鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

日記:2020/04/25

 実家に帰省した。少なくとも大学の講義が始まるか、図書館が開くまでは実家にいると思う。

 昼過ぎ、親が迎えに来た。着替えや本で荷物はやたら嵩張った。二、三週間ではとても読み切れない量の本に、勉強するかどうかもわからないのに殊勝にも教科書の類いを加えて、ついでにもう読んでいてしばらくは読み返すこともないであろうただ本棚を圧迫するばかりだった本も幾つか。未読の本はもし読み終えられなければ持って帰らないといけないことをわかっているのだろうか。なお悪いのは午前中、それをわかっていながら荷物を詰めていたことだ。

 実家へ向かう道中では車の窓は開け放され、後部座席のぼくは高速道路上、でたらめな風圧に耐えていた。オープンカーなんて乗って、あまつさえ運転している連中はこの風圧に耐えているのか? 窓が狭いから余計に風が強くなっているのかも知れない。

 

 実家に帰ったところでそのまま団欒に参加させては貰えず、しばらく兄の部屋で隔離されることになった。ぼくの下宿生活開始と同時に父親用の読書スペースに改造されていた自室はいまや父親用のテレワークスペースになっているらしい。置いていった本棚もだいぶ両親の蔵書で浸食されていた。持って帰ってきた本を詰めても焼け石に水だ。

 軟禁生活とうそぶいてはいるが、じっさいは家族と面と向かって喋ったり密着したりするのを避けさせられているだけで、居間でコーヒーを飲んだりテレビを見たりするのは許されている。ただしぼくだけマスク着用。ふと我に返ると奇妙な団欒だ。我に返らないとそこまで奇妙に感じないあたり、この生活もだいぶ慣れてしまったのだろう。

 以上の実家生活は、ぼくも家族に感染させるのは嫌なので、進んで協力していることを付け加えておく。

 ……ここまで書いて、そもそもなんで帰省したのか思い出せない。

 

 グレアム・グリーン『ブライトン・ロック』を読み終えた。

  神とは、善と悪とは、愛とは、と云った観念的な話題を、不良少年を主役にした倒叙ミステリ仕立てのプロットに絡ませて、スリリングに読ませる。

 『インフォメーション――情報技術の人類史』もちびちびと。分断するものである有刺鉄線で電話網が作られる、と云うごく短い挿話がとても面白い。

 ジョー・ヒル20世紀の幽霊たち』を読み始めた。かなりボリュームのある中短篇集で、はじめの「謝辞」(ここにも仕掛けが)「年間ホラー傑作選」「二十世紀の幽霊」を読み終えたところだけれど、モダンホラーに疎い自分でもなにか凄い才能に触れている感覚がある。