未来を象徴するビルである。
 もっとも、既存の建築については細川も、その来歴を、過去を見出している。建築とはまず何より、過去を記すものである。そして、国家が滅んでも建築は残ると云う点で、建築は国家より、ともすると大きいものである。
 建築は記憶する。建築は思い出させる。なにをもってしても過去を消すことはかないません。建築が残っている限り、あるいは破壊してもなおその痕跡が残っているならば、そこに人間が生きていたと云う過去を消すことはできない。

 時間。すべての建築は特定の時間に帰属する。現代建築は現代に、古典建築は過去に。そして、その時間を無限に延長しようとする。モニュメントの語源は「思い出させる」ことにある。拳の記憶を、その時間を、永遠に保存し、呼び覚ますこと。
(第十六章、577頁)

 最前に『地図と拳』は戦争構造学小説であると述べた。もっともその戦争構造学は、未来の予測ではなく過去の遡行として実践されている。向いている方向が逆になったとき、戦争構造学は「いかにして戦争を止めるか」ではなく、「なぜ戦争を止められなかったのか」を問うことになる。「これから何をするのか」ではなく、「かつて何をしてしまったのか」を。そうして振るわれた拳の記憶を――振るった人、振るわれた人、引っくるめたそこに生きていた人びとのことを、思い出すこと。そこに『地図と拳』の戦争構造学がある。
 ゆえにこう訂正しよう。『地図と拳』は、建築である。建築についての小説であり、それ自体が建築なのだ。そうして書かれた小説、刻まれた言葉は未来に残り、過去を呼び覚ましつづけるだろう。

 我々が森の中を歩いていて、シャベルでもって長さ六フィート、幅三フィート程の大きさのピラミッドの形に土が盛られたものに出会ったとする。我々はそれを見て襟を正す気持ちに襲われる。そして、我々の心の中に語りかけてくる。「ここに誰か葬られている」と。これが建築なのだ。
――アドルフ・ロース「建築について」*5


 しかしそうして思い出された過去は、決して過去だけを物語るのではない。
 歴史はくり返されるものだと考えるなら、過去を考えることは未来を考えることである。あるいは、くり返しを避けるためにもまた、過去を考えなければならない。いずれにせよ現在と未来は過去からの地続きである以上、過去を参照することは、未来を考えることになる。戦争構造学とはそのような学問であったし、『地図と拳』もまたそうだろう。一切が運命づけられた決定論を信じるとしても、これは変わらない。未来は未だ書かれざるものであり、未来を書くためにも、われわれは過去を見る。この仕組みは、李大綱――になり代わってしまった人物――の来歴を語る序盤ですでに示されている。

 千里先を見ることは、千里前を見ることと同じだった。
(第三章、121頁)

 彼は過去から未来を語る。その精度は凄まじく、李家鎮=仙桃城の歴史の一切が、彼の記した小説のなかに語られていることが仄めかされる*6。しかしだからと云って、李大綱=周天佑が未来予知の能力を持っていたのかと云えば、そうではない。彼の来歴を踏まえるならば、それは彼自身に身についた特殊能力と云うよりも、物語――それも、適切に語られた物語が持つ効果である。

 未来とは人々が何を信じるか――つまり真偽にかかっている。そして、真偽を決めるのが善悪である。善悪を知り、真偽を作り、正しく語る。説話で聴衆の心をつかんできた周にとって、千里を見通すこと、あるいは千里を見通していると信じさせることは容易かった。
(第三章、122頁)

 善悪を知り、真偽を作り、正しく語る。物語は過去に根ざし、聴衆の心に根ざす。すると物語は自ずから現実と結びつき、未来を語る。あるいは、未来を語っているのだと信じられる。もう、こう云ってしまって良いだろう。李大綱=周天佑が語ったのは、SFである。とてもよくできたSFである。
 もっともこうした見方は、SFは未来予知の道具ではない、と反論されるはずだ。いかにも。未来予知のように読めるSFはたくさん書かれているが、それは本当に未来予知をしているのではなく、「善悪を知り、真偽を作り、正しく語」られた物語が、現在――いつの時点でも――においても未来予知のように読める、と云うことだろう。
 優れた想像は現実に風穴を開ける。考え抜かれた理屈は現実を裏打ちする。物語は現実と結びつく。物語は時として窓になり、鏡になる。李大綱=周天佑が試みたように練り上げられた物語は、人の心に届き、人を動かし、あるいはまるでそのようにして現実に働きかけているかのように読まれる。『地図と拳』は、そんな物語の功罪を問う小説でもある。

