鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

文章練習:2021/12/08

説明
  1. 写真に何が写っているのかを書く
  2. 出来たものを半分くらいまで削る
書く

 エレベーターに客が入る。ボタンが押される。エレベーターが上昇する。エレベーターから客が出る。エレベーターに客が入る。ボタンが押される。その繰り返し。それが彼女の仕事だった。明るい色をしたホテルの制服は彼女の躰には少々分厚く、体格を隠すようにごわごわとその身を覆っている。緩くウェーブのかかったふさふさの髪は一日上がり下がりしていれば徐々にへたってしまい、ぴんと伸ばすべき背筋も夜にはカーブがかかる。申し訳程度に手を腹に添えて、操作盤の前から動かずに、エレベーターを開閉、上下、開閉。一歩も動かないまま数十キロの移動を経た夜、くたびれた様子の彼女をしかし気にかける客はいない。彼らは彼女に一瞥もくれずマイアミの夜へ繰り出し、あるいは夜を愉しんで帰ってくる。いや、帰ってきた夜もお愉しみかな? どこかのホールでパーティーが開かれ、どこかのバーで酒が飲み交わされ、どこかの部屋で交流がなされる。ホテルの夜を刺し貫いて、エレベーターが上下する。ちん。二階でございます。ぴったりと躰に貼り付いた濃い色のドレスを着て、肩周りに巻く白い、大きなファーが滑稽なまでに膨らんだ中年の女が足早にフロアへ進み出る。それを追いかけるように卵形の頭に眼鏡をかけた中肉中背の男が俯きがちに歩いてゆく。彼らは誰も彼女を見ない。彼女も彼らを見ようとしない。誰とも眼を合わせないまま、箱の左上、エレベーターの位置表示を見ている。次の上下移動の準備は整っている。まだ夜は続く。海岸沿いのホテル。マイアミ。(633字)

削る

 客を乗せる。扉を閉じる。ボタンを押して、上昇または下降。扉を開く。客を吐き出す。その繰り返しが彼女の仕事。ホテルの制服は上品だけれど分厚くて重く、着ているだけで体力を奪う。ウェーブのかかった髪は終日働くうちにへたって、夕方を過ぎると姿勢も悪くなる。くたびれる仕事だ。操作盤の前から一歩も動かずエレベーターを開閉、上下、開閉。彼女のやつれた様子には一瞥もくれず、客はマイアミの夜へ繰り出してゆく。あるいは夜を愉しんで帰ってくる。いや、客によってはホテルでお愉しみか。地階のホールでパーティー、上階のバーで閑談、どこかの部屋で私的な交流。それらの夜を貫いて、エレベーターが上下する。ちん。二階でございます。滑稽なまでにファーを膨らませた中年の女が足早にフロアへ出て、卵形した頭の眼鏡の男が俯きがちに追いかける。彼女も彼らを見ない。じっと箱の左上、位置表示板を上目で睨み、次にゆくべき階を考えている。(397字)

反省
  • ちょっと趣向を変えてみた。見えているものを記述するのではなく、ひとつのシーンとして記述する。
  • もとの写真に切り取られた緊迫感が、ただのリズム芸に解体されてしまったような感。
出典

Robert Frank, Elevator, Miami Beach.

