鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

2022年下半期ベスト

どの一瞬にも、歴史が傍らをよぎってゆく音が静かに鳴り響いている。
今福龍太『原写真論』


 ひと息のあいまで無為に過ぎていったようにも、目まぐるしく変転したようにも思われる半年でした。昨日と今日で何かがすっかり変わってしまっているのに、それを知った途端に耐えられなくなるから沈黙している。あるいは、明日にも世界が変わってしまう予感に打ち震えながら、抗うために変わらないものへ縋る。
 いずれにせよ、年の瀬です。下半期ベストの季節と云うわけです。今回はいつもとは趣向を変えて、長篇・短篇でわけることなく、短評の代わりに引用を載せようと思います。なぜか? 表層的に云えば面倒臭いからであり、掘り下げて云えば、あの書き方はそれなりにたくさん読んだうえでようやく成り立つものだからです。つまり、湧き上がるような読書の波を乗りこなすための文体。しかしこの半年、ぼくの読書ペースはガクンと落ち、再読が増え、波に乗ると云うよりもぶらぶら道を散策するような感覚に近い読書となりました。
 読み方が変われば、書き方が変わる。当然のことですが、驚くべきことです。
 それでは半期のベストです。読んだその瞬間の感銘よりも、いまここで振り返ったとき印象が浮かび上がるタイトルを。順序は優劣を意味しません。

『犬の記憶』森山大道

 短い言葉の向こうに風景が見え、そのさらに向こうに過ぎた時間がある。僕の記憶のいちばん突き当たりに映る砂の熱かったあの海辺の光景も、そしてそのほか無数の記憶の風景も、むろんその時点で写し止めることは不可能であったが、それらはいったん僕の記憶の底に沈み込み、僕の意識を通りぬけることによって、あらかじめ潜在していた日付は、新たなる日付との邂逅のなかでふたたび蘇生するのではないだろうか。それは、かならずしも僕ひとりが持つ日付のなかからだけではないように思える。記憶とはそんなものなのかもしれない。

 

『ディフェンス』ウラジーミル・ナボコフ

「出て行け、出て行け」と荒々しい声が繰り返した。「でも、どこへ行ったら?」とルージンは泣きながら言った。「家に帰るんだよ」と別の声が取り入るようにささやき、何かがルージンの肩を押した。「何だって?」突然泣くのをやめて彼はまた訊ねた。「家だよ、家だ」とその声が繰り返し、ガラスの光がルージンを捕らえ、ひんやりとした黄昏のなかに放り出した。ルージンは笑みを浮かべた。「家か」と彼は小声で言った。「それがコンビネーションにつながる鍵なんだな」

 

「逃亡記」開高健

 王の遺跡の城塞が土に沈んだ地点から私たちの仕事ははじめられた。着工式にあたって、私たちは捕虜の匈奴を二人つれてくると、深い穴を定礎点に掘り、彼らの首を切りおとしてから穴の底に跪かせ、首のかわりに青銅製の鼎を両手で捧げもたせて土をかぶせた。遊牧民はこうしてついに理由を知ることなく長壁の全重量を永久に支えることとなったのである。私たちの受持区域は黄土地帯からへだたっているので、土や日乾し煉瓦をはこぶために牛車の隊が現場とはるか遠方の辺境の町を往復した。私たちは苦心惨憺して粘土を掘り、岩をつらぬいて井戸をつくると、牛車のもってくる黄土をおろして水でねり、木枠にはめて腸に乾かし、できた煉瓦を一個ずつつみあげた。長城がのろのろと荒野を這って丘につきあたると、煉瓦は馬や牛の背で丘のうえにはこびあげられ、崖があればそのまま崖を壁に利用した。私たちの目的はとぎれとぎれになっている遺跡をつなぎあわせることであって、遺跡の城塞そのものの改修は後続部隊がやってくれることになっていた。しかし、荒野は東西南北見晴らすかぎりただ岩と砂ばかりで、進路の目標になるものはなにもなかった。そこで現場監督は作業を指揮するかたわらしじゅう太陽と星に進路の指示を仰いだ。私たちはこの単純きわまる作業を無数の小部分に分解した。黄土をおろすものは黄土をおろし、水を汲むものは水を汲み、煉瓦をはこぶものはひたすら煉瓦をはこんで、いっさいそれからさき自分の力がどう連結して流れ高まってゆくかということについて他人の仕事に関心をもったり、干渉したりすることを禁じられた。もちろん労働意識の新陳代謝を計るために仕事の交替はしじゅうおこなわれ、運搬係が製造係に、製造係が建築係になり、各人がひととおり作業の善部分を経験するような仕組にはなっていた。しかし、ひとつの部分が他の部分と独立的に排除しあうという方式はぜったいにかわることがなかった。ただこの方式によってのみ長城は築き得られるはずであった。そしてこのこと自体が私たちに長城へのいっさいの信頼を失わせる結果となったのだ。