 物語が現実と結びつくとき、メディアが必要になる。李大綱=周天佑は物語ることを建築に喩え、その比喩は『地図と拳』全体を貫いているが、建築そのものは物語そのものと云うよりも、物語を再生するためのメディアなのだと云うべきだろう。建築の構想だけでは建築が建たないように、物語もまた、想像だけでは物語られ得ない。そこには声や文字と云うメディアが必要になる。プロットは構造材であり、文体はマテリアルだ。公園を設計しようとする明男の次の思考は、建築と小説の違いを述べているようでいて、小説に求められているものが暗に述べられている。

 とある小説家によると、突然天啓が降りてくることがあるという。
 建築においてそんなことはなかった。建築家は原稿用紙の上ではなく、現実世界に物語を記さなければならない。だが、現実世界には重力がある。雨も降るし、雪も降る。風も吹くし、しばしば自然災害が起こる。湿気たり、乾いたりする。それらを勘案して設計し、適切な建材を見つけなければならない。建材が見つかっても、加工技術が追いつくかもわからない。そして、すべての要素を「予算」や「発注者」や「法律」という壁が阻害する。頭の中の空想は、いつまでも空想のままだ。紙の上の計算は、紙の上の計算にすぎない。明男は最後に、いつも同じ敵と戦う羽目になる。現実世界という敵である。
(第十二章、446頁)

 小説を書いたことがある人間ならわかるように、天啓が降りてきたところで、それが一気に小説として書き上げられるわけではない。降りてきた発想をどう組み立てるか。構造や素材に気をつけなければ小説は自壊してしまう。適切な書き方がわかったとしても、書き手の技術がそこに追いつくかどうかわからない。プロの作家ならばここに、「予算」や「発注者」や「法律」の束縛が強くのしかかる。小説はなるほど原稿用紙に書かれるけれども、原稿用紙もまた枚数単価で数えられる現実である以上、小説を書くこともまた、「現実世界に物語を記」すことであるはずだ。そのためには空想さえも完全に自由ではいられない。物語を物語るとき、物語は空想と同時に現実によっても規定される。

 本当の難点は信念にある。僕が担当した十八歳の学生たちは、読者が現実で、自分自身も現実で、世界の話題も現実だとはまったく信じていない。そうだということを、どこまでも主張しなければならないとは信じていない。
――リチャード・パワーズ『ガラテイア2.2』*7

 もっとも、こうしたことを云われると、小説はもっと自由であるはずだ、と云いたくもなる。小説は何を書いても良いし、どう書いても良いのではないか、と。
 ここで思い出されるのは、エンパイアステートビルについて交わされた、細川と明男の問答だ。超高層ビルを実現するために必要だった技術とは何か、と細川は問う。

「答えは、エレベーターと空調機の発明だよ。この二つの技術が、超高層を実現させたのだ。エンパイア・ステート・ビルディングを設計した男はそう言っていたよ。四百メートルの建物では、高層階へ階段で移動するわけにはいかない。利用者を運ぶためにエレベーターが必須だった。また高層階では風が強く、窓を開けることもできないので、換気をするための空調機も必要だった。実用的な高層ビルディングには、この二つの技術がなければならなかった」
(第十四章、503頁)

 細川はこの話から「壮大な建築も、案外細かな技術の集積によって実現する」と云う教訓を導く。しかしここで云う、その細かな技術とは、人間がそこで生存することを可能にする技術である。逆に云えば、人間が住むことを度外視したとき、真に巨大な建築ができると云えるだろう。ピラミッドやストーンヘンジとは、そのような建築ではなかったか?
 小説もまたそうだ。人間が読むことを度外視したとき、細かな技術など必要なく、巨大な建築をものすことができる。誰に読まれることのない、自分ひとりのためだけの、空想の城。
 しかし、『地図と拳』において、そのような城はもはや建築とは呼ばれない。