www.artic.edu

文章練習:2021/12/07

説明
  1. 写真に何が写っているのかを書く
  2. 出来たものを半分くらいまで削る
書く

 中華街の店、ジャンルを問わず古道具を売るその店先のワゴンの前に、一家なのだろう四人の男女がたむろしている。とくにワゴンに興味を示しているのはいちばん年少の男の子で、明るい空色の上下に身を包んでいる。伸ばしかけの髪を整えていかにも洒落者に見えるのに、振る舞いは歳相応に子供っぽい。男の子の左隣で付き添っているだけのふうを努めて装い、ゆえにかえって弟と同様の興味を押し隠せていない兄は真っ赤なジャケットを着ていた。少年ふたりは明るいブロンドだったが、右隣にいる黒のスーツ姿の、おそらく父親は暗い茶髪で、明るい色に見えるのは襟足の白髪だった。父親は子どもたちの横からワゴンをのぞき込み、両手をポケットに突っ込むその斜めの姿勢はふたりの親と云うより年長の友人のように見える。一家の男たちは見慣れない雑貨を前に、一様に少年になったのだ。母親は少しく距離を置いて、彼ら三人を眺めていた。わたしの視線は実のところ初めから彼女に焦点を合わせ、男たちは視界の背景でぼやけ、赤と青と黒の色の集まりでしかない。彼らの単色の服装と違って母親の服は白地に赤とピンクが複雑に花柄をつくる派手なもので、いまも成長し続けるようにうねるその模様と、パーマをかけた明るい髪がよく合っている。左耳には、濃い橙色の飴のようなイヤリング。左腕にハンドバッグを提げ、その手には厚手の白い手袋を嵌めて煙草を握っていた。すでに半分まで短くなっている。家族を見つめる彼女の表情はわたしからは窺い知れない。けれどたぶん、呆れているんだろう。(644字)

削る

 中華街の古道具屋、店先のワゴンの前で四人組の、おそらく家族の男女がたむろしている。とくに興味を示しているのはいちばん年少の男の子で、空色の上下と伸ばしかけの髪がいかにも洒落者であるけれど、振舞いはやはり歳相応だ。真っ赤なジャケットのを着た兄も男の子の隣で付き添っているふうを懸命に装いながら、押し隠す好奇心が顕わになっている。ふたりの父親が両手をポケットに突っ込んで横からワゴンを覗き込む姿勢も、親よりむしろ年嵩の友人のそれ。揃って少年になった男たち。少しく離れて母親が、煙草片手に彼らを見つめていた。彼女に焦点を合わせると少年たちは明るい赤と青の単色へとぼやけ、白地にピンクと赤の複雑な花柄模様をあしらう服装がはっきりと見えてくる。煙草は半分まで短くなっている。母親の表情は窺い知れない。けれどたぶん、冷たく呆れているんだろう。(365字)

反省
  • 色の描写はいままで自分が蔑ろにしてきたもの。小説を読むときも、色が出てきてもつい、その色を思い浮かべることなく字面だけを眼で追うに留めてしまう。
  • 写真をよく見たらもうひとり子供がいた。
  • 一週間経った。気分転換に、次回はホッパーの絵を題材にしても良いかも知れない(それはそれで苦行では)
出典

Fred Herzog, Family, 1967.

文章練習:2021/12/06

説明
  1. 写真に何が写っているのかを書く
  2. 出来たものを半分くらいまで削る
書く

 交叉点の角に、何十年も開いている理髪店。通りに面したウインドウは曇りなく磨かれて店内を薄く反射しているけれど、ガラス表面で箱文字ふうに描かれてある白と橙の「MAIN BARBER SHOP」――店内から見ているのですべて鏡文字になっているが――は塗装が擦り切れ、ペンキが塗られた当時に刷毛がどう動かされたのかあらわになっている。外の通りは晴れ。午後の陽が差し込んで、裸のまま吊された電球を点けなくても店内はじゅうぶん明るく、暖かい。店内の一方の壁にくっつけて置かれた机には散髪中手持ち無沙汰にならないよう手に取る読みものとヘアカタログがトランプのデッキを開くときのように隣に半分ずつ被せられて広げられている。最新のものは新聞紙くらいで、ヘアカタログも男性誌も、何年も昔のまま更新されず、客たちにめくられ、読まれ、すっかりへたっている。白い塗装を何度も塗り重ねてきて凹凸ができている壁には髪型のモデルとしてハンサムな男性の頭部を様々な角度から写したピンナップが八枚貼られている。どれも似たような髪型で、とても流行とはほど遠く、ピンナップも湿気でしわがより、縁がめくれ上がって、カレンダーに上から被せられているものもある。誰もその顔を参考にしない。代わりにそのハンサムな男たちが、店を見守ってきたわけだ。斜めに差す陽が明るい菱形を壁に作って、スポットライトのように、もはや名前も知られていないハンサムな彼を照らしている。(595字)

