鷲はいまどこを飛ぶか

多くの場合は、小説について。

往復書簡:2024/01/31

巨大さんへ*1

 お手紙、どうも。 
 乗代雄介『旅する練習』はぜったいに読もうと思いながら、いくらかのたじろぎによってまだ読めていない小説です。たじろいでいるうちに文庫化してしまいました。なぜたじろいでいるのかと云えば、これまでに読んだ乗代作品――『皆のあらばしり』『本物の読書家』『最高の任務』の三冊ですでに圧倒されたうえで、まだ自分がうまく受け止められていないと感じるからです。彼が熱心に取り上げるサリンジャーについてはついこのあいだはじめて『ナイン・ストーリーズ』を読んだばかりと云う体たらくですし、彼の書くこと/読むことのスタンスには強い共感を覚えながらもそこに一致することを躊躇わせる繊細な凄みがあります。とは云えこれはたぶん、ぼくがいくらか臆病で慎重になってしまったと云うことなのでしょう。いまはじめて小川哲やリチャード・パワーズと出会ったとして、かつてのように素直に受け止め、熱狂することはできないはずです。これは成長でしょうか? それとも退化でしょうか? いずれにせよぼくはずでに、乗代雄介にとってのサリンジャーのような作家に出会ってしまっているのであり、もう線は引かれはじめているわけです。もしも乗代雄介といまいちど向き合うなら、ぼくはいま延ばしているこの線からはじめて、そこへと引いていかなければなりません。書くことと生きることの一致、と云うぼくのしばしば口にする考えは乗代作品から引いてきたことですが、一方でぼくは目下、彼とは違う経路を――少なくとも、明示的に書かれている線とは違う線を――なぞって、その言葉を自分なりの言葉にしようとしています。たとえばインゴルドを読むことはその実践のひとつであり、そこへと繋がり、同時にそこから延びてゆく都市論や庭園論、歴史書を読むこともその一環です。それにまた、落書きしたり、線描したりすることも。
 以前は散歩しながら出会った街角の風景を撮り、写真を見ながらじっくりとスケッチしていましたが、最近は線を引くことそれ自体へ関心が移ってしまいました。スケッチはもっと練習すればもっと精緻な絵を描けるはずですが、その先に目指すものはきっと描く楽しみではあっても線を引く楽しみではないような気がしたからです。どう云うことか。昨年中之島美術館で佐伯祐三の大規模な回顧展がありましたが、初めは風景を描いていた絵が時代を経るにつれどんどん正確であることをやめ、次第にキャンバス上で引かれたいくつもの絵の具の線へとほどけてゆく過程にぼくは驚かされました。それは見たものを描くことから描くことで見るほうへの変遷なのだと思います。この変化は短期間で起こりました。そして、佐伯は最晩年、病床に就いてからも新たな作風の展望を開きつつあった……。インゴルドふうに云えば、始まりも終わりもない、過程それ自体としての線。
 これと同じような線を、ぼくは昨年、京都の国立近代美術館でも目にしました。同美術館で60年代におこなわれていた「現代美術の動向」展を振り返る『Re:スタートライン――現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係』の入り口近く、すなわち初期の作品群――手によって描かれた抽象画の数々に。ぼくはそこで紹介されていた作家たち――山口長男や宮脇愛子、田中敦子など――の思想的背景や、学術的な文脈も知りません。けれども思うに、彼ら彼女らが目指したのは、最終的に示されるキャンバスの抽象的な構成ではなく、むしろ具体的な線描――目の前にいくつもの線を引いてゆくこと、その過程、その運動ではないでしょうか? 潮流も、芸術家自身もいまだ若いなかで描かれたのは、具象ではなかったかもしれませんが、具体的な素材による具体的な線だった。おそらくはまるで見当外れだろうその確信はやがて、ぼくにインゴルドを、そしてパウル・クレーを思い出させ、いつも画面をじっくり見ながらなるべく正確にスケッチしようとする自分自身を反省させ、いつもより長かった年末年始の休みをきっかけに、実践をすっかり転向させるに至りました。とは云えこれは、スイッチのオン/オフみたいに切り換わったと云うのではなくて、引かれ続ける線がこんがらがりながら先を模索する、その過程の一部に過ぎないのでしょうけれども。