 建築は誰のものか。利用者のものである。すなわちこれは建築ではない。明男はそう思った。これは巨大な兵器である。
(第十五章、528頁)

 満州では、もはや本物の建築は期待されていなかった。誰かを殺すための施設を作ることは、建築家の仕事ではない。
(同、536頁)

 いち読み手としては、巨大な兵器で結構だ、と云う気持ちもないではない。それはそれで迫力があり、それにしかできないかたちで人を楽しませるだろうし、何より書き手自身にとって救いとなるだろう。けれどもそんな巨大建築は、ともすると陰謀論的な誇大妄想に漸近する。なんとなれば、その空想は現実と結びついておらず、その建物には他者が住んでいないからだ。自分の頭のなかの空想が現実に対して優位になってしまう。そんな境地を、チェスタトンならば「狂人」と呼ぶ。小川哲の作品には、しばしばそんな意味での「狂人」が登場する。『ゲームの王国』のポル・ポト。「時の扉」のヒトラー。あるいは真正面から陰謀論を取り上げた「スメラミシング」。そして『地図と拳』の場合、そのひとりは憲兵の安井だ。天皇を妄信する安井はその意味で物語の暴力を振るう者であり、最後には首を吊ることで、自身もまた物語の犠牲者となる。そしてその姿には、現実を見定めることができないままに敗北へ突き抜けてゆく大日本帝国が重ねられている。
 だからこそ、と云える。だからこそ、小説は他者を考えなければならない。自分の空想の埒外にある他者をも考慮しなければならない。『君のクイズ』を筆頭に、小川哲は一貫して、他者との遭遇を描いている。そもそもSFや歴史小説を書くことは、現在の自分とは違う思考で生きる人びとを想像することであるはずだ*8。遠い過去に生きた人のこと。遠い未来に生きる人のこと。遠い国に生きる人のこと。その想像は絶対に届かないかもしれないが、しかしそうして手を伸ばすことによって、われわれは自分の想像の外側にあるものを知る。

 長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。
――ガブリエル・ガルシア゠マルケス百年の孤独*9

僕たちは日々、これまで知らなかったものに触れる。それらは多かれ少なかれ、僕たちの人生を変える。まだまだ、世界には自分の知らないことが数多く存在するのだと教えてくれる。「氷」とはすなわち文明であり、宝石であり、神だったのではないか――僕はそんなことを考える。
――小川哲「受賞エッセイ」*10

 他者を知ること。それはこう云い直しても良い。世界を知ること。建築は、地図は、小説は、そのために時間を繋ぎとめる。

 ここでようやく、クラスニコフ神父に登場願おう。高木・細川・須野・明男と云う、小説の縦糸となる男たちとはほぼ言葉を交わさなかったにもかかわらず、彼らの人生を、言葉で裏打ち――思えばこれは製紙用語だ――するように生きた人物。彼は生きることの虚しさを知りながら、それでもなお生きるべきだと云う。

「何をすればいいのかわかりません」
「何かをしなければならないわけではありません。ただ生きればいいのです」
「意味があるのですか?」
「それなりに長く生きてきたので、あなたの気持ちも少しはわかります。私の人生も、失ってばかりでした。大切な人を失い、教会を失い、神の御言葉を失ってきました。それでも生きるのです」
(第十七章、602頁)

 『地図と拳』において、真に何かを成し遂げた人物はいない。図面を思ったとおりに引いて、建築を竣工まで立ち会えた人間はいないのだ。唯一の例外は、最後に地図を遺した、クラスニコフだけだろう。その彼さえ、あらゆるものを失い、無数の挫折を生き抜いてきた。生きることは残すことであり、残すことは時間を繋ぎとめることだ。何かを残すことは、それこそ奇跡である。

 ある日、一人の書記が、物語を文字で表現した。政治や経済のために使われていた文字を組み合わせ、物語を言語に置き換えた。聖書が生まれた真の奇跡は、このことにある――クラスニコフはそう言った。それまで声で伝えていたことが、文字になった。文字を学ぶことさえできれば、どの時代の、どの立場の人でも、等しく神の声を聞くことができるようになった。
(第十一章、400頁)

