昼に食べたのは冷製うどんで、その冷たさと云うよりはぬるさとろくに麺と絡んでいないツユの味に、特にすることもないのにわざわざ電車で学校まで行ってガラガラの食堂で冷やしきつねうどんを食べていた高校2年の夏休みを思い出した。過去を懐かしむ方ではなく、あの頃は良かったとも思わないけれど、ぼくが頑なに学生食堂での食事にこだわるのは、食堂のおばちゃんに顔を憶えられたあの夏が忘れられないのかも知れない。あの頃のぼくは、家と、学校と、往復の電車と、幾つかの本屋だけで生きていて、広い世界での狭い世界のその居心地は悪くはなかった。
これから迎える夏はどんな夏だろうか。
緊急事態宣言が延長されると云う。非日常が日常になりつつある。実家での隔離生活は、隔離も、緊張も、どんどん緩やかになってゆく。本を読んでは少し眠り、少し眠っては本を読む、そんな怠惰な毎日。
一年後、二年後のことを、いまが存在しなかいかのように考えている楽観的な自分がいることに時折驚かされる。
いまを忘れないように――そんな言葉さえ聞き飽きた感がある。だからと云うわけでもないけれど、『〈災後〉の記憶史――メディアに見る関東大震災・伊勢湾台風』を読み始めた。果たしてコロナ禍に「以後」は訪れるだろうか?
『ポーカーはやめられない ポーカー・ミステリ書下ろし傑作選』を読み終えた。
「書下ろし」なのに「傑作選」と云う表題に矛盾を感じる。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月30日
ポーカー縛りの競作だけれど、イカサマを絡ませた作品は少なく、思いのほかバラエティに飛んでいる。配られたカードで勝負するしかなくとも、真の勝負師はそこから意外な役を作り出す、と云うわけだ。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月30日
ディーヴァー「突風」はポーカー勝負を真正面から扱いながら見事に勝利する佳作。ツイストの効かせ方がメタな読みも可能なものになっていて、いままで読んだディーヴァー短篇でいちばん好きかも知れない(でもポーカーレッスン読んでない)。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月30日
ポーカーをもっとも巧く扱っていたのはルーパート・ホームズ「ヴィクトリア修道会」。ポーカーが実際にプレイされることがない離れ業を見事に決めている。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月30日
ポーカーを直接扱わないことで、「これポーカーじゃなくて良くね?」と云う反論を封じ込めているように思う。その前の表題作があまりに酷かったから、相対的に評価が上がっていると云うのもある。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月30日
書下ろし競作でも掲載順はやはり重要で、たとえば末尾のロレンゾ・カルカテラ「朝のバスに乗りそこねて」の後ろには何も置けないだろう。ベストを選ぶならこの作品。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月30日
カルカテラ「朝のバスに乗りそこねて」はこのためにアンソロジーを読んでも良い佳品。不器用にさえ見えるプロットも、決して巧みとは云えないポーカーの扱いも、しかしこの作品においては、痛ましい結末をいっそう不器用で歪で哀しいものにしている。意味深長で独特の響きを持ったタイトルも良い。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年4月30日
野田秀樹「ザ・キャラクター」(戯曲)を読んだ。書道教室とギリシャ神話が交錯した果てに現れるもの。以前、舞台『逆鱗』を見たときも感動したことだけれど、そんなところに連れてゆくとは。