 

『アントニン・レーモンドの建築』三沢浩

 まず最初にレーモンドのもってきた小さな紙切れのスケッチは、その紙の小ささにもかかわらず、彼が腰を入れて新しい形に挑む意気込みが読み取れるものであった。かすかな記憶しかなく、そのスケッチもどこに消えたのか、彼がもっていって、小さなスケッチばかりを集めた「スクラップ帳」に貼りつけてしまったのか、今はわからない。それは奇怪な形をしていた。蛇がガマ蛙を飲んだようなぬるぬるした合体の平面構成で、どこにも直線がなかった。

 

ユートピアへのシークエンス:近代建築が予感する11の世界モデル 』鈴木了二

 なぜヴァーチャル=虚構性が重要視されるのかといえば、それは現実が怖いからです。そもそも「近代」とは身も蓋もない過酷なものとして「世界」が初めて姿を現した時代です。その過酷な「世界」が姿を現すことへの恐怖が「近代」の根底にあった。そしてこの「恐怖」を徹底的に現実化してみせたのが戦争の世紀といえる二十世紀だった、とぼくは思います。この「恐怖」に対してどのように対面したのか、その試行錯誤の結果が近代建築であったとも言える。

 

「怪談怪談」澤村伊智

 覚えていらっしゃいますか。根本が作文の最後の方で、怖い話を書いたり、怖い映画を作ったりする意味について、考察していましたよね。あれ、小六のガキにしちゃ鋭い見解だと思いますよ。でも私はそこに、もう一つ付け加えてみたいんです。

 

『営繕かるかや怪異譚』小野不由美

「人が住めばどうしたって疵が付きますからね」祥子の思考を読んだように、尾端が言った。「背比べみたいに、わざと疵を残すことだってあります。良い疵もあれば悪い疵もある。古い家にはそんな疵が折り重なっているものですが、それこそが時を刻むということなんでしょう」

 

『生きられた家:経験と象徴』多木浩二

 どんなに古く醜い家でも、人が住むかぎりは不思議な鼓動を失わないものである。変化しながら安定している、しかし、決して静止することのないあの自動修復回路のようなシステムである。磨滅したか風化してぼろぼろになった敷居や柱も、傷だらけの壁や天井のしみも、動いているそのシステムのなかでは時間のかたちに見えてくる。住むことが日々すべてを現在のなかにならべかえるからである。家はただの構築物ではなく、生きられる空間であり、生きられる時間である。

 

「歴史の天使」多木浩二

 本当に主題になるのは、「歴史」のなかには登場することのない歴史である。
 巨大な船が沈没する。タイタニック――これは事件だ。人びとはそれを歴史に書き込む。しかし難破につづく溺死者の長い漂流――それは歴史の外にある。偶然、どこからか流れてきて、次々と浜辺に打ち上げられてくる溺死者の群れ。写真もそんな風にして生まれてくるのだ。集まった写真の一枚一枚のあいだには、こうした名前のない死者たちの生ぬるいため息が潜んでいる。

 