 物語と小説が、ここでは区別されていることに注意したい。物語とは、後付けされた因果であり、先取りされた想像であり、いずれにせよそれのみではかたちとして残らない。物語は文字と云うかたちで残されたときはじめて他者に開かれる。声のみでは目の前の誰かに伝えることしかできない。自分の声の聞こえない、眼には見えない向こう側へ向けて物語ること、それが小説なのだ。しつこいようだが、『地図と拳』の勘所はここにこそあると思うのでくり返したい。書くことによって残す。残されたものを読む。そうすることによって人は、時間に繋ぎとめられる。
 『地図と拳』は、建築=地図=小説と云う営為を、そのような繋留として書く。クラスニコフの地図が広げられる終章は、その集大成だ。十年ぶりに仙桃城を訪れた明男は瞑目し、街の幻を思い浮かべる。自分が知り、自分が携わった街を。
 目を開いたとき、そこにあるのは廃墟だ。

 かつての仙桃城が、午後の光に溶けていく。すべての過去が、ありえたかもしれない現在が、変えようのない現実の中に吸いこまれていく。
(終章、619頁)

 切ないシーンだ。しかし、ただ切ないだけではない。第十二章、明男が自らの仕事として公園を、モニュメントを決意するくだりを思い出してほしい。

 光とは命である。光は、そこに何かが存在することを示す。光がなければ、人びとは何も見ることができない。光は人間にとって――むろん建築にとって――命そのものである。
 だからこそ、建築家たちは光を利用する。あるときは命を生みだすために。あるときは命を見つけるために。あるときは命を奪うために。
 光が命であるならば、闇はなんだろうか。
 想像力だ、と明男は思う。
 明男は東州河の向こうに広がる冷たい暗闇の中に、太陽の光を幻視する。明け方になると、大豆と高粱の畑が早朝の光によって薄紅色に染まる。日が昇るにつれて次第に茶色がかった緑色に変わり、正午の黄色い陽光が眩い白色の世界をつくりだす。午後になって太陽が沈みかけると、光を吸いこんだ土が紫を帯びてぼんやりと輝く。その横の東州河が、銀色に反射しながら下流に向かってゆっくりと流れる。
 そうして夜になる。あたりからすべての存在が消滅すると、すべての存在を想像する余地が生まれるのだ。光は実像を写し、闇は虚像を写す。そこに存在しないものが立ちあがり、人間の精神の中で様々な建築が生みだされる。
(第十二章、427頁)

 光とは命であり、想像力に対する現実である。光がなければ、瞼を閉じていれば、何も見ることはできない。けれども瞼を閉じた闇のなか、夢のうちから、物語は生まれる。建築家=小説家とは、闇のなかに引き籠もることでもなければ、光のなかで想像を忘れることでもない。想像されたものを、現実に繋ぎとめることだ。そうして残す。建てて残す。書いて残す。残されたものが想像を、記憶を呼び起こす――。
 明男と丞林が広げた、一分の一の地図。そのなかに、クラスニコフは存在しない島――青龍島を書き残した。それは現実に記された物語=小説であり、満州と云う白紙の地図に描きこまれた、真の夢だった。同時にそれは満州の歴史に対して『地図と拳』が書き加えた李家鎮だったとも云えるだろう。そして実際、島のなかには李家鎮の地図が置かれている。地図にはこう書かれている。地平線の向こうにも世界があることを知らなかったあなたへ。
 あなたとは誰だろうか。クラスニコフがいつか出会った李家鎮の人びと。李大綱。孫悟空。丞林と明男。細川。須野。高木。慶子。石本や中川。ともすると、安井や黄も。そして、戦争を生き抜いた人びと。あるいは、戦争のなかで死んでいった人びと。何よりも、クラスニコフ自身。それから、あなた。この小説を読み、いままさに想像力の共同作業を働いている、あなただ。
 書かれたもの、記されたものは、そうして遠くまで届く。

 明男は彼女を撮影する。背後には、かつて自分が作ったモニュメントの残骸が写っている。
(終章、625頁)