削る

 交叉点の角に戦前からある理髪店だ。壁に貼られた男性のピンナップは昔はヘアカタログの代わりだったのだろう、流行遅れの髪型をしたハンサムな彼を様々な角度から写している。褪せて、よれて、縁がめくれていた。その下の机に広げられたヘアカタログもずっと更新されていない。読まれて繰られて、しかしついには誰からも手に取られなくなった古びた雑誌。通りに臨んで一面に張られた窓から差し込む午後の陽が、それら褪せたモデルを照らしていた。窓硝子は曇りなく磨かれ、店のなかを薄く反射している。窓の真ん中には、店内からでは鏡文字に見える「MAIN BARBER SHOP」。白字もそれを縁取る橙も擦れ切れてしまい、塗りのムラがあらわになっている。ずっと昔、この店名を描いたときにどうやって刷毛が動かされたのか、いまならわかる。(337字)

反省
  • 「懐かしい」と書かないで、古いものを「懐かしい」と思わせられるかどうか。
  • 自分の文体に合った訓練なんだろうかこれは、と段々不安になってきた。しかし、じゃあぼくの文体って何?
出典

Fred Herzog, Main Barber, 1968.

文章練習:2021/12/05

説明
  1. 写真に何が写っているのかを書く
  2. 出来たものを半分くらいまで削る
書く

 なんでもない写真に見えた。なにかを記念したわけでも、なにかを目撃したわけでもない、ただカメラを構えてシャッターを切ったような一枚。並木が枯れているから冬だろう。川沿いの道路わきに三人の男性――ふたりの少年と、彼らより少しく年嵩に見える青年――がたむろしている。構図の中央に収まっているのは厚手の淡茶色したセーターを着た少年で、両手が冷えないように腕を組んで手を脇に挟んでいる。マッシュルームカットされたブロンドの前髪が縁の太い眼鏡の上に乗っかっている。少年は口角を上げて笑っているけれど、カメラを見つめるその眼は細められ、そちらを一瞥したに過ぎないと云うふうだ。笑顔も撮影に際してつくった表情ではないのだろう。友だちと談笑していたところをカメラに撮られ、たまたま撮影者に眼をやった、そんなところかも知れない。背後の低木が爆発するようにこんもりと膨らんで、なにをするでもなかった少年は、図らずも写真の主役かのように構図のなかに収まっていた。いちばん手前に写っている青年は薄青の着古したシャツの上からこれまた着古したベージュの上着を着ている。ちょうどカメラと同じ方向を向いていて、その表情はうかがえない。頬の筋肉が微妙に浮き上がっていることから、笑っているのかも知れない。左手を腰に当てて、気取らない姿勢でリラックスしている。さらさらとした短い髪が風に吹かれて揺れ、動きのない写真のなかでそこだけ像がぶれていた。青年の隣にいる少年は上半身の半分がフレームに切り取られてしまっている。薄い黄色に染められたワイシャツの裾を捲りあげてジーンズのポケットに突っ込まれた手には、袖を捲り上げるようにして腕時計が巻かれてある。少年の横顔は眼鏡の彼の方へ向いている。寒さで耳が真っ赤だ。三人が何を話しているのか、いったい彼が誰なのか、写真は何も語らない。(768字)

削る

 無造作にカメラを構えてシャッターを切ったような一枚だった。場所は川沿いの道路わき、木々も芝生も冬ざれた褐色の景色。少年がふたりと年嵩の青年がひとり立ち話をしている。厚手の茶色いセーターを着込み寒そうに腕を組む少年は背後で低木が膨らんでいる構図も相俟って写真の主役かのように中央に写されているけれど、彼はカメラに眼をやっているだけで、浮かべた笑いは撮影者ではなく友だちふたりに向けられている。三人は一方的に撮られたのだ。手前に立つベージュのアウターの青年は顔をカメラの反対に向け、隣のワイシャツの少年も寒さで真っ赤になったその横顔はカメラに気づいた様子もない。ふたりは真ん中の男の子を見ている。青年の表情はうかがえないけれど、頬の僅かな盛り上がりからして笑っているのだろう。しかし写真は彼らが何に笑っているのか、彼らがいったい誰なのか、何も語ってくれていない。(379字)

