鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

日記:2020/04/14

 熱が下がらない。朝は平熱だがそのあとじわじわ上がってゆき、寝る前は37度7分、8分……、と云う毎日だ。きょうも更新して早めに寝る。

 

 所属しているサークルがオンラインでできる新歓活動の一環として昨年会内で好評だった犯人当てを公開した。

note.com

 問題篇が公開されたのは先週金曜で、解答篇は日曜に発表。そこそこ話題になったようで何よりだ。

 とは云え、積極的肯定だけではなく、論理の粗・穴を指摘する意見も目に付いた。別にそれに反論したいわけではないが、ただやはり会の中と外の意識の差が顕在化され、ついついそれについて考え込んでしまうことがこの二、三日よくあった。

 あくまで簡単な日記であるこの場で犯人当て論を一席ぶつつもりはない。けれどひとつぼくの考えを云わせてもらえるなら――犯人当ての本質とは形式であり、形式以外の何ものでもない。犯人当てを書くと云う営みに、絶対的な理想も神も存在しない。ぼくはただ豊かな樹冠がそこに茂ることを祈っている。

 

 

 午前中は『エドガー賞全集』下巻を読み終えた。グレアム・グリーン『国境の向こう側』とウィリアム・サマセット・モーム『ジゴロとジゴレット』を読み始めた。うーん、ブリティッシュ

 午後、引きこもっている息子のために両親が追加の備蓄をもってきてくれた。ありがたい。ぼくの方は、今度の帰省のために本をひと袋持って帰って貰った。万が一のため、受け渡しの際に直接顔を合わせず、また受け渡したものは消毒した。両親の帰り際、アパートのベランダから顔を見せた。母親はマスクで顔が見えなかった。なんだかむなしい気分にもなったが、恵まれた状況への感謝と、幾らかの元気も得た。