 何の話をしてるんでしたっけ?
 まあ、たぶん、スケッチも続けることには続けます。実を云うと公開していないだけでこっそり続けています(twitterで見かけた風景写真を模写することが多く、あまり表に出すのは躊躇われるのです)。それに、散歩も。町をいっぽいっぽ歩きながら、知らない通りへ曲がり、知らない家々が次々と現われ、その風景はぼくが一歩踏み出すごとに変化しつづけている。そこに散らばる無数の生活の痕跡に、ぼくはいつも満たされるような、圧倒されるような気分になります。かさぶたのように家の壁を覆うトタン板のパッチワーク。その場しのぎで即興的に張りめぐらされた軒下の配線。ちょっとした段差を登るために無造作に置かれたコンクリートブロックと、そのこぼれたふち。道路に大きくはみ出したプランターから伸びる蔦が屋根まで這いのぼっているさま。これらひとつひとつ、その部分部分が、そこで営まれている生の意図せざる記録であり、われわれはみな、そのようにしてすでに書いているのでしょう。巨大さんの仰る意味とはおそらく微妙に違っていると思いますが――そちらはもっと指向性のある、好きなものや大切なことの集積であるように思います――踊りや音楽の素養のないぼくにとっては、こうした微細なことどもに「記憶に拠る生の技芸」が見出されます。ある場所に住むと云うことは、そのような記憶を生みだし、刻みこみながら、その記憶のなかに生きると云うことなのかもしれません。――なんだか書いていてこんがらがってきました。ぼくはこの手紙を、なるべく即興的に書こうとしています。じっくり考えすぎると、返事もできなくなりそうなので。読みにくければごめんなさい。
 こうした町の記憶について書いていると思い出すのは、アンソニー・ドーアの短篇「一一三号村」です。ある場所について記憶の話であり、場所それ自体が持つ記憶の話であったと、記憶しています。微細な記憶の集積が、巨大な広がりを生みだす、そんな短篇でした。これに対して同じ技法を用いながらも、長篇『すべての見えない光』は町全体をひとつの模型に閉じ込めて箱庭にしてしまうようなところがありました。けれども一方でぼくは、微細なことの記憶は微細なことによってこそ書かれるのであって、長篇小説を書くことはむしろ、あのような模型づくりにあたるのではないか――そう考えはじめています。小説は、とくにその技巧を考えるとき、究極的には模型づくりになってしまう。少なくともぼくの書こうとしている探偵小説のような、ひどく人工的なジャンルにおいては。であるならば、模型から脱することではなく、模型によって何ができるかを考えてみたい。
 何やらひとりよがりで取り留めのない結びになってしまいましたが、巨大さんはこのあたり、どうお考えになるでしょうか。そもそも『すべ見え』はお読みになっていますでしょうか。そうでなくとも、以前話した際に仰られていた「一一三号村」の凄さについて、あらためてお聴きできれば嬉しく思います。
 それでは、また。いやな寒さがつづき、流行病も猛威をふるっておりますが、くれぐれもご自愛くださいませ。

追伸:この手紙を書き終えてから、巨大さんの仰る「記憶に拠る生の技芸」について、だんだんとわかってきた気がします。明示的にせよ暗示的にせよ、なにがしかが伝わること、それによって変ってゆくこと。インゴルドの云う「応答」にも通じることに思われます。
 ぼくの云う生の痕跡とはこれと反対に「生の技芸に拠る記憶」なのかもしれません。

*1:と、いきなりはじまったこの往復書簡、と云うか、文通の経緯は巨大さんのブログを参照のこと。いまのところ、巨大さんによる多面指しみたいになりそうですが、鷲羽と文通をしたいと云うかたはご連絡ください。お手紙お送りします。あるいはあなたから送ってもらっても構いません。