反省
  • 写真なかのイメージを物語の一場面として描写するのではなく、写真そのものとして描写してみた。後述するが、Egglestonの写真はそのような記述の方が合うと思ったのだ。が、案外うまく行ったので、今後はEggleston以外でも同じようにやるかも知れない。
  • そもそも写真とは、撮影者の見たものとイコールではないので、いままでの方法だとうまくいかないのは当然なのだけれど。
  • どこまで描写を削れば良いのか、と云うことを考えている。写真から感じられるエモーションを、どうすれば文章で近似できるか。
出典

William Eggleston, Tallahatchie County, Mississippi, 1972.

www.moma.org

Egglestonの写真はそれまでモノクロームが支配的だったアメリカ写真芸術にカラーと云う新しい潮流を生んだ、と云うのがおそらく教科書的な説明。その作品の特徴は、これまで取り上げてきたHerzogやShoreに較べて、「素人っぽい」ことだろう。写真は一見すると無造作に撮られている。中央に消失点があるような素朴な構図に、素人写真のようにややくすんだ発色。「素人っぽい」写真は写真を撮ると云う行為そのものをかえって意識させ、写真そのものがもつ痕跡の感覚――残された物質としての側面を強調する。けれどもちろんそれらが生むノスタルジックなエモーションだけが魅力ではない。彼の作品はただの記念写真として見ると奇妙で、シュールだ。
……と、偉そうなことを語りましたがすべて半可通の聞き囓りでございます。『William Eggleston's Guide』ほしー。

文章練習:2021/12/04

説明
  1. 写真に何が写っているのかを書く
  2. 出来たものを半分くらいまで削る
書く

 モーテルの部屋は125号室。染みと模様の区別がつかないほど茶色く古ぼけた花柄のシーツの張られたクッションの硬いシングルベッドのそば、天板に抽斗がふたつだけついたデスクが椅子の引く余裕もないくらい窮屈に押し込められている。けれどそれ以外に家具はなく、ベッドの接する壁に広く取られた窓が開放的で、決して狭い部屋だとは思われない。灯りはまだ点けていない。外から注がれる眩しいほどの光で暗くはない。あまりに眩しく、窓もガラスの透明度が低いものだから見る角度によっては外の景色が見えなくなる。ベッドに横になると、窓の向こうは一切が白になってしまう。デスクに置かれた白い円筒のシェードがついたランプはデスクに対して大きいサイズで、トランクを載せるとデスクの上はもう一杯だった。デスクの上方には壁に台が打ち付けられ、ブラウン管のテレビが載っている。チャンネルを合わせるためのダイヤルしかない、簡素で、数世代前の機体だ。くすんだ銀灰色の直方体の背面からはコードが何本も伸びて、その先は壁の穴に消えたり、床まで下ろされて電源と接続されたり。電源を点けるとぶうううううんと鳴りながら映像を映すものの、画面が常に青黒い砂嵐のようなノイズがかかっていて、窓からの四角い光も反射して、何が映っているのかわからなかった。黒いずんぐりした影がノイズの中を横切った。人間の顔のようにも見えた。(570字)

