鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

壁の向こうの住人


 しばらく前のことだ。実家に帰ると、隣家とのあいだに壁が建っていた。スチール製の薄い板を縦に設えただけの簡素な造りだったけれど、背は二メートルあってそうそう乗り越えることはできず、視線を交わすこともできない、明確な拒絶の意志を感じさせる壁だった。敷地としては隣家のほう、わが実家と接する一辺だけにつくられてあったから、つまりお隣さんは、うちを拒絶しているらしかった。
「何あれ」
 玄関に上がって早速訊くと、うるさいんやって、と母は云った。
「何が?」
 うちはかなり静かな家庭だと思う。やんちゃな年頃の子供はいないし、大声を張り上げる習慣もない。客を呼んで飲めや歌えやと騒ぐわけでもない。兄は趣味としてバンドをやっていたけれど、就職してからはギターも埃を被りがちなことをぼくは知っている。だから「うるさい」と云う感想は、少なくともうちには当てはまらないはずだった。
「わからへん。でもお隣さんが云うには――」
 母は困ったように、あるいは怖がるようにして、表情に陰を落とした。
「生活の音が」
 そう答える声も低かった。まるで隣人を気にするみたいに。お隣さんがずっとうちに向かって、耳を澄ましているとでも云うように。
 実家は一度引っ越している。これまで実家、実家と書いている家は、だからぼくにとってまだスマホの連絡帳に記されている住所以上の意味を持っていない。近所にどんなひとが住んでいるのかも、両親がそこでどんなご近所付き合いをしているのかも把握していない。こんなご近所トラブルの典型みたいな話に巻きこまれていることも知らなかった。
 あんまり詳しく書ける話でもないし、ここまで書いてある話にもそれなりに嘘を含ませている。そもそもこのトラブルは本題ではない。だから簡単に顛末を記せば、生活音とやらの問題は、最初に触れた壁によってとりあえずの手打ちとなった。問題はぼくが知らないうちに起こり、ぼくの知らないところで決着した――もちろんお隣さんは住み続け、わが家も住み続けている以上、根本的な解決とまでは至っていない。防音壁は暫定的な休戦の証でしかない。



 アメリカ合衆国大統領に就任したドナルド・トランプは二〇一七年、合衆国とメキシコとの国境に「通過不可能な具体的な障壁」を建てるよう、大統領令にサインした。それは彼が当選以前から掲げていた約束だった。トランプはおそらく本気で、アメリカに壁を建てようとしていた。それは実際に建たずとも、アメリカのなかに、アメリカとほかの国とのあいだに、幾つもの壁を建てることになった。あるいは壁がすでにあったからこそ、トランプのような大統領が現れたのかも知れない。トランプ支持者に取材した金成隆一『ルポ・トランプ王国』は確か、支持者のこんな言葉で結ばれていた。

「トランプが美しい壁を造るんだ」

 それはなんとも絶望的な陶酔だ。
 分断、と評するのは容易い。けれども分断それ自体を想像することはとても難しい。われわれは結局、自分の見えているものしか見ることができないからだ。壁の向こうが見えなくなれば、そこにひとが生きていることもわからなくなる。
 そんな状況を乗り越えようとした本として、アーリー・ラッセル・ホックシールド『壁の向こうの住人たち』があった。だいぶ前に読んだ本なので――そう、トランプをめぐる分断の始まりはもう〝だいぶ前〟なのだ――細かな議論は忘れてしまったが、ホックシールドアメリカ南部の社会を分析するにあたって、そこに暮らすひとびとを決して愚かであると断じようとはしなかった。
 代わりにホックシールドは、物語を想像した。アメリカ南部に生きているひとびとが人生を懸けてきた物語を。彼らが何を信じて、何に裏切られたのかを。彼らは列に並んでいた。その列に乗っていれば人生は報われるはずだった。そこに移民やマイノリティが横入りしてきた。――そんなストーリーだ。
 ずるい、と彼らは云う。その裏切りの感覚、怒り、悲しみ、痛みは、こうして文章を思い出しながら書いているぼくには漠然としか想像できないほど個人的で、けれどもだからこそ切実だ。その切実さは、「保守」とか「右翼」とか云った言葉では掬いきれず、反知性主義やエリート非難でも救いきれない。
 ましてや、馬鹿になんてできるはずがない。



