鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

断片を3つ

 書きつづけることは難しい。



 一、二、三。少年は声を出さずに数える。よん、ごう、ろく。ゆっくりと、同じテンポで、数字が数字であることさえ意識しないまま――なな、はち、きゅう。どうして数字に名前がついているのだろう、と考える。どうして一の次が二となるのか。開きかけた思考は脳裡をよぎるだけで、次の数字が少年を、いつもの遊び場へ連れ戻す。十。
 立ち上がり、少年は叫ぶ。「もー、いー、かい」
 返事がないことが、返事だ。
 先ほどまで中庭の植えこみを前に蹲っていた少年は、まずあたりを見回して、誰のひと影もいないことを確かめる。



 透は土手の石段に座る。橋桁のたもとで、バイオリンを演奏している女性がいる。何度も同じところで躓きながら、それでも彼女は繰り返し弾いて、少しずつでも曲を進める。陽が沈む。夜が川面から昇ってくる。何もかもが群青になる。透の背後を車が走って、ぬるい風が樹々を揺らす。透はそれら一切に意識を向けながら、視線はずっと、揺れる水面にある。川は流れつづけている。止まっているものは何ひとつない、と透は思う。あらゆるものが、どこかからどこかへと向かう途上にある。



 人類学者の伯父が使っていたノートは綴じられたものではなく、長い、長い、とても長い紙を蛇腹に折りたたんで固いカバーにしまってあるようなしろものだった。もちろんそんなに長い紙があるわけもないから、種々の紙をテープや紐で接いである。透かしのあるフールス紙、封筒を開いたと思しきクラフト紙、論文の裏紙、チラシ、折り紙。伯父はいつも手近な紙にメモしては、あとでそのノートに接いでいた。研究のアイディアが書かれてあった。論文の引用が書かれてあった。買いもののメモ、耳にした言葉、目にした景色。すべてが細いインクの線からできていて、筆跡は止まることなく滑らかだった。伯父は生きながらこれらを書いた。わたしは蛇腹を開きながら思った。あるいは、生きていた伯父はずっと、この線をなぞっていた。カバーのところがテーブルから落ちて、開かれたノートはずるり、引きずられ、まるで動物の尻尾のように全体がひとつとして動く。伯父が引いた線をなぞるかのように。なめらかで、速やかに、けれど確実に、その痕跡を残すみたいに。