削る

 モーテルの部屋は狭いけれど設えが簡素で、たいして窮屈とは感じない。褪せたシーツが張られているシングルベッドと、上にトランクを置いたらランプと合わせて天板がいっぱいになってしまったデスク、ふたつに挟まれて椅子が一脚。それだけだ。ベッドに横たわる。クッションが硬い。壁には窓が広く取られ、明かりを点けずとも室内は仄明るい。けれど外があまりに明るいものだから、いま見ている角度からではガラスの反射で景色すべてが白い。デスクの上方にはブラウン管テレビが取り付けられ、背面から各種のコードを部屋のあちこちに伸ばしている。電源を点けると映像が表示されるものの、ノイズがひどいのと窓からの光が反射するのとで何が映っているのかわからない。白い矩形と青黒い砂嵐に覆われる画面をずんぐりした影が横切る。それはひとの顔のようにも見える。(357字)

反省
  • 総じて軽い。精緻な描写が持つべき重さがどこにもない。
  • どうすればいいんだろう。
  • それはさておき。今回分の「それはひとの顔のようにも見える。」とか前回の「機械と植物だけがすっくと立って列車を待っている。」のような決め文や比喩が(その巧拙は別として)自分から出てくるのは意外で、次からはこれを意識してみても良いかなと思う。
出典

Stephen Shore, Room 125, Westbank Motel, Idaho Falls, Idaho, July 18, 1973.

写真は以下で見ることができる。

www.moma.org

収録されているかどうかは知らないが、Shoreの代表的作品集は以下。

文章練習:2021/12/03

説明
  1. 写真に何が写っているのかを書く
  2. 出来たものを半分くらいまで削る
書く

 ベリンハムの駅はカナダとの国境近くにある。列車にあと一本乗ればバンクーバーだ。けれど現在時刻は六時をとっくに過ぎ、切符売り場は窓口が閉じられていた。檻状のシャッターが引かれ、その上の斜線が交差した格子窓の向こうには丸い電灯がぼんやりと灯っているけれど、受付にひとがいる気配はない。隣に掲げられた黒板には運行時刻のかわりに「列車は現在運転していません」と書き込まれていた。白のチョークで、表の罫線を無視してうねるような金釘流だ。その上にやや掠れた字で「バスが到着します」。待合室を兼ねたホールには誰もいなかった。細い木材を曲面ができるよう並べて作った、背凭れも手摺りも滑らかな曲線を持つベンチが六つ、ふたつずつを各一辺にしてコの字に置かれている。ホール全体をぼんやりと反射する床に、ベンチの脚は最低限の接地をしていた。ガムボールマシンと図体の大きい観葉植物がベンチのコの字に囲まれている。ガムボールマシンは懐かしい彩りのガムがてっぺんの透明な球体に詰め込まれていたが、機体はスチール製のスタイリッシュなデザインだ。ホールの中央にあるものだから、そう云う電灯にも見える。天井近くまで高く取られた窓から差し込む夕陽を受けてガムの球体は輝いていた。窓はアーチ状だから、ホールの床には扇形が出来ている。掃除を欠かしていないのだろう、石造りの床は曇ることなく、誰もいないホールをぼんやりと反射していた。そう、ホールには誰もいない。けれど開け放された扉の向こうのオフィスにはひとがいるらしかった。ピンクのシャツから出ている肘が、扉の枠から僅かに覗いている。(671)

削る

 ベリンハム駅はカナダとの国境近くにある。ここから列車に乗ればあと一本でバンクーバーだけれど、時刻はすでに六時を過ぎて、切符売り場はシャッターが下ろされ、隣の黒板には運行予定表のかわりに「列車は運転していません」と、罫線を無視して書かれていた。その上には掠れた字で「バスはまもなく到着」。待合室を兼ねたホールには、手摺りと背凭れの曲線こそ優雅だけれど座面の硬いベンチがコの字に並べられていた。誰も座っていないし、誰も寝ていない。コの字の真ん中にスチール製のガムボールマシンと、大きな葉が萎びて垂れる南国ふうの観葉植物。窓から差し込む日溜まりのなか、それら機械と植物だけがすっくと立って列車を待っている。
 切符窓口の隣の扉は開け放されていた。ピンクのシャツから覗く肘が、扉の輪郭から飛び出した。誰かいる。(349)