 壁、壁、壁。いたるところに壁がある。感染症や戦争、気候変動は世界に無数の壁を引く。それは決して見えない壁ではない。けれども、見えなくさせる壁ではあるだろう。壁の向こうに誰がいるのか、そこにはどんな生活があって、どんな切実さがあるのかを理解することは難しい。
 陰謀論にどっぷり浸かってしまったひとはしばしば「向こう側に行った」と云われる。あるいは、差別的な考えにすっかり染まってしまったひとのことを。そう云ってしまいたくなる気持ちは痛いほどわかる。そこにいると思っていたひとが酷く遠くに感じられることがある。けれども向こう側と云ってしまったとき、われわれ――われわれって誰だ?――は半ば、想像の橋を架けることを諦めている。
 先日、喫茶店で中学生たちが不満たらたらに宿題をやっていた。彼らは英語を嫌っていた。苦手である以上に、憎んでいた。おれは外国人と一生喋らない、とひとりが云った。アメリカ人が嫌いだ。もうひとりが応答した。中国人も嫌いだ。外国人は日本から出て行くべきだ。つい聞き耳を立てながら、ぼくはその考えを頭ごなしに否定することはできなかった。こんな子供にそんなことを云わせる背景を、少しだけ想像できたからだ。日々のニュースは国際関係の緊張を報じつづけ、国際協調やグローバリズムなど夢のまた夢に思われる。きょうもどこかで誰かが死んで、誰かが誰かを憎んで罵り、ミサイルはひっきりなしに飛び交って、不穏な足音は止まらない。そんな日々のなかで、すべての国のひとと手を取り合う未来を、「向こう側」に生きているひとを、想像することはとても難しい。不安と恐怖に苛まれるなかで、外国語はきみたちを嘲笑うように難解な文法規則を押しつけ、自尊心を踏みにじり続けるだろう。強制されるだけの理解はかえって実践から遠ざかる。わからないと云えば馬鹿にされる。差別を口にすれば怒られる。その痛みに誰が寄り添うと云うんだ?
 少なくともぼくは寄り添えなかった。ノートを片付け、荷物をまとめて、コーヒー一杯分の伝票を片手に席を立った。値上げしたな、と思った。



 生成AIのめざましい進歩をめぐって去年あたりからずっと気になっているのは、AI技術を受け容れたがるひとびとがしばしば、不必要なまでに、慎重派や否定派に対して冷笑的で侮蔑的な態度を取ることだった。写真が発明されても絵画は廃れなかった、と彼らは云う。どうにも彼らには、写真が発明されたことで筆を折ったり写真家へ転身したりしたひとびとの存在を、そこで流された涙や踏みにじられた怒りを想像することができないらしかった。長い月日をかけてものにした自分の線をまったく別のルートから再現するために結果だけを掠め取られる苦しみは、法律や進歩史観を盾にしてその収奪を許すことを強いられる耐えがたさは、一方的に利用されて利益を奪われる不公正は、彼らには「お気持ち」と云う、軽んじるべきものに見えて仕方がないのかもしれなかった。まるで自分たちは「合理的」であるとでも云うように。
 AI礼賛者のそうした態度を舌鋒鋭く非難したのがナオミ・クライン「「幻覚を見ている」のはAIの機械ではなく、その製作者たちだ」で、2023年7月号の『世界』に翻訳されている(余談だが、翻訳したのは知り合いの先輩である)。クラインは、AI用語のハルシネーションを引き合いに出しつつ、AIに期待を寄せるひとびとこそ「幻覚を見ている」のだと云う。AIが気候変動を解決する、AIは人類をもっと豊かにする、AIは善き存在である、だから怖がらなくて良い(暗に仄めかされる――AIを怖がって遠ざけているやつ時代遅れの馬鹿だ、と)。記事は厳しく、それでいて真っ当に、幻覚をひとつひとつ撃ち抜いてゆく。
 けれども、と思う。果たして「幻覚を見ている」ひとに、お前は幻覚を見ている、と云ったところで、何になるのだろう、と。幻覚を見ているのはお前の方だ、と云い返されて終わるのではないか。なんとなればその幻覚は、おそらくは根拠や合理性がどうと云うよりも、一種の信念の問題だからだ。
 ここでぼくは、作家の小川哲の言葉を思い出す。デビュー直後のインタビュー*1で、彼は大学院で研究していたアラン・チューリングについて、こんなふうに語っている。

