鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

日記:2020/05/08

 オンラインでの講義が始まったけれど案の定身が入らない。漠然と話を聞き流しながらあとで資料を読む、では二度手間なので両者を同時にこなしたいもののそれは本来普通の講義でもこなして当然のことである。

 いま《普通》と云った。果たしていまの状況が《普通》になるのか?

 久しく講義を受けていなかったので忘れていたけれど、一日の時間をかなり取られる。24時間、8時間寝るとして16時間をどう過ごすのか、ある程度組み立てて、無駄のないよう生活しないといけない。たとえばこうしてブログを書きながら別のタブに開いたtwitterを覗くようなことはやめるべきだ。ぼうっとする時間が必要だとしても、それはtwitterではないだろう、あってほしくない、あってたまるか。

 

 つい先月末までお先真っ暗かのような論調だったように思うが、順調に感染者は減っています、Covid-19の第二波を防ぎましょう、と云う比較的ポジティヴな空気に変わってきている。パニック映画やバトル漫画でありがちな、いや実際に見た回数は多くないがよくある展開として挙げられがちな「やったか?!」に見えてしまう。

 何がいちばん怖いって、そんなことを思いながら心が軽くなっている自分である。

 

 エラリイ・クイーン『盤面の敵』『第八の日』を読み終えた。リーの代わりにそれぞれシオドア・スタージョンとアヴラム・デイヴィットスンがダネイのプロットを小説化したと云う話は有名だけれど、なぜこのふたりだったのかよくわからない。スタージョンとデイヴィットスンが合わせにいったのかも知れないが、実際の作品を読むとあまり違和感を憶えないあたり、文体がけっこう近いのだろうか(『第八』はやや個性が出ている)。そう云えばエラリイ・クイーンに文体の面から迫った評論ってあるのか知らん。SFとの距離も、そのあたりから測ることはできないか。

  訂正――盤上に押しつぶされるのではなく、盤面から弾かれる。

 

 5月8日はスタージョンとデイヴィットスンの命日らしい。これもまた構図である。

 

盤面の敵 (ハヤカワ・ミステリ文庫 ク 3-7)