『セレクション戦争と文学8:オキナワ 終わらぬ戦争』大城立裕ほか

 ――いちおう立派な理論です。しかし、あなたは傷ついたことがないから、その理論になんの破綻も感じない。いったん傷ついてみると、その傷を憎むことも真実だ。その真実を蔽いかくそうとするのは、やはり仮面の論理だ。私はその論理の欺瞞を告発しなければならない。
大城立裕「カクテル・パーティー

 

空爆論:メディアと戦争』吉見俊哉

 砂漠の蜃気楼は、地上の人々の眼差しの前にだけ存在するのではない。その蜃気楼を立ち現わさせるのは人々の視覚的実践である。偵察=空爆を実行していく「上空からの眼差し」と、そうした眼差しに晒された人々の間には、それぞれの空爆=空襲の時点では大量殺戮という関係しか成立しないかにも見える。しかし、それでも路上の写真家たちはその空爆の瞬間、路上で死んでいく人々の姿を撮影し続けた。そしてより多くの人々は空爆の瞬間、地下の防空壕に逃れ、運河良ければ生き延びて、「空襲」についての悲惨な経験を語り続ける。

 

『わたしがいなかった街で』柴崎友香

 高速道路の高架の近くにあった、洋服屋の重い木のドア。狭い店の真ん中の台の上。あの場所。わたしのかぶっていた赤と黒の縞々、健吾の部屋に転がっていた青と黒の縞々。どんな人かわからないけどクズイの好きだったおんなのこ、メモを書いたクズイの手、袋に入れて渡したクズイの妹の手。それらが全部、いっぺんに、わたしの中に現れた。もうない場所、行けない場所、会えない人、会うかもしれない、どこかにいる人。

 

『そこにすべてがあった:バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』カイ・T・エリクソン

 あの災害は人間の神経を外縁ぎりぎりまで追いやってしまった。経験していない私たちには、あの日の恐怖を真に理解することはできない。しかし少なくとも、なぜ災害があのような苦しみを引き起こすのか、生き延びた人の心になぜあれほどまで深い傷を負わせるのか、察することはできる。私たちの想像力は、個人的な経験という湾の内側へ入ってゆき、感覚に触れる情景の各部分を再現することができるのである。私たちの眼は、燃えながら谷を下り、すべてのものを奪い去った黒い激流を見ることができるし、耳は、悲鳴や爆発がつんざく雷鳴のような轟音や裂ける木材の音を聞くこともできる。鼻孔には、石炭屑の灼けつくような悪臭や、煙や遺体や腐敗が発するすえた臭いを感じることができる。こうしたことを描き出せるのは、私たちには想像力があるからだ。

 

『遠い声をさがして:学校事故をめぐる〈同行者〉たちの記録』石井美保

「巻きこまれた者として、どうしていくのか」。それは重い問いかけであり、この問いを抱きながら歩んでいく道のりに終わりはない。だが、日常に没入することで痛みを忘れようとするのではなく、未来へと向かう「回復の物語」によって癒されようとするのでもなく、ただ、そのような〈同行者〉でありつづけようとすること。そのようにして喪失の痛みを感じとり、失われた生の輝きを想起しつづけることを通して、他者である私たちもまた、亡き人とともに生きていくことになるのだと思われる。

 

『失われゆく我々の内なる地図:空間認知の隠れた技術』マイケル・ボンド

 認知症にかかっていた私の祖母は、死ぬ前の最後の日々、くりかえしこう言っていた――「わたしはここにいるのかい?」いったい祖母は何を言いたかったのだろう? 人がそう言うとき、いくつかの状況が考えられる。地図のある地点を指さして、「わたしがいるのはここ?」と尋ねることもあるだろうし、あるいは特定の場所を頭に思い描いて、そう自分に問うこともあるだろう。いずれにしても場所の経験は、空間認知細胞の発火パターンによって、説明されることは決してない。つまり、自分のいる場所を本当に知ることができるのは、その場所について話ができたり、どうやってそこに来たかを思い出せるときだけなのだ。
 結局のところ、祖母が聞きたかったのは、自分が今いる部屋と自分とのかかわりの歴史であり、そしてまたおそらくは、自分がはたして存在しているかどうかを聞いていたのだろう。多くの点で、それは究極の質問であり、私たち全員が人生のある時点で尋ねる問いかけなのかもしれない。わたしはここにいるのだろうか? そうであってほしい。これより大事なことが、ほかにあるだろうか?

