鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

日記:2020/04/24

 きょうは何かあった日、きょうは何もなかった日、と判断する境界線はどこだろう。何もない日などありはしないし、何かがあるとはどう云うことなのかも曖昧で、要するに一日の終わり、こうして日記を書く段になってふと抱く感情の如何によるのだろうけれど、充足感や虚無感が直接、何かあった/何もないの判別に繋がるわけではない。その判別が絶対的なわけでもない。

 この日記のことはなるべく、その日の分を書きはじめるその瞬間まで意識しないようにしている。日記に記すために一日を送るようでは、倒錯も著しい。

 

 倒錯、と云えば倒叙、と云えば古畑任三郎。よし話が繋がった。復活するらしいですね。朝日新聞を取ってないしわざわざ販売所に買いに行くほどの熱心なファンでもないので、とは云え古畑新作も読みたいからどうしたものかと思案中。

 昨年の春は年始の倒叙ミステリツイートが妙にバズってしまった責任を取って、倒叙ミステリ短篇を書いた。ジャーナリストが友人を殺す話だ。射命丸文を元ネタにした犯人のキャラクターは、昨年夏に書いた別の短篇にも登場し、たぶん東方と云う文脈からも離れてこれから一生付き合ってゆく存在になるような気がする。それはそれとしてあの倒叙ミステリは二ヶ月ぐらい前に再読して致命的なミスを発見した憶えがあるのだけれど思い出せない。被害者の行動に関するものだったはずだが。

 

 友人が作った同人誌を受け取った。もちろんお金も払った。ついでに貸していた漫画『僕はラブソングが歌えない』も受け取った。友人にこれを貸したいつかの自分はどうかしていたのだろうか。でも先輩にも貸しているんだよな、これ……。

 それが良いのか悪いのかわからないが、NTR(寝取られ)とは何なのだろう、と折に触れて考えてしまうきっかけをもたらした作品だ。とは云え、NTRに限らず、何かを心から嗜んでいるひとびとからすれば、ぼくのような半端者があれこれ語るのは目障りだろう。そもそも何か語ることができるわけでもない。できるのは、ひとに漫画を貸してみることくらいだ。