勉強しなくてはいけないのだがしていない。と云うか何を勉強すれば良いのかわからない。とりあえずこの辺のひとのを読んでみればと云われた研究論文をいくつか読んだがこう云うのをやりたいのではないと云うことがわかった。入り浸るべき研究室はウレタン鼻マスクの集う場のようになっているのを見てから足を踏み入れていない。研究室内のライングループではきょうもきょうとてお出かけ行事の予定が立てられてゆく。釣った魚の同定ゲームとかしていた。楽しそうですね。
それはそれとして、以下、最近読んだ小説の雑感。
呉明益『複眼人』
- 五十嵐大介にコミカライズしてもらうとちょうど良くなるのではないでしょうか。
多岐川恭『氷柱/おやじに捧げる葬送曲』
- 最初期の長篇『氷柱』と最後期の長篇『おやじに捧げる葬送曲』のカップリング。書かれた時期にそのような隔たりがあるはずなのに、間違いなく同じ作家の手になるものだと断言できる。
- 短いなかに技巧を凝らした複雑な因果、それでいて無理なく読ませる手捌き。何よりどちらも、世界を突き放した人間の心が徐々に温もりを持ってくる。いや、その温もりは、初めから彼らが持っていたものだ。
- 複雑な物語を読ませるのはプロットの技巧と云うより語りの技巧ではないだろうか。方向性は異なるものの、どちらも上滑りしたところのない地に足ついた一人称が物語をしっかり踏みしめながら次へ、次へ、と読み手を連れてゆく。
- 好みの書き方であるはずなのに、なぜピンとこなかったのかを考えている。あるいは最大の読みどころであるはずの温もりそれ自体が受け付けないのかも知れない。
- 『おやじに捧げる葬送曲』の特殊な語りは「劇的独白(dramatic monologue)」と云うらしい。いわゆる一人称小説や単なる独白調とは異なる、明確な聴き手を想定した語り。
- こう云う語りは、聴き手の語られざる反応をわかりやすく示すために語り手に聴き手の言葉をオウム返しさせることがよくある。え? どう云うことかわかりづらいって? つまり、こんな感じ。
- 『おやじに捧げる葬送曲』では、聴き手である重病人の《おやじさん》との意思疎通がそもそも困難であるため、オウム返しと云う要請された不自然な記述を、痛切な意思疎通の過程としてしまう。これは巧い。そして哀しい。
デイヴィッド・ピース『TOKYO YEAR ZERO』
- 冒頭、灼熱の死体発見現場を背景に玉音放送と「露営の歌」が流れるシーンでテンションはピークに達してしまった感がある。そのままじっくり、ゆらゆらと下降しつつ、不時着するような小説。褒め言葉ではないけれど、貶してもいない。癖になる語りだ。
- 阿津川辰海が『蒼海館の殺人』でやりたかったのはこの文体か、と思う。
- その意気や良し。
- 思い切ったディテールの描写があまりない以上、書かれている国の人間としては「歴史小説」と受け止めきれないきらいがある。この辺、おそらく日本人が書いた海外を舞台にした歴史小説も、本国の人間からすれば甘い描写だと感じられることが少なくないのではないだろうか。
- とは云え本作の場合、当時を細かく再現しようとする描写よりも内面のモノローグ技巧に徹した姿勢は、かえって作品が、亡霊の都市としての敗戦した東京を浮かび上がらせ、そこに声――声なき声を響かせることに貢献しているのではないだろうか。
- 全体的に、原文がどうなっているのか気になる小説。
横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く』
- 『TOKYO~』の次作が帝銀事件を題材にしていると聞いて、そう云えば同じく帝銀事件(を思わせる事件)から始まる小説を積んでいたな、と思い出し引っ張り出してきた。
- 横溝ミステリはひとつの土地を舞台にした因果を書くと云う印象を持っていたけれど、本作では金田一耕助が東へ西へといろいろ動く。複数の時代と場所を股にかけて浮かび上がる家族の悲劇、そしてその忘れ難い幕切れが、ロス・マクドナルドをぼくに想起させた理由だ。
- 一応、密室や怪奇的な趣向も登場するが、どうも全体の構図にしっかり組み込まれているとは云い難い。やはり眼目は、《血》なるものに引き裂かれる家族の悲劇、いや、惨劇だろう。
- ある手掛かりについて。小説では伏線になりようがない、とするべきか、小説だからこそ埋め込めた手掛かりとだ、とするべきか。フェアプレイは、それを絶対的な基準として置かない、と云う意味でぼくはあまり気にしないけれど、金田一が「耳にする」「目にする」ものと、書かれたものから読み手が「読む」ものとの隔絶に、面白さを感じた。
- 物語の背景に転がる幾つもの死についても注意しておきたい。あまりにあっさりと殺された天銀堂の従業員たち。そして、戦争。
- 舞台が戦後の混乱期であることは作中で何度も強調される。様々なものがない時代だった。様々なものが失われた時代だった。『獄門島』とは別のかたちで、この作品もまた、戦後を描いている。