 

『天路の旅人』沢木耕太郎

 地図も磁石も持たない旅では、人に訊くより仕方がない。そして、それを信じるしかない。

 

『地球にちりばめられて』多和田葉子

「これは旅。だから続ける」とHirukoが嬉しそうに言うと、ナヌークが深くうなずいた。おふくろの姿はいつの間にかその場から消えていた。「それなら、みんなで行こう」と僕は言った。

 

『旅書簡集 ゆきあってしあさって』高山羽根子、酉島伝法、倉田タカシ

 また会いましょう、という約束が果たされることをすこしも疑っていないけれど、もし、三人がじつはまったく違う時間を生きていて、シュヴァル・ツーリスト商会の不思議な郵便配達によって通信できているだけなのだとしても、それはそれで大丈夫なのだ、という核心も、どうやら自分の心にはあるようです。この確信は、たぶん、文を書くという行為への多大な信頼から生まれたものなのでしょう。

 

「未熟な同感者」乗代雄介

 私はわかりかけた。何を? それを。だから黙って動きもせず、考えを進めた。
「大学ってもっと楽しいと思ってた」
 すでに散らばってしまった誰かの熱は二度と集まることがない。自分が今まさに感じている熱を、それと同じ熱だと信じようとすることは、つまり「完全な同感者」であろうとすることは、絶えざる自己の探究に没頭することであり、対象との隔絶を意識せざるを得ず、すなわち絶望である。しかしその絶望は、絶えざる探究が本当に行なわれていると心から信じられるような瞬間に感じる無限性ゆえに、またその探究に用いた言葉の独立性のなさゆえに、よほど希望に似てくる。だから、それは絶望ですらない。

 

「最高の任務」乗代雄介

 しかし、読まれる心配はもう二度とないのだし、私はそれを悲しみつつも、へまを侵す恐れなしにぬけぬけと書いてきたのだ。ということは、今になって筆がすべったと自覚するなら、その記述は私にとって重大な意味を持つ。自分を書くことで自分に書かれる、自分が誰かもわからない者だけが、筆のすべりに露出した何かに目をとめ、自分を突き動かしている切実なものに気付くのだ。そこで私は間髪を入れず、「あんた、誰?」と問いかけなければならない。この世に存在しないまま、卒業式終わりの家族旅行にかこつけて、こんなことを考えさせようと導いているのは誰なのか。

 

「無限の玄」古谷田奈月

 ほかの四人の演奏を、一人、外れた場所から聴くのは初めてではなかった。車や楽屋に何かを取りに戻っているあいだにリハーサルが始まることが時折あったし、レコーディング前の練習は誰がトイレに立とうと続いた。そういうとき僕はいつも自分でも戸惑うほど強烈な不安を感じ、大急ぎでみんなのもとへ戻るのだった──そしてそこにまだ自分の居場所があることを、千尋から送られる合図や、兄から渡される旋律や、叔父から託される和音で確認した。そうして交差し、交錯しながら百にも、千にも音を膨らませていく弦と、ともにこの身を震わせるときほど幸せな時間はなかった。連帯が強く全身を締めつけるその感覚は、バンジョーを与えられて以来頻繁に僕を殴るようになった兄の、その拳のもたらす痛みによく似ていた。愛と正しさが身に直に刻まれる。誇らしさに息が詰まる。父がいて、兄がいて、僕がいる。百弦という家がある。禁じられた涙をこらええるたびに思ったものだ。これほど恵まれた人生はない。

 