 長大な小説の、ここが結末だ。地図も写真も本作においては、単なるエモーショナルなアイテムに留まらない。と云うよりも本書の眼目は、それらが喚起するエモーション、ひいては想像にこそ向けられている。
 加えて云えば、『地図と拳』があくまで小説である理由もまた、ここに見出されるだろう。どうしても事実の断片の集成である学問――もっとも、そこに学問の束縛があり、誠実があり、真髄があると思う――では、青龍島を書き得ない。しかしそれを本書自体が書いてこそ、物語ることの功罪は、この射程で問われるのである。

 結末で発端が明かされるつくり、船旅に始まり船旅に終わる構成、あるいは随所で見られる反復は、小説に幾何学的な構造、端的に云えば円環を印象づける。ガルシア゠マルケスボルヘスへの目配せもそのひとつだ。なかでも小説のラストシーンは、明らかに「学問の厳密さについて」のイメージを借用している*11

……あの王国では、地図学は完璧の極に達していて、一つの州の地図はある都市全体の、また王国の地図はある州全体の広さを占めていた。時代を経るにつれて、それらの大地図も人びとを満足させることができなくなり、地理学者の団体は集まって、王国に等しい広さを持ち、寸分違わぬ一枚の王国図を作製した。地図学に熱心な者は別にして後代の人びとは、この広大な地図を無用の長物と判断し、やや無慈悲の感があるが、火輪と厳寒の手に委ねた。西方の砂漠のあちこちには、裂けた地図の残骸が今も残っている。そこに住むのは獣と乞食たち、国じゅうを探っても在るのは地図学の遺物だけだという。
――スアレスミランダ『賢人の旅』(レイダ、一六五八年刊)の第四部、四十五章より。*12

 これで全文。あまりにも短い。
 けれども短く切り詰めることでその抽象性が浮かび上がるボルヘスとは正反対に、『地図と拳』はその抽象性に飛びこんで、時間をかけて分量をかけて円環をぐるりと回ってみせる。すべてが決定されていたとしても、最初と最後が一致したとしても、その旅は決して虚しくはない。われわれは李家鎮に、彼らが生きていたことを知っているからだ。
 以前、知人とボイスチャットで話していたとき、『地図と拳』が結論ありきでつくられていることに異議が呈された。なるほど、建築とは何か、満州とは何か、小説とは何かと云うことについて、『地図と拳』は紙幅を割いて語りながら、その筆致はまっすぐで揺るがない。ではなんのためにこんなにも長く書いたのか。ぼくはその答えを、長さそれ自体に見出す。『地図と拳』は始点と終点を線で結んだだけかもしれない。けれども小川哲は、そうして二地点を線で結ぶ抽象性の暴力に対して、その二地点間のあいだを自分なりに考えることを選んだ。結論ありきの後付けで結構だ。それこそが物語――出来事のあいだを因果で結びつけること――だからだ。そして、そのありようをこそ『地図と拳』は問う。
 リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』の文庫版に寄せた解説で、小川哲は同書の試みを「より正確な、より「世界」に接近した小説を完成させる」覚悟だと評する。そこで引用する作中終盤のセリフ――実在の写真家、アウグスト・ザンダーが小説の主人公たちと出会ったときに残した言葉――を、ここでも引用しよう。