反省
  • スケッチになってなくね?
  • 小説の一場面として書いてしまっている。それで良いのだろうか。
  • とは云え、楽しい。
出典

『Fred Herzog: Modern Color』より「RR Bellingham Station, 1974」。

文章練習:2021/12/02

説明
  1. 写真に何が写っているのかを書く
  2. 出来たものを半分くらいまで削る
書く

 街の大通り。五車線はあって幅が広い。住宅ではなく店が並び、歩道の上の視界を幾つもの看板が塞いでいる。横長の青い矩形。縦長の赤い矩形。カフェ。バー。食糧品店。雑貨屋。そのほか店名だけからは判別できない業種。わけても多いのはホテルだった。道の両岸どちらのビルからも、幾つも「HOTEL」と書かれた看板が飛び出していた。けれどいちばん目立つ看板は「BALMORAL」とある服屋のそれで、赤いネオンで縁取られた白い積分記号が上から下まで長く伸び、くるりと丸まった下部につけられた時計が午前九時二十三分を指している。朝の空気は霞がかかって、通りの果てを見通すことはできなかった。車道のわきに車を駐めている黒い背広の男のうしろを、上着を着崩して黄色いシャツが覗いている労働者ふうの男が横切る。まだ登り切らない太陽が彼らの足許に長い影を作り、灯されることなくずらりと並んで立ち尽くしている街灯の影と平行に斜線を伸ばしていた。街区の境目に立つ街灯は目印でもあるのだろう、ペデスタルボックスとトマト色のポストがそばに置かれ、バス停と道案内の表示板が掲げられている。老女はけれどそのいずれも見ることなく、車が来る方向を睨んでいた。その身を包むシックな黒いコートの首許からは赤と灰緑色のスカーフが覗く。頭には白いハットを被せ、黒革の財布と外された白い手袋と両手に持ち、片腕からは鱗模様の焦茶色のハンドバッグを提げていた。脇に抱えた木製の杖は真っ直ぐで、下の部分に僅かな瘤がある。その杖と同じように、しゃんとして、それでいて経てきた齢を感じさせる顔つきの彼女が睨んでいるのはこれから来る車ではないかも知れない。彼女の目の前には男がいた。細身だががっしりした体つきの三、四十くらい。上半身には薄手のシャツ一枚しか着ていない彼は右手を挙げてタクシーを捕まえようとしている。煙草を掴んでだらりと下げた左手は白い包帯が手の甲から手首にかけて巻かれていた。男は怪我をしたのかも知れない。彼の顎には絆創膏が貼りついて、赤い血を滲ませながら、半分剥がれかけていた。(855)

削る

 大通りには多種多様な店が並び、カラフルで多様なかたちの看板を歩道の上に差し出していた。とりわけ目立つのは服屋のそれで、赤いネオンで縁取られた巨大な積分記号が上から下まで長く伸びていた。くるりと曲がったその下部は時計になっていて、いまは午前九時二十三分をさしている。朝の空気は霞がかかって、通りの果てを見通すことはできなかった。昇り切らない太陽が、歩道を歩きあるいは立ち止まっているひとびとの影を長く伸ばしていた。通りの先からずらりと並ぶ濃い緑色の街灯は、街区の境目に立っている一本がバス停代わりにもなっていて、表示板や案内板が掲げられてある。足許にはトマト色のポストもあった。老女はその側に立ってバスを待っていた。わきから提げた木製の杖と同じように、背筋を伸ばして凜としながらも重ねた年月を感じさせる顔つきで、車が来る方向を見つめている。彼女の目の前には壮年の男がひとり、右手を挙げて車を捕まえようとしていた。細身ながら丈夫な体躯。煙草を抓んだままだらりとさげた左手には手の甲から手首にかけて包帯が巻かれている。男は顎にも怪我をしており、半分剥がれかけの小ぶりの絆創膏が貼り付けられ、血の染みが大きく滲んでいた。(509)

反省
  • もっと削りようがあると思う。描写の順序を入れ替えるとか。
出典

『Fred Herzog: Modern Color』より「Man with Bandage, 1968」。