鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

読書日記:2021/12/17~12/20+α

クリスファー・プリースト『魔法』(ハヤカワ文庫)

そう、おそらく話の発端はそこにある。この話は、それから後の話なのだ。いまのところ、わたしはただの〝わたし〟だが、やがて名前をもつようになるだろう。この話は、さまざまな声で語られた、わたし自身の物語なのだ。

 テロに巻き込まれ、記憶を失ったグレイ。彼の恋人だったと云うスーザン。ふたりが別れるきっかけになった、スーザンの元恋人ナイオール。彼らの三角関係をめぐる物語が、あるSF設定、そして語り/騙りの仕掛けによってねじくれていく。その設定がなんなのか、どんな仕掛けがあるのかが中盤以降にならなければ見えてこないので、かなり説明がしづらい。グレイとスーザンのそれぞれ食い違う語り、姿を見せないのに存在感を放つナイオールの謎、その背後にあるアイディアと仕掛けは言葉で説明すれば陳腐なものなのだけれど、ひととひと、記述と記述のあいだを滑り落ちてゆくような物語のなかで、アイディアと仕掛けは鮮やかに接続され、ひねり上げられる。とくに後半のめくるめく展開は圧巻で、最後に示された答えのようなものさえも語り/騙りのなかへと呑み込んでしまう。あとに残る印象は、微妙に角度をつけたまま向かい合わせに置かれた、複雑に像を反射する果てに深遠があらわれてくる合わせ鏡だ。
 それにしても法月さんの解説は、ネタを知っているひとからすれば危ういほどに核心へ触れながら、未読者にはそうとわからせず、本書がどのような小説か示すと云うとんでもない仕事をやってのけている。しかもこの解説がのちに評論集にまとめられた際についたタイトルがあれでしょう? 大胆不敵すぎる…… 

 

カーター・ディクスン『白い僧院の殺人』(創元推理文庫

「ぎりぎり最後の説明がこの込み入った事件にどうやったら当てはまるんじゃ? 偶然とな? 人が雪に足跡を残さないどんな偶然がある?」

 カーを読んでいこうカー、と思って手に取ったが、カーター・ディクスン名義でしたね、これ。いままで読んできたカー長篇はすべてこの名義だったわけで(『ユダの窓』『貴婦人として死す』)、つまり、カー長篇はまだ読めていないことになる。しかも法廷ものとして終始する『ユダ』や事件の静けさと戦争の暗がりが印象深い『貴婦人』は云わば変則的な作品だったわけで、これがほぼカー/ディクスン長篇の初体験と云うことに。遠ざけていた理由として持っていた過剰性やドタバタと云った印象はやっぱり偏見ではなく、本作もかなり読みづらかったけれど、それを補って余りある――と云うか、それらがあるからこそ完成された美点があったように思う。
 過剰性とはつまりサービス精神、本作で云えばほぼ章ごとに用意されている〝引き〟であったり、把握しきれない人物相関図であったり、〝毒入りチョコレート事件〟を初めとする過積載気味の謎の数々とその複雑な構図――犯人もしっかり意外であり、意外にするために事件がさらに複雑化している――であったりのことだけれど、それらが過剰に見えるのは、雪に囲まれた館に足跡が一本だけ伸びていると云う極めてシンプルかつ画として美しい密室状況が謎の中心にあるから。そしてこの謎はこれまたシンプルな発想で解き明かされるのだけれど、この発想が〝誰がやったか?〟〝どうやったか?〟〝なぜやったか?〟ではなく〝何が起こったか?〟を導くものであるのがミソで、発想の逆転と云って過言でないこのアイディアを震源として波状的に、〈白い僧院〉の周辺にあった複雑な事件はむしろこの事態を引き起こすものとして組み直され、足跡のない雪の風景は事件の核ではなくむしろ一連の出来事の周縁へと裏返ってゆく。それでもやっぱりごちゃごちゃしすぎているきらいはあるものの、謎が解かれて雪が溶けるどころか、一夜にして起こった数奇な出来事を覆う白い景色は読了後、いっそう美しいものとして映った。犬の鳴声や容疑者消去の論理――とくに現場へ侵入できた犯人の絞り方――と云った細かなアイディアも冴えている。

 

『カモガワGブックス Vol.3 〈未来の文学〉完結記念号』(カモガワ編集室)

過去から未来へ連なりゆく系譜の中で、我々の地点こそが、すなわち〈未来〉である。〈未来〉を名乗ったそれらが示した未来は、〈今ここ〉であったことを、きっとあなたは知るだろう。

(序文より)