 ――自動車ってのは、出発点から目的地にできるだけ早くたどり着くためのものだ。わしはそのあいだで起きることを人に見せて飯を食ってるんだよ。*13

 これ一作で終わっても良いと云うほどに人生を懸けていたパワーズのデビュー作と、プロの作家として生きていくなかで書かれた『地図と拳』は作家のキャリアにおいて違う位置にあるし、実際、文体面では両者の試みは正反対と云っていい*14。しかしぼくにはこの解説は、小川哲自身の自作解題のように思われてならないのだ。ボルヘスによる寓話と並べるならば、小川哲が『地図と拳』で書こうとしたのは、「完璧の極に達し」た地図が、「裂けた地図の残骸」と化すまでの「あいだ」ではないだろうか? 砂漠のあちこちに散らばる断片を集め、どんな地図がつくられたのかを想像し、そこで生きていた人びとを、国家がいかに生まれ、消えていったのかを、考えること。
 その「あいだ」を埋める作業は、因果の後付けであり、もっと物語ふうに云うならば、バトンリレーを思い描くことだ。十九世紀のユーラシア史から、日清、日露、日中の戦争へ。そうして第二次世界大戦へ至る連鎖のなかにある、高木、細川、慶子、須野、明男と云う、軍刀のバトン。それからもうひとつ、李大綱と、孫悟空、丞林の連なり。そして両方を繋ぐ、クラスニコフの地図と言葉。
 再三述べたように、すべてを因果のなかで捉えることはしばしば虚しく、ともすると決定論陰謀論に漸近する。何もかもが決まりきっていて、抵抗することが無駄に思える。そして実際、多くの抵抗は無駄に終わる。前掲の解説で、「二十世紀とはつまり」と小川哲は云う。「世界に対して個人で抵抗する意義が失われていった時代だ」
 しかし、それでも個人は生きていたし、生きてきた。「たしかに、たったひとりで抵抗した者たちは、世界を変えることはできなかったかもしれない。彼らは手ひどく失敗し、世間に冷笑され、歴史から抹消されてきた」だが――、と小川哲は続ける。

 だが、その想いや祈りは誰かに届き、個人を変えることはできたのだ。そして、そうやって変えられた個人が、実際に少しずつ世界を変えていった。本書[=『舞踏会へ向かう三人の農夫』]では、そんな希望が重層的に何度も繰り返されている。そして、鏤められたそれぞれの希望が積み重なり、互いに混じり合いながら一点に集約されていく終盤は、およそ他の形式では実現できない次元の感動を生みだしている。

 その感動は、『地図と拳』のそれに通じるだろう。

 満を持して問おう。小説は戦争を止めるだろうか?

 止めない、と云うことはいかにも容易だ。時代の濁流はあまりに重い。しかしこれもまた繰り返しになるが、そんな濁流のなかに呑まれていったひとりひとりの繋がりを見つめることは、彼らが生きていたことを忘れないと云うことであり、他者を想像すると云うことであり、世界を知ると云うことでもある。そうした想像力の共同作業を通して小説は、読者であるあなたを変えることはできるかもしれない。なんとなれば小説とは、究極、書いた者と読んだ者、一対一の共同作業であり、そのあいだにある遙かな距離を、国境を越え、時代を越えて、旅し得るメディアだからだ。小説はあなたに向けて書かれている。バトンはあなたに渡されている。地平線の向こうにも世界があることを知らなかったあなたへ。

 本は、孤島に生きるフィンチのように容易に変化し、広がりと多様性を持っている。しかしそこには共通する中核部分があり、それはあまりにも見え透いているので当然の前提と思われている。最後に重要となるのは、恐れと怒り、暴力と欲望、驚くべき〝許し〟の能力と結び付いた憤怒──品性──だと、誰もが思っている。もちろん、それは子供っぽい思い込みだ。創造主が、連邦裁判所の判事のようにいつか一人一人に裁きを下すと信じる段階から一歩進んだだけのこと。満足のいく物語と意味のある物語を取り違え、生命を大きな二本足の生き物と思い込むのが人間だ。だが違う。生命ははるかに大きな規模で動員されるもの。そして世界が今行き詰まろうとしているのはまさに、小説が世界をめぐる戦いを魅力的に――失われた少数の人々の間の争いと同じように――描くことができていないからだ。しかしレイは今、誰よりも虚構を欲している。英雄、悪人、そして今朝、妻が語り聞かせてくれている端役たちの話は真実よりも優れている。彼らは言う。私はにせものだ。私が何をやっても世界は変わらない。でも、私は遠いところからこの電動ベッドの枕元までやって来て、あなたの話し相手となり、あなたの心を変える。
――リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』*15

 小説はにせものだ。「より正確な、より「世界」に接近した小説を完成させる」ことは、信念としてはあり得ても、実践としてはあり得ない。完璧に正確な地図をつくることはできません。しかしそれでも地図は何某かを書き記す。間違いを含めて書き残す。そうして残されたものから、想像力の共同作業が始まる。