チューリング人工知能が人間をいつか必ず凌駕すると固く信じていた人物で、その確信の根拠は実は数学ではない。人工知能黎明期の希望的観測と、チューリングの個人的な感情が根拠なんです。前者はサミュエル・バトラーの『エレホン』、ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』、カレル・チャペックの『R.U.R.』などのSF作品が広く読まれていたことと関係していて、後者はチューリング自身が同性愛者だったことと関係しているだろう、と。

 絵描きたちが自分の絵がこの世界に何かを与えることを信じているように、AIに賭けているひとびとは、このテクノロジーによって世界が変わることを信じている。絵描きたちが長い時間をかけて作りあげてきたおのれの画風に自分自身を懸けているのとあるいは通じる切実さを持って、AIに懸けているひとびとがいる。彼らは別に愚かではないし、たぶん多くは、悪人でもない。少なくともそうやって、「向こう側」を軽んじるべきではない。絵描きとしての尊厳を懸けてStable Diffusionを拒絶するひとびとが決して馬鹿にされたり、既得権益に縋っていると非難されたりするべきではないように。



 想像してみなければならない。壁の向こうに誰が生きているのかを。彼らがどんな切実さを抱えているのか、そこにどんな世界があるのか。「こちら側」にとっては――あるいはまったく同じ意味において、「あなた自身」にとっては――不合理だったり排他的だったりする言葉を、何が彼らに云わしめているのか。
 それはお気持ち? 非理性的な感情? まったく個人的な私怨? ――結構。けれども一回きりの人生で、取り替えの利かないこの世界で、個人的であること以上の何があると云うのだろう?
 究極的な他者理解が不可能である以上、想像することによってでしか、そこには手を伸ばすことができない。
 けれども壁にはいつも緊張が漲っていて、その向こう側を想像することはとても難しい。



 ぼくはお隣さんとやらがどんな家庭なのか知らなかった。
「老夫婦、それとその娘夫婦、もしくは息子夫婦」
 文句をつけてきたのはお爺さんのほうらしい。けれどそう聞いても、ぼくにはピンと来なかった。帰省しているあいだにそれらしい姿を見かけたことはない。お爺さんはたぶん、日中に出歩かないのだろう。家のなかに籠もって、彼はひねもす神経を尖らせている。そんな想像が浮かぶ。もっともこれは、もう手を伸ばせなくなった壁の向こうに、好き勝手に投げつけている偏見に過ぎない。ご近所トラブルを起こすなんて、さぞや気難しい老人なんだろう、と。
 父は怒りを顕わに、それでいて粛々と、法的手段や監視カメラの設置を検討している。その横で、母は難しい顔をしている。もちろん母は不安だし、怖がっている。けれどもそれだけではない――、母は、悲しんでいる。
「いやなひとやけどね」
 一緒に買い出しに出かけたとき、母は隣家を指さして、おもむろに云った。
「――きっと、つらいんやと思うよ」
 隣家の窓に明かりは点いていなかった。そこでどんな生活が営まれているのかぼくは想像もできなかった。そこにひとが生きていることも、うまく想像できなかった。老爺はいまもそこにいるのか。家族は彼をどう扱っているのか。彼は家族をどう受け止めているのか。
 けれどもそれを云うならば、周囲の家々に暮らす家庭ひとつひとつの生活も、ぼくは知らない。ぼくがいないあいだ、実家がどうなっているのかさえ、ぼくは知らなかったのだ。
 兄は一度、隣家から怒鳴り声を漏れ聞いたと云う。――えらい剣幕やったな。
 ――なんてことをしでかしたんや、ってな。
 ――お爺さんの声?
 ――いや、婆さんのほうやった。
 耳を澄ましている老人の姿を、見たこともない彼の姿を想像する。想像のなかでは、どう云うわけか家に陽の光が差していない。建てられた壁が遮っているのだろうか。暗い家のなかで昼間、彼はひとりだ。おそらく終の住処となるそこで、老人は静かに呼吸している。隣家から聞こえてくる足音、話し声、テレビの声、湯沸かしの音、庭の木々のざわめき。すべてが彼の耳を苛んで、その苦しみに耳を傾ける者は誰もいない。それは彼自身が招いた孤独であり、われわれが強いている孤独である。
 きっと、つらいんやと思うよ。
 いまも壁はずっとそこにある。両親はこちら側にも壁を建てることを検討している。

*1:「小川哲インタビュウ」、『S-Fマガジン』2015年12月号