 トリビュートとレビューで参加しました。トリビュート作品の感想は後述。

未来の文学〉を手に取った経緯はいまでも憶えている。時期こそあやふやで15、6の頃だったけれど、はじまりは中村融編『街角の書店』を読んだとき、ジャック・ヴァンス「アルフレッドの方舟」の作者紹介文に興味を惹かれたことだった(もちろん「アルフレッドの方舟」そのものも、忘れ難い印象を残す佳品だった)。いまでこそ名の知れた作者揃いのこのアンソロジーも当時のぼくにとっては知らない作家・作品だらけのさながら新しい世界への扉のように映り、それはある意味で比喩ではなく、扉裏のヴァンスの紹介を目にしたぼくは『奇跡なす者たち』と云う本を、そして〈未来の文学〉と云う叢書を知った。思い出せる。ぼくは図書室の自習スペースで衝立に隠れながらスマートフォンを操作していた。とても高くて手が出せないと一度は諦めたけれどそんなとき助けになるのが図書室のリクエスト制度だ。一年も経つ頃、図書室の書架にはヴァンスをはじめとしてウルフの諸作品が揃っていた。それはぼくにとってはじめてSFをジャンルとして意識したきっかけでもあり、何が何だかわからないが凄いものを読んだと云う一連の読書体験は、以前にはミステリしか読んでいなかったぼくにジャンルを相対化させることにもなった。ぼくはSFプロパーとはとても云えないけれど、しばしば指摘されるような――自分ではあまり意識していないのだけれど――ミステリ読者としては独特な観点・立場を取っているいまの自分は、あの出会いから始まったのだと云って良いだろう。母校の図書室はいま、校舎が建て替えられるに伴ってすっかり様変わりしてしまったけれど、あの当時ぼくが学校に買わせていた〈未来の文学〉の数々は、いまも本棚の隅に置かれているはずだ。そこで誰かにふたたび手に取られるのを待っている。
 以上がぼくなりの「〈未来の文学〉とわたし」となる話。トリビュートの感想までスクロールしたひとは読み逃した。

 以下、トリビュートについて簡単な感想を。

  • 茂木英世「世界の穴は世界で」:読みながら「すげえ、ラファティだ!」と舌を巻いていた。ラファティの要素やアイテムを引用するだけではなくスタイルまで取り入れつつかと云って単なる真似に留まらない独自性もあり、トリビュートとして正道を突っ切って成功を収めていると思う。ぼくはラファティの良い読者ではないものの、ただ荒唐無稽なのではなくなんらかの欠落もなんらかの論理は通っていて(たとえ無茶苦茶に見えたとしても)、そのバランスが壮大なヴィジョンと同時に一種の切実さを帯びてくるあたりに、とくにラファティを感じた。世界をそのように〝つくる〟のではなく、世界をそのように〝語る〟ことの面白さ、切実さ、格好良さ。
  • 鷲羽巧「返却期限日」:種明かしを幾つか。ブーク氏は「Booke」と綴るつもりで書いた(英語が堪能でないのでこの綴りでこう読むのかは知らない)。すなわち「本」に「発音しない〈e〉」がくっついている。そして作中で一度もフルネームで表記されない「ゲイル・ブーク」とは、ゲイルブーク、ゲイブルク、ゲイブリエク、ゲイブリエル、……ガブリエル。そう云えばウルフには「ガブリエル卿」と云う掌篇がありましたね。
  • 呉衣悠介「イルカと老人」:二重の意味で怖い。作品の内容も、これをこのご時世にディッシュ・トリビュートとして書いてのけたことも。ただの哄笑・嘲笑・冷笑に陥ることなくアイディアを推し進めることによる凄みがあった。ラストシーンはたぶん「降りる」からの引用だと思うのだけれど、あの作品の引き返せない場所まで深く潜ってゆくことの冴え冴えとした恐怖が思い出されて結末の境地がいっそう印象深い。蔵書の背表紙を焼く図書館と云う表現など、細かな点も含めて、良い意味でとことん意地悪。
  • 巨大建造「ピンチベック」:「スター・ピット」は宇宙に出すぎると発狂する話と云う記憶しかなく、数々のパロディなどもあわせてろくにネタを拾えた自信がないけれど、一見してふざけ散らかしたような文章を貫いて組み立てる鋼のように強(こわ)い文体が読ませる。笑わされながらもふとしたシーンや語りが切実であったり爽快であったり壮大であったりで息を呑んだ。何だかよくわからないが凄い――作者に対していささか失礼な感もあるこの感想は、しかし、〈未来の文学〉の作品群がまず与える印象でもある。
  • 坂永雄一「衣装箪笥(ワードローブ)の果てへの短い旅」:ほかの収録作品も素晴らしいのだけれど、本作については個人的に白旗を振って許しを乞わざるを得ない。ウルフが『オズの魔法使い』を題材に「眼閃の奇蹟」を書いたように、坂永雄一は『ナルニア国ものがたり』を題材に本作と云う傑作をものした。それはぼくが「返却期限日」を書くにあたって真っ先に逃げた挑戦である。お見事です。思えばSFに限ったことではないものの、SFとは未来と過去のジャンルであると同時に、内側と外側のジャンルだった。理屈を組み立てて外側を目指していたつもりがいつの間にか内側へ向けて膨張し(伊藤典夫が〈未来の文学〉に寄せた言葉を思い出しても良い)、一方で内側に、外側をも凌ぐ宇宙を見る。もちろんこんなものはジャンルの文脈を意識しすぎた読みのひとつに過ぎず、本作は内外の様々な読みが可能だ。それだけ豊潤にして芳醇である。ともすると今年呼んだ国内短篇小説のなかでは、同じく坂永雄一「無脊椎動物の想像力と創造性について」と双璧をなすかも知れない。坂永雄一短篇集が一日でも早く刊行されることを心待ちにしています。

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