「思うんだがね」
 中川は誰に話しかけるでもなく、ぽつりとそう呟いた。「音楽を聴いているとき、僕は音楽を聴いていないんだ」
「どういうことですか?」とすかさず石本が質問した。
「僕は音をいちいち拾って感動しているわけではない。音楽が僕の精神に作り出す想念に身を委ねているだけだ。つまり、僕は音楽を聴きながら、別の音楽を自分で作り出しているんだ。これって、何かに似ていると思わないか?」
[…]
「建築だよ」と中川が言った。(第十章、326頁)

 そして音楽はおそらく、よっぽど小説に似ている。メディアとはそのようにして、想像力の共同作業を駆動する。このあとに明男が後付けで理屈を考えることも含めて、想像とは何か、物語とは何かを問う、これは象徴的なシーンだろう。引用が続くが、ぼくはここに『舞踏会』の一節を想起せずにはいられなかった。

 明らかにグリフィス公園で撮られたシーンに我々がなぜ心を動かされるのか、ここにようやくその説明が見出される。我々はフィルム上の出来事に反応しているのではなく、自分の心のなかにおいて同時進行で編集している無数のリールに反応しているのだ。言い換えれば、我々自身の希望と恐怖から成る映画に我々は反応している。グリフィス公園、ヴェルダン、人けのないパリの街路、ぬかるんだ道に立つ三人の農夫――それらよりも、自分を巻き込もうという機械的決断、場面を作り直し物語を拡張しようという決断の方が、より大きな意味を持っているのだ。*16

 メディアは事実を記さない。メディアが写すのは虚像であり、偽物である。それでもメディアは記し、残す。われわれが読み、聴き、見るのは実のところ、メディアに記されたそのものではなく、そこから生みだされた想像だ。けれどもその想像が独り善がりになることなく、メディアの向こう側にそれでもなお存在する現実へと手が伸ばされる限り、世界は閉じることなく、開き続けるだろう。たとえ向こうまでたどり着かずとも、理解することができずとも、考えてみること。そうして、自らのなかで問い続けること。そうでなければ世界を知ることはできず、自他の肯定はあり得ない。
 要するにそれは、自分で考える、と云うことだ。

 自分で考える、とはどういうことでしょう。それは、戦争の写真を見て、いろいろと分析すればいい、ということではありません。戦争に囲まれてしまった現在の私たちは、芸術や映画や写真などを見ながら、言語化し、考えることが何より大切なのです。こうしたものをきっかけにして何か考えようと思えば、それはもういくらでも考えられるはずです。作家自身がひょっとしたら気がついていないことまで含め、考えてしまえばいいのです。そういう作業をすることが、この戦争化した世界、あるいは世界化した戦争のさなかにやはり必要なのだ、と強く思っています。
――多木浩二*17

 自分で考えるのに引用するのか、と云う指摘は、自分で考えるために引用するのだ、と答えておこう。こうして拾い集めた言葉ひとつひとつがぼくにとってはバトンなのであり、自らの問いとして引き受けてゆくと云うことでもある。『地図と拳』のずらり並んだ参考文献リストもまた、作者の勉強量以上に、小説自体が辿り、読者に託される、そんなバトンの軌跡を跡づけているはずだ。

言葉の群れは、やがて偶然出会った読者によって批判され、解体され、次の書物や思考の肥やしになる。少なくともそうなるように工夫されなければならない。謝辞や註や参考文献が必要なのは、それらが偶然の出会いの記録でもあり、歴史書の解体に役立つからでもある。やがて歴史研究者自身も、老いて寿命を迎えることで、自分の放った言葉とともに、歴史にただよう「屑」の一つになる。現世のしがらみから切り離され、誰の所有物でもない「屑」に分解されるのである。そんな歴史研究者の自覚においてこそ、歴史叙述は生成し始めるのだと思う。
――藤原辰史*18


 この文章は『地図と拳』を「次の書物や思考の肥やし」とするために書かれた、解体の試みである。そうして断片にすることによってはじめて見えてくる繋がりと云うものもある。もとより、完璧な読解はあり得ない。小説に何が書かれてあるのかを正確に書こうと思えば、小説全文を引用するしかなくなる。
 そして同様に、完璧な小説もまたあり得ない。完璧な地図があり得ないように。なぜなら世界はあまりに複雑で、絶対的な基準はどこにもなく、人間は過ちを犯すからだ。しかしそもそも、完璧な小説など必要がない。なんとなれば、世界はあまりに複雑で、絶対的な基準はどこにもなく、人間は過ちを犯すからだ。小説は人間の過ちを測り、記す。そこには悔悛があり、償いがあり、赦しがある。おそらくはきっと、感謝もある。そして最後に言葉が残り、言葉は問いを残すだろう。われわれはそこから考えるほかない。自分の頭で。あなたの言葉で。もちろん答えは出ないかもしれない。ピンポンは鳴らないかもしれない。けれども問うこと。考えること。それでもなお、と。

