熱が下がった。一応、風邪薬は飲み続けるし明日も休むが、とりあえずは喜びたい。
そろそろ日常に復帰しないとな――日常?なにそれ?とも思いつつ――と云うことで、マスクを着けて散歩した。最寄りのコンビニに行く以外、まともな外出は先週の土曜以来で、体力がだいぶ衰えているのを感じた。少し歩くだけで疲れる。念のため付け加えておくと、帰宅して休んだら楽になったので、いわゆる肺炎の息苦しさではない、と思う。
久しぶりに見た外の世界は拍子抜けするほど変わらないままで、以前までは感じなかった怖さと云うか驚きと云うか、まあ、衝撃を覚えた。誰もがマスクを着けていると云う程度。日常は容易く壊れるなどと云われつつ、そうそう日常は変わらない。良くも悪くも。
ひとたびtwitterを開けば、いかにももっともらしく《コロナ以後》の世界が語られている。しかしあくまで個人的な、チラシの裏のメモ書き程度に受け取っていただきたいが――そうそう容易く世界が変わってたまるか。
その強固な日常は、頼もしくも、不気味にも映る。
個人的な実感に基づく意見として、たぶん社会構造や暮らしはそれなりに変わるかも知れないけれど、それより先に感染症に対するひとびとの考え方の方が変わってしまうんじゃないか。案外、一年後のいまごろには、《新型コロナウィルスに罹って死ぬのは、交通事故に遭って死ぬよりも確率が低い(ので、もう以前の生活に戻ろう)》と云う考えが幅を効かせているかも知れない。
怖いのは、そうなっていることを心の片隅で望んでいる自分がいると云うことだ。決して無視できない大声で彼はその考えを叫んでいる。以前の日常が恋しくて堪らない。
明日は何をしよう、と気軽に考えられるようになるのはいつだろう。
甘耀明『鬼殺し』を読み終えた。下巻は奇想が空転している印象が拭えないが、その空転こそ、戦争とは異なる激動が訪れた時代を表しているのかも知れない。総じて熱量が凄まじい大長篇だった。満腹。