「闇の中の男」ポール・オースター

 床の上で目覚まし時計がチクタク鳴るのが聞こえる。何時間ぶりかに私は目を閉じ、ひょっとして眠ることも可能ではなかろうかと考える。カーチャがもぞもぞ動き、小さなうめき声を漏らし、それから寝返りを打って横を向く。背中に手を当てて何秒か撫でてやろうかとも思うが、結局やめにする。眠りはこの家できわめて稀少な品なのだ。その邪魔をする危険は避けねばならない。見えない星、見えない空、見えない世界。鍵盤を打つソーニャの手が見える。何かハイドンの曲を弾いているが、何も聞こえない。音楽は音を立てないのだ。やがて彼女が丸椅子の上でぐるっと体を回し、ミリアムがその腕の中に飛び込んでくる、三歳のミリアム、遠い過去の残像、現実だったかもしれないし想像の産物かもしれない像、もうその違いが私にはわからない。現実と想像はひとつだ。思考は現実である。非現実の物たちをめぐる思考ですら現実である。見えない星、見えない空。私の息の音、カーチャの息の音。就寝時の祈り、子供のころの儀式、子供のころの厳粛さ。われ目覚むる前に死すれば。すべてはなんと早く過ぎていくことか。昨日は子供。今日は老人。いま以降、心臓の鼓動はあと何回か、呼吸は何回か、あと何語話して何語聞くか?

 

『怪談』ラフカディオ・ハーン

 ホーイチは盲目であるから、平家の怨霊と思われる存在もまた、誰にも姿を見られることはない。そうするとこの物語は、「目の見えない男が、体に『見えない』と記されることにより、見えない者からも見えなくなる話」が語られているということになり──文章もまた単に文字であり、登場人物の姿を視覚情報として見せるわけではなく、書物はどこかの現実との間に下りている幕でもあり、瞼でもある──本質的に目に見えないものを語ることになる『Kwaidan』において、冒頭に置かれるに相応しい物語であると言える。

 

『わたしは英国王に給仕した』ボフミル・フラバル

 支配人がわたしの左耳をつかみ、引っ張りながら言った。「まだお前はここじゃ給仕見習いだから、よく心得ておくんだ! お前は何も見ないし、何も耳にしない、と! 繰り返し言ってみろ!」お店では何も見ないし、何も耳にしない、とわたしは言った。すると今度は右耳を引っ張り、こう言ったんだ。「でも胸に刻んでおくんだ。お前はありとあらゆるものを見なきゃならないし、ありとあらゆるものに耳を傾けなきゃならない。繰り返し言ってみろ」

 

囚人のジレンマリチャード・パワーズ

 その無音の、折り目正しい無秩序を避ける道はある。世界は無数の人間ではない。一人、一人、一人、その足し算である。それら一人ひとりが放棄しはじめるまでは、袋小路にはならないのだ。そして、もし彼らが、ほかの人たちの善意とつながりを保つなら、放棄する必要も生じはしない。「そこで私たちの出番なのさ」とアニメーターはあやすように言う。「一人の人生、きみの人生が、それに触れる人生すべてをいかに変えるかを示すんだ。見た目にしたがってではなく、信頼にしたがって歩むかぎり、ゲームをつづける価値があることを証明するんだ」

 

『惑う星』リチャード・パワーズ

 他の皆がどこにいるのか突き止めることのできなかった惑星がかつてあった。その惑星は孤独が原因で滅びた。同じことは私たちの銀河だけでも数十億回起きた。

 

『宇宙船とカヌー』ケネス・ブラウワー

 絡み合った音が海底でほどけた。それは夜の水を通り抜け、私の背骨にまで伝わってきた。私はこの音をレコードで聞いたことがあるし、またハンソン島でも夜何回かすでに聞いていたが、いまだに心の準備ができていなかった。予期せぬ方向から語りかけられ、私は鳥肌を立てる。それは、我々とはべつの知性なのだ。その声は無限の空間を探査し、我々を発見することなく通り過ぎていった。フリーマンが追い求める他の知性体は、ここ地球上にたしかに存在しているのだ。しかし我々が、彼らとほんとうの意味でわかり合うことはけっしてないだろうと私は思った。


 以上、27タイトル。ベストと云うより、単なる振り返りでした。

 それでは、良いお年を。そう祈ります。