以前、「この人は答えのない問いを発している」と書評で書かれたことがありました。たしかに私は、いままで理性的な言語で書こうとしてきた。ただそれだけだったのです。にもかかわらず人はそこに答えがない、という。ですから、決定的に理性的な言語、構造のはっきりしたもの、謎のないもの、といったものにたいする強い不信があります。いつ頃からかそう思うようになりました。しかしながら、私たちは何かを書かなければなりません。もちろん書くときはしっかり語らなければなりませんし、人に伝わらなければならない。そうまわりから言われたりもします。けれども、そのときに自分が扱う言葉や言説というのは、あくまでもとりあえずのものだと思っています。いま私は何か知的な問題を提起する立場にいながらも、じつは知的な問題など解けはしないのだ、と思っているということです。これまで、そういったことが、私自身も含めた大学や論壇などでは、あまりに見過ごされてきました。そうした反省がひとつあります。その反省が、私に二〇世紀の探求へと誘いました。
――多木浩二*19

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*1:多木浩二・今福龍太『映像の歴史哲学』(みすず書房

*2:以下、本文からの引用は集英社単行本版に基づく

*3:テッド・チャン『息吹』(大森望訳、ハヤカワ文庫SF)

*4:同前掲書

*5:アドルフ・ロース『装飾と犯罪――文化・芸術論集』(伊藤哲夫訳、ちくま学芸文庫

*6:『地図と拳』は『百年の孤独』だろうか、と云う疑義に対して、この点を持って「少なくとも前者は後者を参照している」と答えることはできる。なんでもかんでも先行の有名作に喩えることは喩える作品・喩えられた作品双方に対してともすれば浅慮であり慎むべきだが、両者は異なると云う理由で並べることを否定するのもまた浅慮である。

*7:リチャード・パワーズ『ガラテイア2.2』(若島正訳、みすず書房

*8:「「宇宙人について書くようなものだ、という点で一緒」直木賞受賞・小川哲が語った“SF小説と時代小説の共通点”とは」(文春オンライン、https://bunshun.jp/articles/-/60227

*9:ガブリエル・ガルシア゠マルケス百年の孤独』(鼓直訳、新潮社)

*10:小川哲『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社)

*11:明らかも何も、山田風太郎賞記念のトークショーで本人が述べていたのだが

*12:ホルヘ・ルイス・ボルヘス『創造者』(鼓直訳、岩波文庫

*13:リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』(柴田元幸訳、河出文庫

*14:「より正確な、より「世界」に接近した小説を完成させる」ために凝った文章表現を駆使するパワーズと違って、『地図と拳』では平易な、ときとして凡庸な比喩が使われる。もっともそれは、諦めや怠惰ではなく、意図された実験である。高山羽根子との対談(『小説TRIPPER』2021年夏季号「新たな小説の分岐を求めて」)によれば「いま連載している長篇[=『地図と拳』]では、実験的に、僕のなかの美的センスで「ギリアウト」まではOKにしたんです。絶対NGと完全OKの間のグレーゾーンにあるギリアウトまでは、OKとしている。そこまでOKとしたときにどういう作品ができあがるか、という実験ですね」。『地図と拳』のテーマに即して解釈するならば、この文体上の実験は、小説を開かれたものにするための実験だろう。それもまた、「あいだ」を探る試みである。

*15:リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』(木原善彦訳、新潮社)

*16:リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』(柴田元幸訳、河出文庫

*17:多木浩二・今福龍太『映像の歴史哲学』(みすず書房

*18:藤原辰史『歴史の屑拾い』(講談社

*19:多木浩二・今福龍太『映像の歴史哲学』(みすず書房