オンラインでの講義が始まったけれど案の定身が入らない。漠然と話を聞き流しながらあとで資料を読む、では二度手間なので両者を同時にこなしたいもののそれは本来普通の講義でもこなして当然のことである。
いま《普通》と云った。果たしていまの状況が《普通》になるのか?
久しく講義を受けていなかったので忘れていたけれど、一日の時間をかなり取られる。24時間、8時間寝るとして16時間をどう過ごすのか、ある程度組み立てて、無駄のないよう生活しないといけない。たとえばこうしてブログを書きながら別のタブに開いたtwitterを覗くようなことはやめるべきだ。ぼうっとする時間が必要だとしても、それはtwitterではないだろう、あってほしくない、あってたまるか。
つい先月末までお先真っ暗かのような論調だったように思うが、順調に感染者は減っています、Covid-19の第二波を防ぎましょう、と云う比較的ポジティヴな空気に変わってきている。パニック映画やバトル漫画でありがちな、いや実際に見た回数は多くないがよくある展開として挙げられがちな「やったか?!」に見えてしまう。
何がいちばん怖いって、そんなことを思いながら心が軽くなっている自分である。
エラリイ・クイーン『盤面の敵』『第八の日』を読み終えた。リーの代わりにそれぞれシオドア・スタージョンとアヴラム・デイヴィットスンがダネイのプロットを小説化したと云う話は有名だけれど、なぜこのふたりだったのかよくわからない。スタージョンとデイヴィットスンが合わせにいったのかも知れないが、実際の作品を読むとあまり違和感を憶えないあたり、文体がけっこう近いのだろうか(『第八』はやや個性が出ている)。そう云えばエラリイ・クイーンに文体の面から迫った評論ってあるのか知らん。SFとの距離も、そのあたりから測ることはできないか。
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— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月7日
ネタと呼べそうなものはあるけれど、トリックらしいトリックもロジックらしいロジックもなく、ただただ構図だけがある。『ダブル・ダブル』『悪の起源』をまだ踏みとどまらせていた箍が外れた異形の傑作。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月7日
犯人視点が挟まることでサスペンスが高められ探偵対犯人の構図が強調されるのはディーヴァーっぽいな~まあディーヴァー長篇はろくに読んでないんだけどね、と暢気なことを考えながら読んでいたらあれよあれよと云う間にとんでもない境地まで連れてゆかれた。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月7日
エラリイは姿なき犯人を相手するにあたって《盤面》を意識するあまり、構図と類推の魔に囚われる。駒とルールが支配する一見純粋で抽象的な盤面を構成するのはしかし、実際は生身の人間たちだ。盤上に押しつぶされる彼らの無惨な姿が焼き付くラストシーン。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月7日
訂正――盤上に押しつぶされるのではなく、盤面から弾かれる。
“人間の心というものは、恐ろしいものである。ある特殊な状況をいい表すのに、うまい言葉があったものだ。正しく適合した要素が偶然うまく出会ったからだ。”――「暗合」じゃん……。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月7日
終盤でエラリイが真相を閃くきっかけおよび連想が、傍目から見るとただの言葉遊びでしかなく、しかもそれがチェスタトンの某短篇を想起させるものとなれば、本気で《狂人》を目指しているとしか思えない。構図以外のすべてが消え去る。恍惚と恐怖。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月7日
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— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月8日
構図を取り出せれば何でも良いと云う開き直りと云うか吹っ切りがあるように思うが、お粗末なまでに殺人とその真相が単純に組まれているがゆえに主題が強く浮き上がる。読後覚える戸惑いは、主題そのものよりその浮き上がりっぷりにこそあるだろう。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月8日
扱いたいのは本当に神か? 信仰か? 宗教か? むしろそれらを貫く論理と組み立てる構図、ただそれだけが目の前に迫ってくるような。ラストの「再訪」は宗教や信仰と云った主題より、その円環的な構造を強く印象付ける。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月8日
作者クイーンが実際は神や信仰や宗教や、それに支配される共同体を書きたかったのだとしても、その試みはおそらく失敗していて(クイーナン村はあまりにも単純に作られている)、失敗しているからこそ異形の作品になっている。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月8日
……とまあ、一見肉付けが足りずとも、鉄骨だけで作られているがゆえに緊張が漲ったような作品なのだけれど、最後に○○○○の名を出すことで、周縁部が肉付けされ、それもまた異様な読後感に寄与している。むしろ作品の眼目はその名にこそあったのではないかと思うのだけれど、どうだろう。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月8日
でなければ、こんな導入をざわざわ用意する意味がない。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月8日
共同体の論理もの、で片付けるには惜しい。最後のあの名はやっぱり無視できないですよ。
— Washoe1.9 (@archipelago1999) 2020年5月8日
5月8日はスタージョンとデイヴィットスンの命日らしい。これもまた構図である。